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+ 博多川の朝・・・ 携帯世代、ロボット世代の行くへ

2007年11月13日 21時26分18秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  きらめきて 朝は満ちたり 博多川

     馬糞 Bafun

 

 

 

 博多川と詠んだのは、中洲に流れる那珂川である。

 毎朝自転車で通る。

 満潮の朝は、「出会い橋」がきらきらとしている。

 鳥たちにとっても、うれしい朝であろう。

 

 今では、博多湾全体の海水が褐色に汚濁している。

 工場地帯でもないのに、海底にはヘドロが堆積している。

 都会の排水が、環境の血液をどろどろに汚濁したのである。

 

 かつては、鮎があがり、鮭があがっていたであろう。

 中洲の砂地には、アサリやハマグリが

 透明な海水を吹き上げていたことであろう。

 出世したスズキが日向ぼっこをしていたことであろう。

 ぼらは、もっと楽しそうに飛び跳ねていたことであろう。

 

 博多川の朝のきらめきが、一瞬の幻想を見せてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲーム世代の行くへ

 「ああ、よかった、無事に生まれたよ!」

 おじいちゃん、おばあちゃんの誕生が、携帯電話から伝えられ
る。

 

 現代18歳は平成生まれ、

 その誕生が携帯電話で伝えられた世代である。

 彼らは、携帯電話を見ながら歩き、自転車をこぐ。

 危なくてしょうがないが、

 彼らの人間関係は、携帯メールでつながっているのだ。

 

 同時に彼らはゲーム世代である。

 

 軟弱に思える彼らだが、

 チャレンジ精神の9割をゲームに投下する。

 

 困難に立ち向かう精神がないのではない。

 ゲームに夢中にさせているのである。

 

 危惧されるのは、その困難がバーチャルなゲームであって、

 自分の人生を開拓するチャレンジではないということである。

 むしろ、現実生活から見れば、逃避者であり、引きこもりである。

 

 どうしようもないないと思えるが、

 無意味にゲーム世代が育ったわけでもないはずだ。

 しかし、ゲームプレーヤーに生産性はない。 

 

 ところが、このゲーム能力が現実味を帯びてきた。

 

 ロボット操作である。

 ロボットと人は、携帯無線でつながっている。

 メールでやり取りをするようになるかもしれない。


 

 雲仙岳の防災工事に無人ロボット建設機械が使われている。

 映像を見ると、

 ゲームのような画面の先に、整地される現実があった。

 

 将来、海底資源発掘も海底建造物も、

 林業も、農作業も、戦争も、ロボット化され、

 そのオペレーターは、ゲーム世代の戦士たちなのではないか。

 

 新しいものづくりは、ロボットである。

 船舶輸送も、トンネル工事も、宇宙飛行も・・・

 海底工事は、蟹型ロボットである。

 これで、海洋牧場を建設する。

 海底ドームと海底道路、そこを走るリニアモーターカー・・・。

 

 ロボットのエネルギー開発も不可欠だ。 

 

 ゲーム世代の若者よ、

 大好きなゲームの先に、

 あなた自身となってくれるロボットを作りたいとは思わないか!

                          J.D.Subunroco. 

 

 

 

2005年リバイバル

⇒  http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/3ad6ecf28433c0c56e6914252cddd257

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ さなぎの冬ごもり・・・ 九州スポーツ立国論

2007年11月13日 07時13分39秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  冬ごもり みかん葉食いし さなぎかな


     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  長い棘を伸ばした夏みかんの木だったが、

  芋虫には返って身を守ってくれた。

  腹いっぱい食って、常緑の葉っぱは爪楊枝のようになった。

 

  その芋虫が、さなぎになって、冬を越そうと静止した。

  来春、蛾になるのだ。

  せめて、蝶になって欲しいものだが・・・。

 

  

 

 

 

 

プロスポーツ興隆時代を迎えるに当たって


 九州は、これからの時代、

 多彩なプロスポーツが生まれる原動力となるであろう。

 

 文武両道を基礎にすえたスポーツ教育、

 教育とリンクしたプロスポーツリーグの形成、

 これを核とした総合型地域スポーツクラブへの展開、

 そして、健康スポーツ観光というビジョンが見えてくる。


 

 これが、九州スポーツ立国論のコンセプトである。

 

 実際、大分に続き、福岡にもプロバスケットリーグが生まれた。

 四国からは野球リーグが育ち、九州に広がりを見せ始めた。

 
佐賀や福岡ではプロ・フットサル誕生の動きが始まっている。

 

 今後は、インターネットテレビの普及や、

 テレビ番組の高品位化、多チャンネル化に伴って、

 見るスポーツとしてのプロスポーツが多様化し、

大きな産業に育ってゆくべき時代である。

 

 

 しかし、プロスポーツの企業戦略も、経営基盤も弱い。

 これまでのやり方では拡大成長はできないだろう。

 興行収入だけに依存することはできない。

 多様なビジネス展開が求められる。

 

 教育、映画・写真・雑誌などの著作権ビジネス、

 スポーツクラブ経営、コンサルティングビジネス、

 ニュースポーツ開発、ボランティア活動などである。

 

 選手構成にも問題がある。

 おらがチームというファンの帰属意識に答えていないからである。 

 

 せっかくのバスケットチームだが、選手の大半は外国人である。

 日本人選手でも、福岡人や大阪人で編成されているわけではない。

 

 ナショナルチームのルールが考えられるべきである。

 


 アクシオン福岡で行われた大阪エベッサ vs ライジング福岡の公式戦 

 

 

 

 見るスポーツは、本物志向である。

 本物の魅力は、体験しなければわからない。

 テレビ観戦する前に、

 現場で迫力のある試合を観戦する体験が不可欠である。
 

 与えよ、さらば、与えられん。

 ファンを生み出すマーケティングの工夫が欠かせない。

 

 たとえば、ファン会員にインターネット登録したら、

 三回分の無料チケットを家族分プレゼントするとかである。

 

 生で楽しむためには、会場が便利なところになければならない。

 

 九州はスポーツ立国を目指すべきである。

 そのためには、

 都心部に、公式戦ができるスポーツ施設をつくるべきなのだ。

 

 だから、市役所、県庁などを明け渡し、

 役所はこれから開発したい地域に移転することだ。

 

 さらには、練習場所の確保である。 

 たとえば、ライジング福岡の選手は、

 ホームグラウンドというべきコートを持たない。

 あちこちの公共の体育館を借りて練習しているのだ。

 

 アマチュアと隣り合わせて練習するのは、刺激的ですばらしいことで

ある。

 だが、地域スポーツクラブとしての練習コートを保障してやるべきなの

である。

 

 フットサルは、屋内サッカーとして身近に楽しめる魅力がある。

 ところが、フットサルのできる体育館があまりにも少なすぎる。

 

 

 九州スポーツ立国論。

 これを本気で考えてはいかがか。

 

 

             立憲女王国・神聖九州やまとの国

              梅士 Baishi            

 

 

 

 

 

 

 

 2005年リバイバル

⇒  http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/53d2dc2945766728b984547b51af0186

 

 

 

 

 

 

 

 

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