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+ ジュズダマのお宝・・・ 気分の良い貨幣経済の値段の原理についての一考察 

2011年10月01日 08時45分13秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 ジュズダマの  お宝温め  手を開き   

   梅士 Baishi 

 

 

 

 今朝の気温は20℃。

 次第に秋が深まっている。

 彼岸花の花見に出かける途中にジュズダマの花を見か

けた。

 

 ジュズダマの実はまだ花混じりに青かったが、次第に

のある怪しい色に輝いてくるのである。

 子供の頃は、ジュズダマを集めて、見せあいこをして

いたように思う。

 

 ジュズダマが繁っている小さな沼地があった。

 その奥には豚飼いのスラムがあった。

 そこに同級生がいた。

 ジュズダマの季節、彼が一番の財産家だった。

 彼から、ジュズダマをもらって喜んだ。 

 

 子供というのは大人が忘れた豊かさを持っているもの

と思う。

 その天使の心を見失わない世の中にしたいものである。

 それが文化ではないか。

 

 わが俳諧もジュズダマのようなものだ。

 もう1500粒を越えた。

 矢数俳諧の域に入ったのではないか。

 

 

 

  

 ジュズダマを  つないで遊び  子の宝

   梅士 Baishi

  



 子供の頃、子供の流通経済は、プレゼントか物々交換

だった。

 お金のやりとりはなかった。

 子供は、それぞれにお宝をもっていた。

 

 ジュズダマもそうだが、クワガタもとびきり人気のあ

るお宝だった。

 それ以外にも、勉強、歌、スポーツのできる子は、指

してくれるのである。

 子供の与える付加価値の対価は、感謝と尊敬だった。

 

 貨幣経済もそのように爽やかでありたいものだ。

 計算高い商売と、爽やかで気分の良い商売の違いは何

だろうか。

  

 

  

 

 価格以上に価値を生み出す消費であれば、感謝という

対価を伴うだろう。  

 どのような価値を生み出すかが分からない値段は、た

計算高い欲得の値段なのではないか。

 それならば、原価+の値段を相談するべきである。

 

 コストパフォーマンスの資料がなければ、値段はつか

ないであろう。

 つまり、売れない。

 新しいことができる、便利だ、というだけでは売れな

い。

 

 可処分資産の範囲内における遊びとしての面白さの値

は、遊び資産の中における遊びの序列に左右されるだ

ろう。

 では、ニューメディアの提供価格はどうだろうか。

 メディアに載せる情報価値に左右されるだろう。

 システム利用料が先行してはならないということであ

る。

 

 珍しいお宝である間は、無料提供して使う価値を実証

しなければ貨幣経済の価値は定まらない。

 貨幣経済は実績こそが価値なのではないか。

 投資であっても、確信のない投資はしないであろうか

ら。

 

 爽やかな経済に欠かせないもの、それは、尊敬と感謝

原理である。

 先行投資に始まる経済の鉄則ではないだろうか。
 

         

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

    

 

 

 

 

 

 

 

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