冷房は 昆布うどんの 湯気を吹き
梅士 Baishi
今日の昼ごはんは久々の昆布うどん530円だった。
基本、300円だろうに・・・。
スタグフレーションだろうか。
きしめん風でうまいのだが、店に品格がないから、滅
多に入らない。
あつものに懲りてナマスを吹くというほどではないが、
うどんはやはりフーフーと吹きながら食べる。
そして、ふ~っと一汗をかくのである。
蕎麦を食いたいと思うが、座席が狭苦しくて貧乏臭い
ので嫌いである。
都会だからこそゆったりとした時間と場が欲しい。
蕎麦屋の狭さは、かつて小柄だった日本サイズなのだ
ろう。
日本人は肥満化している。
肥満人こそ蕎麦を常食とするべきなのだ。
もっとも、自分は66kg、胴囲85cm。
少しやばいかもしれない。
蛍光灯が白々としている食堂も気に入らない。
日本人らしい、こまやかな心遣いが感じられない。
まだまだ、サービス業の人材が育っていないと思う。
近くにオープンしたすし屋も一年足らずで撤退した。
ランチ1000円で12貫のすし定食だったが、次第にネタ
がうすっぺらくなり、ぐるぐる寿司より悪くなった。
本物を出したほうがよほど良かっただろうに、自ら店
の品格を下げて客を失ったと思う。
本物の時代だというのに、安かろ悪かろの経営をする
のだから、経営感覚に問題がある。
この時代、安くても良くなくては満足されない。
学生なら、質より量だろうが、ビジネスマンは貴重な
昼の憩いをランチにも求めている。
だから、仕事は愛と知恵なのだ。
総裁の香港講演での質疑応答を読んでいて、つい涙が
でそうになった。
彼女は「仕事と愛」という著書をバイブルにように読
み続け、その偉大なるマスターにこうして会ってお話を
聞くことができることの喜びを語っていた。
自分たちはもっと膨大な本を読むことができる。
しかし、海外の悟りたる信仰者の気持ちが手に取るよ
うに分かる。
総裁の本に出会った頃の自分を思い出すと、共感する
のである。
中国にも、そうした光の天使というべき悟りの人々が
ちりばめられているのだろう。
人間には上根、下根のレベル差があるというが、自分
はもちろん、上根である。
信仰という悟りの幸福を得られていることをうれしく
思う。
信仰の喜びと言うのは、自我我欲のくびきから解放さ
れるということである。
すなわち、この世の恐怖に支配されないで済む。
信仰者にとって、自分らしさという信仰を人から奪わ
れるということがない。
不惜身命、潔く死ぬことの誇りをこそ求めている。
それこそは生きがいである。
それが分かれば上根であり、分からぬ者は退化気味の
下根である。
拝金主義を恥とせよ。
自己中心を恐れよ。
しかし、清貧をよしとはしない。
繁栄をこそ求める。
幸福とは貧困ではなく、精神的にも経済的にも豊かに
なることだ。
与えるものはさらに与えられるという経済原理を実証
したいものである。
【 日本女性は美しい 】
世界陸上女子100mの準決勝を見たが、福島選手のか
細いこと。
そして、なんて女性らしいことかと思う。
男のような筋骨隆々の女性アスリートの中で、誇らし
くさえあった。
その中で、堂々と11秒台で走り抜けるのだから、素晴
らしい。
筋肉質でなくても良い。
女性アスリートの美しさを世界に示してくれれば良い
とさえ思う。
自信を持って走り抜けたら、決勝に進むことも夢では
ない。
日本人アスリートよ、風のように吹き抜ける美しさを
表現して欲しい。
スポーツもまた、心の豊かさ、美しさを表現する文化
なのだから。
決勝では気後れしたのかもしれない。
次は、女神の如く、天女の如く、風の如く走り抜けて
欲しい。
女性スポーツの魅力を世界に見せて欲しいと願う。
スポーツ科学の課題としては、体重が軽くて、ピッチ
の早い走法を最大限のスピードに変えるにはどうしたら
良いかという問題がある。
スパイクと重心調整の問題があるかもしれない。
日本人女子アスリートの美しさをサポートせよ!
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi