炎天も 芙蓉の花に あやされて
梅士 Baishi
飾り気のない街の一角に、毎年楚々とした芙蓉の花が
咲く。
今年も見事な花が開いていた。
大和心の美しいことよ。
騙し心の中国とは、くらべようもない品格である。
芙蓉の花が好まれるのは、その品格ゆえであろう。
さて、人間の品格とは何か。
気高さと言うことでもあるが、卑しからざるという表現も
ある。
すなわち、富者であっても、貧しくても、犯しがたい毅然と
した風格があり、この世の利害に左右されない潔さを持っ
ているという存在感であろう。
風格とは文化の香りでもあろう。
文化とは、豊かな心の世界の思想と表現力である。
この世の利害とは自己保身の排他的欲望である。
毅然として生きたいものだ。
ふと思うことがある。
今世は早めに幕を引いて、早めに生まれ変わるというの
も良いのかもしれないなと。
特例ですぐに生まれ変わることが許されるならば、成人
するころにも、まだエル・カンターレはぎりぎり生存してい
らっしゃる。
だが、責任逃れにも思える。
それとも・・・。
しかし、今世に活躍できると言う期待はない。
自己保身が働くからでもあろう。
ならば、完全に自己保身の観念を捨て去るという生き方
をしてみようか。
博打的人生に貧乏くじをひいたのならば、次は捨て身
の人生で幕を引くというのが進化形というべきだろう。
そのためにも、しっかりと知力体力を磨いておかなければ
ならない。
【 平等とは人間関係にあらず 】
平等と言う言葉は圧倒的な神の愛の姿であって、人間の他人に
対する態度ではありえない。
平等愛とは、いわば、一切の生き物を生かしめる太陽の光と磁場
のような働きを言う。
これを受ける生き物同士の関係を言うのではない。
平等とは権利でもなければ他人に与えるべきものでもありえない。
人間が主張する平等とは社会主義の支配をカモフラージュする虚
言である。
であるから、軽々しく男女平等などと言うべきではない。
平等だというなら、男と女を作るべきではない。
スポーツもハンディーなしに男女を競わせなければならない。
まさに、悪魔の思想である。
平等思想は悪魔の虚言である。
尊敬しあうこと、それが愛である。
人の行う平等は傲慢であり、神に成り代わる邪悪な支配欲である。
軽々しく平等を主張するものを警戒せよ。
彼らは悪魔か、悪魔の手先か、悪魔にそそのかされた者たちであ
る。
悪魔の嘘を見抜くべし。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi