すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 虫の電話・・・ ご法話伝達ブログ自粛指示という「UFO」問題について  自由とモラルと統制について  

2011年10月07日 09時07分30秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 ルルルルル  呼び出しており  虫の鈴 

    梅士 Baishi 

 

 

 

 今朝の気温も19℃。

 無風、休み。

 山歩きをしようか。

 もう、彼岸花も終わったであろう。

 

 10月2日の日曜日に、なんと、久留米支部に総裁が

法話にこられたそうである。

 一週間後に知ると、あ、そっ、て感じである。

 つまり、秘密主義なのかなと思う。

 

 総裁講話やリーディングなどの著作情報をブログで流

すなと言う指導があったらしい。

 総裁の指示らしいが、それも秘密情報ではある。

 著作権の問題であろう。

 

 アウトロー信者にとって、ブログでご法話の概要を知

ことは、ありがたいことであった。

 たしかに、著作権に抵触するという問題はある。

 しかし、聴いた話を外に漏らすなというなら、著作権

の問題を超えている。

 

 著作権とは転載許諾権、無断コピーの禁止権を言う。

 その趣旨は、財産権としての保護と、著作者人格権の

保護がある。

 表現者の意図を曲げられることは表現者人格権を侵害

するという意味である。

 

 しかし、聞き書きについては、聞いた人の責任著作で

り、その発表まで禁止したのでは文化の否定、教育の

否定、伝道の否定である。

 正確な情報は情報源にアクセスしなければなるまいが

伝聞情報こそは伝道であろう。 

 

 ブログの萎縮をよしとは思わない。

 ただでさえ、開催情報からさえ蚊帳の外状態である。

 そもそも、ほんとうに伝道支部に沢山の人に来て欲し

と言うなら、支部情報ブログくらい、だれかが発信す

もんではないか。

 

 しかし、たとえば博多支部には全くない。

 不特定多数への告知が禁止されているのだろう。

 本部指示ないし許可がなければ情報発信できないとい

なら、一般会員がサポートすれば良いではないか。

 こういう情報萎縮の役所的な状況は打破しなければな

ないのではないか。

 

 久留米支部での未確認情報に、会員ブログが萎縮して

いる状況が見られることに対して危惧する。

 コピー的再現は著作権問題になりうるが、著作権とい

制度自体が文化の発展を阻害する性格を持っているこ

にも配慮すべきことである。

 

 伝道的伝達であれば、「正確な情報は、支部精舎でご

拝聴ください」と断りを入れておけば十分であろう。

 悪意の誤解(内容の捻じ曲げ)は阻止しなければなら

ないからである。 

 

 この問題については、本部からの正式なコメントが必

だと思う。

 著作権の問題と、会員モラルの問題として、誤解のな

よう、正確に、できれば総裁の言葉として伝えていた

だきたいものである。

 

 未確認情報が飛び交っているので、いわばUFO問題で

ある。

 『サタデーナイトin エリア 5 反田』でコメントしてい

ただいてもよいかもしれない。

 明日、夜10時が生放送である。

 注目したい。 

   

 

 

 

 

 モラルなき表現は堕落し、表現統制は貧困を招く

 
 自由は市場主義経済の根幹である。

 しかし、市場とは繁栄のシステムであり、建設的人間

係の社会ないし、緩やかな組織である。

 したがって、そこには人の輪の理、すなわち思いやり

倫理が求められるし、徳のある生き方、すなわち道徳

という与える愛の原理が求められる。

 

 思いやりにも与える愛にも、知恵と工夫が必要である

が、萎縮的統制ではない。

 自由とは建設の自由という方向性があるということで

ある。

 信仰の自由が、神への自由であって、神からの自由で

はないというのと同じである。

 神への自由とは、宗教選択の自由である。

 神からの自由とは、背徳であり、無神論である。

 

 禁止のルールは、倫理道徳を基礎としつつも、議論の

余地の少ないファウルプレイについてのものである。

 他人を害する危険なプレイを禁止するということであ

る。

 そこには、自らを律するというモラルが問われる。

 

 モラルを欠いた自由とは、いわば犯罪であり、迷惑で

り、堕落である。 

 現代の資本主義(市場経済主義)は、堕落に瀕してい

る。

 だから左翼社会主義の統制経済が正しいのだと言うこ

とにはならない。

    

 時代劇ではたいてい、徳川吉宗や水野忠邦の質素倹約、

贅沢禁止令の類が正義とされ、繁栄経済を悪とみなす筋

書きであるが、左翼社会主義の統制経済は貧乏礼賛、金

ち禁止の悪魔思想である。

 

 市場主義経済の基本は、「神の見えざる手の調和」と

う考え方である。

 すなわち、人々のモラルに支えられるということであ

る。

 モラル教育、宗教教育が弱体化した社会では、神の手

が平手打ちを食わせる手にもなろう。

 恐慌といのは、いわば、神の手による調和の手法だと

も言える。

 

 中道とは、信仰とモラルに支えられた良識と志のある

断を言うのだと思う。

 そのような経済を志向しなければならない。

 

 同様に、言論の自由についても、モラルが求められる

一方で、著作権思想の過度の言論統制出動には水野的な

貧乏神思想を警戒しなければならない。

 元禄時代の繁栄をこそ良しとしたい。  

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         梅士 Baishi 
       

         

    

 

 

 

 

 

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする