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+ 本丸炎上・・・ 奇跡続出・癌細胞消滅祈願の処方  幸福実現党候補者に思うこと  

2011年10月29日 20時23分05秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

神楽坂の毘沙門天 

   

 秋落ちて  六畳一間に  将臥しぬ 

    梅士 Baishi 

 

 

 

 朝方は15℃くらいに冷え込むようになった。

 東京ではもう少し冷え込んだ。

 苦しそうな叔父の病床は離れがたかったが、息子娘で

さえ、自分の生活があるのだ。

 

 胃癌と腹腔内転移による吐き気が叔父の地獄の試練に

なっている。

 最期の戦をしている激闘の武士の姿にほかならない。

 壮絶である。

 自宅に帰って来られたのが、せめてもの情けである。

 

 叔父は島原の有家arie の出身である。

 有家の干潟にはなまこやマテ貝がいるという。

 「今度行ってみな。なまこは一年中採れるんだよ。潮

引いてゆくと潮溜まりに取り残されるんだよね。なま

こも食べたいなあ・・・」

 もはや、何も食べられず、何も飲めなくなった。

 

 家にかえった日、祝いたいほどの気持ちだったのだろ

う。

 「水、飲む?」

 「コーラが飲みたいなあ・・・」

 えっと思ったが、飲ませた。

 「あ~美味しい!」 

  


 しかし、やがて吐き気に苦しんだ。

 幸福の科学に「癌細胞消滅祈願」というのがある。

 10万円の植福祈願だという。

 それほど強烈な効果があって、奇跡の癌消滅が報告さ

れてもいる。

 

 しかし、奇跡というものは信仰あってこそのものであ

る。

 10万円で治るなら安いものだ。

 しかし、祈願植福というものは、治る代償ではない。

 主のお役に立つならばという感謝奉納である。 

 奉納すべきは叔父の願いであればこそのものだ。

 勝手にするわけには行かない。

 

 あの世の最低限の導きはした。

 伯母は信じていない様子だったが、叔父はあの世に渡

ることを想定しているようだった。

 

 しかし、叔父には叔父の死に方があろう。

 悟りは個人の人生問題であり、その責任である。

 安易なご利益信仰は信仰への冒涜である。 

 湯布院正心館の祈願をと思ったが、やめることにした。

 

 しかし、癌治療については疑問がある。

 もう手遅れだということで、外科手術をしないで縫合

したというが、癌の苦しみを軽減するための手術はでき

たのではないか

 そうしていたら、癌は治せないまでも、吐き気からは

救うことができたのではないか。

 そうした疑問が湧いてくる。

 

 医者になるべきではない者がたくさん医者になってい

る。

 医者もまた、政治家同様、信頼と権威を失っているこ

を恥じるべきである。

 医者の多くが医療保険に群がるキン蠅・ギン蠅なので

ある。

 

 医者がいてもいなくても、人は何れ死に、往生するこ

ができる。

 ストレス社会にわいた蛆蠅が医者の大半なのだ。

 その上、いずれ医者がいらない時代になる。

 原始時代の職業人よ、その傲慢を恥よ!

 

 信仰なくして祈願なし。

 信仰なくして名医なし。

 政治も教育もまた信仰あってこその聖業である。

   

 

 

 

  幸福実現党に思うこと 


 幸福実現党の立候補者はエル・カンターレの戦士であ

る。

 大隈重信の霊言に語られているように、幸福実現党は

恐れを知らない硬派である。

 妥協なき正論を正々堂々と訴えている。

 

 原子力発電の必要を訴え、民主党左翼政権を批判して

いる。

 中国、韓国の侵略に対して断固たる独立防衛を主張し

ている。

 増税こそは不況をさらに悪化させることを警告し、財

官僚の陰謀を批判している。

 マスコミを敵に回して言論戦を仕掛けては落選してい

る。

 

 政治家たる者、こうでなくてはならない。

 タレントやばら撒き政策の甘言を並べる候補者でなけ

れば当選しないという民主主義は邪道である。

 その国民の軽薄で不甲斐ないことよ。

 

 しかし、他方、幸福実現党の候補者にも甘さがある。

 いわば、雇われ立候補者が多いと言うことだ。

 立候補の供託金を負担している候補者がどれほどいる

のだろうか。

 供託金くらいは自分で出すべきだ。

 

 事情は他の政党も同じなのだが、井戸塀議員の覚悟

なければ、本当の真剣勝負にはならないのではないか

思う。

  

 

 

 

 候補者の選別が今一つ幸福の科学内においても信頼さ

れていないのではないかと思えるのである。

 政治リーダーにふさわしいという認定が定まらないま

に立候補するというのでは安易と言わざるを得ない。

 結局は数合わせ、間に合わせということになるからで

ある。

 

 次の選挙までには、立候補にふさわしいという認定が

論戦を通して求められるところである。

 それが、大隈重信霊言の指摘でもあると思う。

 立候補にはそれなりの覚悟がいるが、それだけでは不

である。

 幸福実現党だから投票するというのでは不足である。 

  

 各候補者が研究し、発見し、企画して自分の見解を論

るべきである。

 護送船団方式の立候補であるならば、所詮、未来創造

の政治力は期待できないからである。

 真剣たるべし。

 


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

    

 

 

 

 

 

 

 

  

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