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+ 秋のさるすべり・・・ 引きこもり問題

2007年11月10日 20時10分30秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 

  百日の  紅の終わりも  近くなり 

 
      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 夏の名残の夾竹桃は、秋の風情である。

 百日紅(さるすべり)は残っているのだろうか。 

 百日からあと何日数えるか・・・。

 今年の秋は暖かいから、記録を伸ばすだろう。

 

 

 精神主義


 精神的な話を嫌う学生が5%くらいはいるのではないか。

 霊的な話も、意外と抵抗なく受け入れる若者が多いのだが、わず

かながら、受け付けない者がいる。

 

 なぜ嫌かというと、精神的なものは百人百様で、確証がないからだと

いう。

 

 道徳教育を嫌い、学習能力も低い者である。

 彼らは、善悪についても人それぞれなのだという。

 客観的なこととして言うべきではないと。

 

 これが、物質化した人間の共通した症状である。

 

 善悪について、「・・・と思う」という表現は、日本的であるのかもし

れないが、好ましい表現ではない。

 無責任でもある。

 

 「それは、良くないことだと思う」のは、あなたの勝手、わたしは正し

いと思う、といえば、悪事千里を走ることになる。

 

 無秩序とは、善悪の相対化を言うのである。 

 言葉というのは、その人の認識に他ならない。

 

 しかし、人が語ることは、その人の確信であれば、断定してよい。

 確信のない言葉は、実現しないものである。

  

 スポーツトレーニングにおいても、科学主義の勢いに押されて、精神

主義、根性主義が衰退した。 

 ところが、最近、復活の兆しがある。 

 間違ったトレーニング理論は怪我の元になるが、精神主義、根性主

義を排除する理論であってはならない。

 

 しごきの猛特訓というが、もう限界と思えるときから、あと何ぼがん

ばるかが勝負だという。

 殻を破るというのはそういうことだろう。

 

 それなのに、やっぱりだめだと思ってあきらめ、やる気を失い引きこ

もる人たちがたくさんいる。

 

 いろいろ原因はあるのだろうが、自分で打開しようという気持ちが

なければ道は開かれない。

 その責任は本人が負うことになる。

 

 死後は、引きこもり地獄でさらに長く苦しむことになるだろう。

 地獄とは、さまざまな自己中心の霊が集まったおぞましい悪霊、悪

夢の世界である。

 

 失敗する人は成長する。

 こけつまろびつして悪戦苦闘している自分をかわいいとは思わない

だろうか。

 いとおしいとは思わないだろうか。

 

 心の貧困は、金では解決しない。

 人に与える努力でしか、克服できないものである。

 

 与えよ、さらば、与えられん。

 これが、心の経済原理である。

 

 笑顔を与えよ。

 善意を与えよ。

 努力する姿を与えよ。

 人助けの技能を磨け。

 

 自己中心のひきこもりが、全国で300万人もいるとは、どういうこ

とだ。

 

 引きこもり世代は、25,6才が最も多く、30代も多いらしい。

 ゆとり教育による教育崩壊といじめのピーク時を示しているのかも

しれない。

 

 人生の責任は、他人にはない。環境にもない。時代にもない。

 全ては、自己責任である。

 人生とは愚直な自助努力である。

 失敗しても、失敗しても、めげないでまだまだ続ける根性である。

 その姿がかわいくて、神様がチャンスをくれるのだ。

 

 引きこもりの者どもよ、自分が愚かで、弱虫で、みっともないことを認

めよ。

 そんな自分のために何を守ろうとするのか。

 何を恐れるのか。

 みっともない自分を引きずり出して、ぼろ雑巾のように、世の中を掃

除せよ。

 愚直に格好悪く生きてみよ。

 

 人間は、最後まで、潔く生き、その最後に、清々しい死を賜るもので

ある。

                          

               立憲女王国・神聖九州やまとの国

              梅士 Baishi

 

 

  

 

 

 福岡で活躍中のシンガーソングライター

  《古長 Furunaga-Hanae 英恵》

   ⇒ http://minx.jp/u/prof.php?id=pandamama&cn=31&dn=1&p=1

 

 

2005年9月号改訂

⇒  http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/ad3cd01fda6738e199cbbe9c9450c016

 

 

 

  

 


      百日紅  紅の残りを  数えつつ


   沈む陽を追う  残照の影
 

 

       白川 馬草 Magusa

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 夜間飛行・・・ 板付環濠遺跡が問う、考古学の驕り

2007年11月09日 16時58分35秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  秋超ゆる  夜間飛行の  灯は上がり  
 
      
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 板付空港の夜景は空から見ても、街から見てもきれいである。

 板付には、紀元前500年ころから紀元3世紀頃までのものとされる

環濠遺跡がある。

 米作りの歴史が縄文時代にまで遡ることで話題となった。

 すると、縄文と弥生の時代区分が怪しくなった。

 米作りの紀元は、文明の起源とされる時代よりもさらに古い時代に

遡ることであろう。

 

 九州文明の起源はムー文明に遡るという仮説からの推定である。

 板付遺跡の時代にはすでに鉄器の農機具もあったのではないか。

 たまたま、祭司に用いた木製の鍬などが残っていただけの事では

ないのか。

 

 板付遺跡

⇒  http://inoues.net/ruins/itazuke.html

http://www.innovade.co.jp/map/?item=spot-002

 

 

 

 考古学の推論は、遺跡や遺物からの発想に縛られてはなるまい。

 物理科学や数学の世界のように、仮説合理性の実証科学として探

究すべきものではないのか。

 

 縄文人の服装のみすぼらしさを見るにつけても、そんな寒そうで美

観に乏しい服装でいたはずがないと思う。

 

 

 

                          弥生の貴婦人

 


 遺跡時代の空にも、渡りの鳥は飛んでいただろうが、現代には夜空

にも渡りの航空機が国際化時代の空へと渡ってゆく。

 それもまた、遺跡時代の人々にとって、想定外のことではなかった

だろう。

 空を飛び渡ることは、憧れでもあったと思うのだ。

 もしかして、UFOが見えやすい時代であったかもしれない。

 

 たかだか数千年前の人々を、原始人のごとくには思わないことだ。

 それは、心の退化した現代人のおごりというべきであるから。

 

 曇った心の窓からは、過去も未来も見通すことはできない。

 透明な心を取り戻せるか、そのことが国家百年の計というべき課

題である。

 

 

            立憲女王国・神聖九州やまとの国

             梅士 Baishi

                          

 

 

  

 

2005年8月号 改訂版

 http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/fa06d40b7065aa8add49d3a1331ce3f8

 

  http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/f0af2c9f232937db8f1497035e356bdd

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 立冬のイチョウ舞・・・ 大相撲の激動 

2007年11月08日 08時10分27秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  立冬に  イチョウ舞ひたる  扇かな

             馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 今日は立冬。

 室内気温22℃。気のせいか、素足が冷たい。

 寝ていても、布団の隙間風が冷たい。

 秋なのかと思っていたら、今日から冬だという。

 

 天神のイチョウが黄色くなってきた。

 黄金色のイチョウの扇をもって、

 立冬のように立っている。

 

 イチョウといえば、もうすぐ大相撲九州場所である。

 大関、琴光喜関の祝いのタオルをもらった。

 縁起の良い、立冬であることよ!

 がんばれ、琴光喜関!

 

 

 伝統の相撲界も激動の例外ではなかった。

 伝統を堕落させることなく、如何に異文明の理解と共感を得るか。

 これが問われた。

 

 しかし、伝統とは、日本の神事としての相撲である。

 異文明に敗北し、感化された結果、日本人としての価値観を見失っ

てきたのではないか。

 

 日本人としての美意識、礼節、神への畏敬、神聖であることを古臭

いことのように蔑ろにしてきた結果ではないのか。

 

 個性の時代、多様性の時代に、世界は、日本的な美意識を求めてい

るというのに・・・。

 

 

 

 

 

  大銀杏  九州場所の  髷に結い

             馬糞 Bafun

 

 

 

 

 もうすぐ、九州場所・・・

 2007年問題といわれたその秋に、

 魁皇関の引退相撲となるのか。

 

 神事としての相撲を見せてほしい。

 

 

             立憲女王国・神聖九州やまとの国

              梅士 Baishi

 

                           

 

 

 

 

 

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+  新秋のおよろこびを・・・ 緑の募金と植福の精神

2007年11月03日 07時25分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 この冬も  雪積るらし  メジロ来て   
 

    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 11月3日Sat.文化の日。

 11月ともなると、大陸の高気圧が結晶のように冷たい空気を吹き

降ろしてくる。

 一年ぶりの風の寒さが渡り鳥の道しるべである。

 


 どこから飛んでくるのか、家族のように、メジロが戻ってきた。

 キュルル、キュルルとたくさん鳴いてうれしそうだった。

 

 「新秋のごあいさつを申し上げます。」

 

 また、みかんを枝に刺して、鳥たちの朝が楽しめる。 

                            Bafun 

 

 

 

 

 

緑の募金

 森林再生事業のための募金が、「緑の募金」である。

 緑の羽の募金だ。

 森林が失われているのは、ブラジルやインドネシアだけではない。

 日本でも、森林破壊は深刻である。

 杉の植林地が、放棄されているからである。

 間伐も枝打ちもしないから、

 木が弱り、山が痩せ、断末魔のスギ花粉が日本の黄砂のように降

りかかる。

 

 その責任は山の所有者にあるが、

  山を守る責任は、国民にもある。

 

 酸素は、植物が再生している。

 酸素をいただく人間としては、緑を養生するのは当然の責任というべ

きである。

 

 ところが、その募金があまり集まっていないそうである。

 公務員も知らん振りしているのだろう。

 

 募金を呼びかけても、損をしたくないという意識が先に立つ。

 

 緑を養うための植福、植緑である。

 福を植えよう。

 緑を植えよう。

 

 ただ、与えるだけの植福に、

 われわれは、喜びを見出せるように、

 緑の募金で訓練しようではないか。

 

 心に健康を!

 環境に健康を!

 山の神に感謝を!

 

                       J.D.Subunroco. 

 

 

 2005年8月号 改訂版

 http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/c7118cdd62923e78a2c9053ba7c57fb6

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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