もみじ葉に あらざるものを 散りて逝き
馬糞 Bafun
挽歌
活発だった八女の娘が、見守る親の悲しみの中で、
心停止した肉体の霊子線を切ろうとしている。
バイクによる交通事故だった。
天上界の七色の光が注いで、傷ついた霊体を癒していた。
肉体も蘇るのではないかと期待したが、
肉体生命を回復することはできなかった。
これから、CGデザイナーとして育ってゆくはずだったのに・・・。
「人前で話せなかった私が、こんなに話せるようになりました」
とはしゃいでいたのに・・・。
日本の黄金時代がその人生だったはずなのに。
若い人の死は、痛ましい。
人生で計画された死ではなかっただろうに。
親の悲しみはいかばかりか。
秋山の 紅葉を茂み
迷いぬる 妹を求めむ 山道知らずも
柿本人麿の挽歌
しかし、心を乱してはならない。
全ては、自己責任なのであるから。
夢から覚めて、いったいどうしたのだろうと思うのだろうが、
肉体を失ったのだから、
わが身に起こったことを理解して、反省をし、
父母にお詫びを申し上げて、
あの世に還るが良い。
仕方がない。
この世の修行は、出直しである。
次の時代には、もはや、交通事故ということのない世の中になっ
ているであろう。
現代の交通は、誰にも慣れない危険な道具だった。
そういう私も、ひき逃げに遭って、命を落とすところであった。
後ろから迫ってくるライトは、暴走していたように思う。
その者たちの罪は、魂に刻まれて地獄の苦しみに裁かれるこ
とであろう。
そのような理不尽が、現代の交通便利の代償なのだ。
娘よ、安らかに旅立つことが、今世の親孝行である。
J.D.Subunroco.
2006年の挽歌
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