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移植から3年目、生きてます。

明日4日、移植から3年目を迎えます。

今も生きてます、そしてたぶん明日も。


生きているからあの時の、痛みも、苦しみも、悲しみも、感じられます。

生きているから思い出すことができます。





この3年間のことを思うと、やはりというか、どうしてというか、辛かった
ことをまず思い出してしまいます。

痛みも、苦しみも悲しみも一生分味わい、一時は絶望感もあった中で、特に、
K病院で初めて「移植」の説明を受けた日のことは今でも鮮明に覚えていま
す。



話しを聞いたのがどんな部屋だったかも、F先生とコーディネーターさんが
どこに座っていたのかも。

となりに妻がいて、その隣に父がいて、二人の姉が自分の右手前に並んで座
っていたことも。

努めて冷静に、穏やかな表情で、時にきっぱりと、F先生が話したことを。



移植手術の前後のことはいまだに思い出せないのに、この時、F先生がどん
な話しをしてくれたのかも、その内容まで良く覚えています。


まるで昨日のことのようで不思議な感覚です。





「前触れが無い」「突然」、これがどんな意味を持つか、ある一部分だけが、
印象の深い強烈な一部分だけが、切り取られたように残ってしまいます。

そしてそれ以外の、自分にとって不利益なこと、辛いこと、思い出したくな
いことを、自然に、感覚として削除してしまいます。





今、普通に生活をしている中で、記憶になかったことで少しずつ思い出すこ
とが出てきました。

3年経ってようやく、です。


妻には、「無理して思い出さなくても・・・」とも言われます。

苦しかったことを思い出さなくても、とも思いますが、これで「生」を実感
するのも確かです。





そしてこの病気をきっかけに始めたブログも2年を過ぎました。

ブログを通じてたくさんの励ましや応援、情報、そして貴重なご意見を頂い
たみなさま、改めて「ありがとうございます。」
コメント ( 20 ) | Trackback ( )
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