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+ テントウムシに秋陽上がり・・・ テントウムシのデザイン性  新聞尊重から傲慢の時代へ

2005年10月04日 06時09分48秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  日向ぼこ  テントウ虫の  秋陽かな

        馬糞 Bafun

 

  

 

 テントウムシはすばらしいデザインの虫である。

 一体、どのようにしてデザインしたのだろうか。

 進化論という偶然論で説明のつく問題ではない。

 

 同じ環境に多様な進化が偶然に現れるというのは、ま

さに偶然だというのだろうが、テントウムシのブランド

に対して失礼であろう。

  

 21世紀は多彩なブランドを楽しめる時代になるだろう。

 個性の時代はデザインの時代でもある。

 多様性とは、偶然の産物ではなく、

 魂の多様性によるものである。

 魂の多様性とは、美意識の多様性でもある。

  

 

 新聞配達の音

 午前4時15分21秒、博多一番鶏が第一声に『オッペケ

ペー』と時を告げた。

 鳥目は朝には強いらしい。

 鶏めの体内時計が狂っているのではないかとも思った

が、新聞配達のそれとわかるバイクのこなれたエンジン

音が、小走りしている。


 朝の音である。

 苦学している、学生の朝である。

 朝こそは付加価値の時間である。

 

 

 新聞の無価値

 小さい頃、朝刊を踏んだりすると母にしかられた。

 ばちがあたるよ、と。

 だから、新聞は神様が書いたインテリジェンスに感じ

られた。 

 

 母は尋常小学校しか出ていないが、向学心が強く、

働きに疲れながらもよく本を読んでいた。

 
 倹約の生活の中にも、子供のためには世界文学全集や

百科事典などを買ってくれた。

 クリスマスプレゼントなどは、本が多かったように思

う。

 

 しかし、今の新聞に崇高さなど少しも感じない。

 朝刊のにおいには懐かしい新鮮さを感じるが、

 新聞代は、テレビ番組表と分厚いチラシ広告の値段で

ある。

 ごみを包むには惜しげのない紙でもある。

 実際、新聞を取らなくなると、

 古新聞の山に困ることはないが、ごみを包む紙に不自

由する。

 

 インテリやくざのジャーナリストたち

 日本のジャーナリズムは政府と戦って、国益を損なう

ことを手柄と勘違いする傾向がある。

 一言で言えば、官僚エリートに対するコンプレクスの

塊である。

 彼らにとっての民主主義とは、強きをくじき、弱きを

あざ笑う悪口雑言にほかならない。

 総会屋同様、インテリやくざである。

 

  だから、国民は、歴史を学び、良書を沢山読んで、

スコミに対する批判力を身につけなければならない。

 それが、民主主義を支えることになるだろう。


 マスコミ支配という危険な独裁を『民主主義』と勘違

いしてはならない。

 匿名の偽インテリが、世論になりすまして、ハッカー

のように青白い含み笑いをしているのである。

 

 読書の秋に、毒キノコを食べないようにしよう!

 

 

 構造改革の仕上げは、マスコミの再教育再編と民主的

コントロールの制度化である。

 郵政改革は行政縮小への第一歩であるが、同時にマス

コミ改革を進めなければ、いよいよマスコミ独裁が本性

をむき出しにしてくるだろう。


 官僚は、マスコミを抑制する権力でもあるからだ。

 

 マスコミは、民主主義の擁護者のように振舞っている

が、実は最も危険な独裁権力であることを忘れてはなら

ない。

 

 ジャーナリストへの警告

 天罰が下る前に、国益を害し、不幸を食い物にするよ

うな悪口憎言をやめよ。

 罪を反省して悔い改めることである。

 

 反省とは汚れた心を掃除することである。

 まずは、雑巾を持って、穢れた職場を掃除することか

ら始めるとよい。

 テントウムシのように、ぴかぴかに。

              

             

 J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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