エルダーBP

登山 写真撮影等多趣味ですが最近は卓球で登山のためのトレーニングして 山岳写真撮影に励んでいます。

イムジャツエ(アイランドピーク)登山報告、23日ー25日の巻  

2012-12-18 | 海外遠征
1)23日 室温5℃ SPO2 N=58/分、82% Iさん59/分95% IさんSPO2は良いが高山病の症状有り、再度ダイヤモックスを渡す
8時30分ディンポチェー10時30分 チュクン着 午後急斜面のロープを張り、ユマーリング等ロープワークの練習
Nの羽毛服の羽毛量が少ないということになり羽毛入りのアウターを借りる(300ルピー/日)
ガイドはテントなどBCで必要な装備をレンタルする。
ガイドからハイキャンプは寒く大変なのでBCから日帰りでアタックを掛けるように提案がある。しかしその場合BC(4950m)から1200m以上の標高差があり、私の体力では無理と当初の計画通り、HC(5400m)を設営するように依頼、了解を得る。
しかしその後Iさんが高山病を理由にBCまで行、引き返えしたいと提案が有る、この条件でをガイドと再度交渉するが、トレッキングガイドがIさんに同行するので、ハイキャンプに荷揚げするパワーが不足する、そこでBCから日帰りでアタックすることに同意した。この時点でほぼ登頂を諦めたことになる。
2)24日 SPO2 N=68/分、90% かなり改善、Iさん70/分 93% SPO2は問題ない
 9時40分 チュクンー12時25分 BC着、14時Iさんチュクンに戻る、ガイド用テントに行き夕食を食べる、料理は主に登山ガイドが作るがポーターさんが咳をしながら手伝う、砂塵飛び交うテントの中では食欲が出ない。
3)25日 午前1時起床、韓国製カップ麺を食べ、1時30分ころから歩き出すー途中後続の数パティーに追い越される。BCにはストックを持ってこなかったのが悔やまれる、ピッケルでは風に対し体を支えられない。3時頃HCの底部に着くが、追い越して行ったパティーが風に耐えることができず、下山してくる。ここで私も決断し、下山に入る。
4時頃BCに着き、明るくなるまで休憩する。
8時ガイドから先に行くようにアドバイスが有ったので1人で下山開始、チュクンに着く30分位前に合流し、10時15分チュクンに帰る。
Iさんは近くの丘にハイキング中で帰りを待ち、ディンポチェまで下る、15時ディンポチェ着 、体調 少し咳が出るようになるまた下痢気味

イムジャツエ(アイランドピーク)登山報告、20日ー22日の巻 

2012-12-18 | 海外遠征
1)20日 室温8℃、SPO2、N 63/分、90%、Iさん63/分、92%、二人ともOK
8時 ナムチェバザール 発ー9時30分 キャンズマー9時50分 ゴーキョピークに向かう道との分岐ー10時35分 ブンキ・テンガ 昼食ー13時15分 テンボチェ
 途中カラパタールに向かった山ガールがガイドと下山して来る、高山病の症状が出て、他の人と別れて来たそうです。比較的大きなパティーの場合、高山病になる人が出るこことを前提にガイドの数を決める必要がある。
2)21日 朝 2.2℃ SOP2N=55/分、91%、Iさん63/分、85% 
7時50分 テンボチェー8時40分休憩、鳴海と富山から来た人(ベテラン、複数回イムジェツエに登頂)2人に会う、イムジヤツエに登頂したが(BCから15時間かかった)残りの仲間は高山病などで登頂できずこの2人より先に下山したという情報を得る。
10時20分 ソマーレ 休憩 -13時20分 ディンポチェ着
3)22日 高地順応日 朝室温5℃ 外気温は0℃以下 SPO2 N=60/分、88%、Iさん 67/分、91%、ただしIさん高山病の症状がでたのでダイヤモックスを渡す。
 近くの丘まで登り順応を促進する。カラパタールに向かう札幌から来たご夫婦に会う、彼らはガイド無で、ロッジ泊、安いロッジは200ルピーくらいと言う情報を得る(食事で商売)、標高4600mくらいまで登り戻る
ガイドとの会話で情報を得る、①トレッキングガイドは3000名位、登山ガイドは300ー500人位居る、シェルパ族の人口は30万人位、最近1万人位の規模でニューヨークを中心に米国に移住している。