UFOを 待ちたる空の ツバメかな
梅士 Baishi
今朝の気温は24℃、もう、絶対初夏の気温である。
初夏の風景は忙しい。
クンシランは散ってしまったが、鬼百合が頂点を極めつつ
林立している。
ジャスミンは盛りを過ぎたが、まだ花の香りを残している。
ぶどうは小さな巨砲の房の手を開いている。
クロユリは茎が折れたために、とうとう枯れてしまった。
主がいない間に枝を切られた柿も新緑を迎えることなく枯
れてしまった。
今年で8年目になろうという種植えの柿だった。
柿切る馬鹿に梅切らぬ馬鹿という。
心無いことをしてはいけない。
7月には、クジャクサボテンが咲きますように!
大川隆法著 幸福の科学出版刊 『宇宙からの使者』の中
に、猫型宇宙人が登場した。
凶暴なレプティリアンの星で知られるマゼラン星雲のゼータ
星からつれてこられたのだと言う。
レプティリアンの食料件お手伝いという扱いだったそう
である。
猫のルーツが宇宙人だったとは!
しかし、かわいそうでもあり、かわいらしくもあった。
猫には沢山の思い出がある。
その中でも、クロコニャンコ物語が思い出される。
30年近い昔のことである。
孤独なディズニー少年のように、裏庭にミルク皿を出して、
野良猫を手名づけて観察していた。
その中に、いつも順番が回らないで、このまま死ぬのを
待っているんだろうなあというクロコニャンコがいた。
兄弟たちが去ったあとに、追加のミルクをやった。
やがて、思い直したようにミルクを飲み始めた。
そうして、元気を回復していったのだった。
ある日、窓を開けたままにしていると、クロコニャンコが
家に入って階段を上っているところだった。
振り向いたときのクロコニャンコの姿がなんとも切ない少女
のようで目に焼きついている。
あの娘は特に人間ぽかった。
きっと、人間に生まれる準備段階にいたのかもしれない。
猫よりも犬のほうが好きだが、猫の起源を思うと、少し優し
くしてあげないといけないなあと思う。
いじめられた猫族が、ライオンや虎になっただなんて・・・。
悲しい話ではないか。
動物や植物には優しくしたいものだ。
食料とせざるを得ないこともあるが、役割とはいえ、思い
やりをもっていただきたい。
しかし、感情のある動物よりも、魚のほうが罪が少ない。
【 死の倫理 】
人間は全員、やがては死を迎える。
死後は心の世界のままの霊界に所属する。
悪夢のようであったり(地獄)、死ぬ直前の状態であったり
(自縛霊)、光あふれるふるさとで新しい生活を始めたり
(天上界)という死後の人生に転換する。
死後の世界を認めない人は、地獄的な自縛霊コースで
ある。
しかも、それが地上の人に祟る(依存する)からよくない。
死の倫理でもっとも重要なことは、人間の本質が肉体で
はなく、霊であることを否定しないことである。
否定する根拠はなく、認識の限界に過ぎない。
即ち、非生産的な心情に過ぎないわけである。
死ぬ直前まで人生の途上にあって、その先があると知
るべきである。
後は野となれ山となれという無責任は通らない。
いわば、この世の人生はテストであり、実験でもある。
試合であり、ステージである。
死の倫理、それは、「人生は一冊の問題集」という言葉が
よく言い表しているのではないか。
だからこそ、自殺は許されない責任放棄である。
しかも、その時の心情が地獄的であるのが一番良くない。
失望、嫉妬、恨み、責任転嫁、投げやりという不幸感覚
だからである。
人間には明るく前向きに死ぬことが求められている。
それを、死に甲斐というのだ。
高度に発達した宇宙人は、霊界宇宙と三次元宇宙を自在
に行き来していると言う。
この世が全てなどと思い込んでいる原始的な人間は、とう
てい宇宙人との交流には耐えないであろう。
すなわち、これからの文明展開のボトルネックになる。
だからこそ、幸福の科学が先を急いでいるのだ。
そのような大変な時代に、自殺なんて考えられないことで
ある。
死にたい人は、その前にボランティアで幸福の科学を尋ね
てほしいものである。
どうせ死ぬんだったらいいでしょ。
鬱に陥る前に、考えてほしいことである。
しかし、鬱に陥ったら、これはもう、ひたすら休養をとる
のが良い。
疲れすぎているのだから。
田舎の温泉町でありったけのんびりして、おいしいものを
食べて、沢山寝て、雄大な宇宙を眺めて、ときどき、宇宙
人とお話をすると良い。
きっとその先が知りたくなって、希望が復活してくること
だろう。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi