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登山 写真撮影等多趣味ですが最近は卓球で登山のためのトレーニングして 山岳写真撮影に励んでいます。

世界の少数民族ー6 アンダマン諸島の先住民、ジャワラ族の巻

2011-09-21 | 民族学、考古学!?
ウイキペディアから引用
アンダマン・ニコバル諸島、英語: Andaman and Nicobar Islands)は、インド洋のベンガル湾南部に位置するインドの連邦直轄領である。北緯10度線の北側がアンダマン諸島、南側がニコバル諸島である。アンダマン・ニコバル諸島の主都はポートブレアである。また、インド政府が国防上の理由により、外国人の立ち入りを制限している。理由としては、マラッカ海峡への航路を扼する位置にあり、防衛戦略上の要地となっているためである。また、原住民の保護政策の一環の意味合いもある。

概要 [編集]面積 8293平方キロ
人口 277,989人
主都 ポートブレア
識字率 73.74%
主要言語 各部族の母語、ヒンディー語、タミル語及びベンガル語
語源 [編集]アンダマン (Andaman) という名前は、マレー語でヒンドゥー教のハヌマーン神を意味するHandumanに由来する。 また、ニコバル (Nicobar) は、マレー語で裸の人々の土地という意味である。その名の通り、小アンダマン島、大ニコバル島には合わせて5部族の先住民がおり、計800人ほどが石器時代と同様の狩猟採集生活を行っている。

歴史 [編集]アンダマン・ニコバル諸島は、18世紀にマラータ同盟によって占領された後、イギリスによって支配された。イギリスはここを流刑地としており、インド及び周辺国で反イギリス的な活動を行った政治犯などを送り込んでいた。このような刑罰はヒンディー語で黒い水を意味するカーラーパーニー (काला पानी, Kalapani) と呼ばれた。ポートブレアの独房監獄は英領インドの「シベリア」と見なされていた[要出典]。

原住民たちはイギリスの統治のなかでも狩猟生活などにより自給自足の生活を営んでいた。それに対し、イギリスが送り込んだ流刑民及びその子孫は土木工事や木材生産に従事し、代償として配給される食糧等の物資を頼りに生活を送っていた。これは従属性をコントロールする意図もあったと考えられ、農業はココナツの栽培など粗放的な限られたもので、米や麦などの主要穀物が生産されることは無かった。

第二次世界大戦に入ると日本軍がポートブレアに上陸(1942年3月23日)。日本はアンダマン・ニコバル諸島をスバス・チャンドラ・ボースによる自由インド仮政府の統治下に置いた。ボースは大戦中にアンダマン・ニコバル諸島を訪れ、アンダマンを殉教者を意味するシャヒード (शहीद, Shaheed) に、そしてニコバルを自治を意味するスワラージ (स्वराज, Swaraj) に改名した。インド国民軍のロガナサン中佐がアンダマン・ニコバル諸島を統治した。一方、イギリスは東南アジア方面への反攻への足がかりとするため諸島の奪還を企画、海上封鎖を行い物資の補給を途絶させた。農業生産が行われていない島内では餓死者を出す事態となり、戦後、数十名の日本軍関係者が責任を負わされ、BC級戦犯としてシンガポールにて処刑されている。

アンダマン・ニコバル諸島は、1947年のインドの独立によりインド領となった。

2004年12月26日、アンダマン・ニコバル諸島沿岸は約千年周期とされているスマトラ島沖地震による高さ10mに達する津波によって、壊滅的な打撃を受けた。控えめな見積もりでも、この災害でアンダマン・ニコバル諸島では少なくとも7,000人が死亡したとしている。

ここまで、ウイキペディアを引用

【1月26日 AFP】インドのアンダマン諸島(Andaman Islands)に暮らすジャラワ(Jarawa)族が密猟者や観光客の不法侵入により存亡の危機に瀕していると、先住民支援団体サバイバル・インターナショナル(Survival International)が24日、警告を発した。

同団体によると、ジャラワ族人口は365人にまで減っており、前年1月に最後の1人が死亡した同諸島のボ(Bo)族と同じ運命をたどるのではないかと懸念されている。人口減少の原因としては、ジャラワ族が食糧とする動物の密猟、観光客が持ち込む病気などが挙げられるという。

ジャラワ族はアフリカからアジアへ移り住んだ初めての部族と考えられており、森の中で遊牧生活を送っている。1998年までは強硬に外部との接触を拒んでいた。
アンダマン諸島では、先住民を保護する法律のもと、集落への立ち入りが厳格に規制されている。その一方、自然が豊かで、白い砂浜がある同諸島は観光地としての開発が急速に進んでいる。

同団体は前年6月、ジャラワ族などを間近で観察する「ヒューマン・サファリツアー」を実施したとして、インドの旅行会社8社を非難した。

ベンガル湾に浮かぶインド領アンダマン諸島で、先住民が話していた二つの言語の最後の話者が相次いで亡くなり、両言語が絶滅した。現地の言語を研究しているネルー大学のアンビタ・アッビ博士が明らかにした。

 亡くなったのは、ボロさん(79)とボアさん(85)。2人は「大アンダマン島人」と呼ばれるネグリート(黒色人種)系先住民族の末裔(まつえい)で、同民族の中の各部族が話す四つの言語のうち、それぞれコラ語とボー語を母語とする最後の1人だった。

 2人は話し友達で、ともに2004年のインド洋津波で被災した。昨年11月にボロさんが亡くなると、ボアさんの衰えが目立つようになり、先月26日に死去したという。

 19世紀に英国が植民地化した時点で、大アンダマン島人は約5千人おり、10の言語が存在した。しかし、外部から入ってきた伝染病や戦闘などで人口も言語の種類も減り続け、今は約50人が保護区内で暮らすだけだという。

以上、アンダマン諸島(Andaman Islands)に暮らすジャラワ(Jarawa)族は存亡の危機に有り、彼らが森で暮らしている時の画像を探すことが出来ませんでした。

彼らは人間ですが、パンダやトキのような絶滅危惧種として保護することが重要と思います。
ただしその生活や文化まで保存することは、非常に困難な作業ですが、彼らが生活圏内にしているジャングルを大きく設定し、立ち入り禁止にすれば、可能性は有ると思います。
インド政府の英断を期待します。