百日の 紅の終わりも 近くなり
馬糞 Bafun
夏の名残の夾竹桃は、秋の風情である。
百日紅(さるすべり)は残っているのだろうか。
百日からあと何日数えるか・・・。
今年の秋は暖かいから、記録を伸ばすだろう。
【精神主義】
精神的な話を嫌う学生が5%くらいはいるのではないか。
霊的な話も、意外と抵抗なく受け入れる若者が多いのだが、わず
かながら、受け付けない者がいる。
なぜ嫌かというと、精神的なものは百人百様で、確証がないからだと
いう。
道徳教育を嫌い、学習能力も低い者である。
彼らは、善悪についても人それぞれなのだという。
客観的なこととして言うべきではないと。
これが、物質化した人間の共通した症状である。
善悪について、「・・・と思う」という表現は、日本的であるのかもし
れないが、好ましい表現ではない。
無責任でもある。
「それは、良くないことだと思う」のは、あなたの勝手、わたしは正し
いと思う、といえば、悪事千里を走ることになる。
無秩序とは、善悪の相対化を言うのである。
言葉というのは、その人の認識に他ならない。
しかし、人が語ることは、その人の確信であれば、断定してよい。
確信のない言葉は、実現しないものである。
スポーツトレーニングにおいても、科学主義の勢いに押されて、精神
主義、根性主義が衰退した。
ところが、最近、復活の兆しがある。
間違ったトレーニング理論は怪我の元になるが、精神主義、根性主
義を排除する理論であってはならない。
しごきの猛特訓というが、もう限界と思えるときから、あと何ぼがん
ばるかが勝負だという。
殻を破るというのはそういうことだろう。
それなのに、やっぱりだめだと思ってあきらめ、やる気を失い引きこ
もる人たちがたくさんいる。
いろいろ原因はあるのだろうが、自分で打開しようという気持ちが
なければ道は開かれない。
その責任は本人が負うことになる。
死後は、引きこもり地獄でさらに長く苦しむことになるだろう。
地獄とは、さまざまな自己中心の霊が集まったおぞましい悪霊、悪
夢の世界である。
失敗する人は成長する。
こけつまろびつして悪戦苦闘している自分をかわいいとは思わない
だろうか。
いとおしいとは思わないだろうか。
心の貧困は、金では解決しない。
人に与える努力でしか、克服できないものである。
与えよ、さらば、与えられん。
これが、心の経済原理である。
笑顔を与えよ。
善意を与えよ。
努力する姿を与えよ。
人助けの技能を磨け。
自己中心のひきこもりが、全国で300万人もいるとは、どういうこ
とだ。
引きこもり世代は、25,6才が最も多く、30代も多いらしい。
ゆとり教育による教育崩壊といじめのピーク時を示しているのかも
しれない。
人生の責任は、他人にはない。環境にもない。時代にもない。
全ては、自己責任である。
人生とは愚直な自助努力である。
失敗しても、失敗しても、めげないでまだまだ続ける根性である。
その姿がかわいくて、神様がチャンスをくれるのだ。
引きこもりの者どもよ、自分が愚かで、弱虫で、みっともないことを認
めよ。
そんな自分のために何を守ろうとするのか。
何を恐れるのか。
みっともない自分を引きずり出して、ぼろ雑巾のように、世の中を掃
除せよ。
愚直に格好悪く生きてみよ。
人間は、最後まで、潔く生き、その最後に、清々しい死を賜るもので
ある。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi
福岡で活躍中のシンガーソングライター
《古長 Furunaga-Hanae 英恵》
⇒ http://minx.jp/u/prof.php?id=pandamama&cn=31&dn=1&p=1
2005年9月号改訂
⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/ad3cd01fda6738e199cbbe9c9450c016
百日紅 紅の残りを 数えつつ
沈む陽を追う 残照の影
白川 馬草 Magusa