すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 色葉を描く・・・ 人間性悪説の辻褄  キリスト教の原罪論のあやうさ

2011年10月12日 21時17分21秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 この道も  秋の色葉の  絵を描きぬ 

    梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 福岡の裁判所は大濠公園の城下にある。

 その裁判所下には、毎年秋になるとハナカタバミの花

が咲き乱れる。

 楠木の大木に絡まる蔦が色づくのが楽しみだとおもい

ながら、撮影の機会がない。

 

 裁判所下の山道が工事中で通れなかったので、仕方なく、

裁判所から大濠の鴻臚館に抜けるルートを探った。

 まさか、山道を舗装するつもりなのか・・・。

 裁判所に入ると、かつての司法試験時代の意識が時効

間際の戦犯のような、歪んだ時空を感じさせる。

 

 未だ、裁判所の世話になったことはない。

 もともと、裁判所の司法権力の一端をわが世の栄華に

しようかと思っていたものだが、窮屈な石窟のようではな

いか。

 

 王のみならず、裁判官と言えども、弁護士といえども、神

と法の下になければ法原理そのものが成り立たないと

いうのに、いつの間に神を死刑にしてしまったのか。

  

 福岡黒田藩の城は取り壊されて久しいが、その石垣は

美しい。

 白刃をみるようである。

 一度は天下を夢見た城である。

 天下は取れなかったが、心意気は示したのではないか。

 

 この時代、アジア統一の責務を果たしたいものだ。

 自衛隊の拠点こそは、この城跡にふさわしいのではな

いか。

 皇室の西国皇居を鴻臚館に戴きたいものだ。

 天皇よ、そのように。 

  

 

 

 

 

 人間性悪説の辻褄 


 「自由とは他人に依存することではなく、自己責任で苦労

をするということです。社会保障を求めることが自由なの

ではない。社会保障は自分の安全安楽を国家に要求する。 

 結果、重税を課せられる。

 自由を売り渡す結果の安全志向だが、結局は貧乏になる。

 だから、自由とは、他人に依存しないと言うことであり、他

人から奪おうと言う欲望ではないと言うことです。むしろ、

自由とは修行であり、他人に与えようというベクトルを持つ

ものです。」

 

 「そうは言っても、所詮、人間はみんな自己中心じゃあ

ないですか」と、土星人の女が言った。

 

 「それは、人間性悪説ですね。そういう考え方が昔から

あります。キリスト教もそうです。人間罪の子だという。

しかし、それでは人間不信であり、疑心暗鬼の社会にな

るじゃあないですか。最悪ですねえ。他人には頼らない

といったって、人間は一人では生きていないでしょう。

 

 だから、キリスト教では人間の原罪を認め、罪を告白し

て神の許しを得るのです。そして、神の心をわが心とし

て他人を愛し、許すのだと。

 

 自分の罪が許されるように、他人の罪を許せという理屈

を立てたんですよ。つまり、性悪説は信仰がなければ社会

が成り立たなくなるということです。」

 

 しかし、土星人の女は性善説に納得しなかった。

 自分は自己責任で生きているからいいのだと。

 

 性悪説+無神論では救いがない。 

 無宗教だということを、世渡りのパスポートにしないほ

うが良い。 

 信仰はないという宣言は、悪魔への誓いに他ならない

と知るべきである。

 

 それが分からないで、東大法科だなどと、あまり自慢し

ないほうが良い。

 司法・行政は、疑心暗鬼の魔女狩りや性悪な国民の管理

ではないのだから。

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

         梅士 Baishi 
       

         

  

    

 

 

 

 

 

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする