英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

女流棋士誕生35周年記念パーティ④

2009-05-31 22:15:19 | 将棋
 会場に入ると、佐藤九段と目が合った。
「やあ、英さん、ようこそ」


 なんて、言うはずないです。はい。

 会場に入ったときは、私は、まだ、マスクをしていた。マスクに目がいったのかもしれない。佐藤九段は「誰だろう?」と言うような表情だった。

「どうも、久しぶりです」
と、言いたかった。そうすれば、真面目な彼は、必死で記憶をたどったのではないだろうか?ありもしない記憶を。
 米長会長のあいさつの最中、そんな軽口はできないし、そうでなくても、小心者の私には、そんなことはできません。




 米長会長の講話、平沢勝栄衆議院議員の祝辞も終わり、島田良夫アナウンサーによる女流棋士ひとりひとりの紹介。
 短いながらもユーモアを挟んでの紹介、30名を越えるが、飽きることなく聞くことができた。

 プログラムを見ると、米長会長の講話の前に、谷川治恵女流棋士会会長の開会挨拶があったようだ。
 その内容(米長会長講話も)が分からないので、なんとも言えないが、このパーティは女流棋士誕生35周年記念パーティのはず。35年前に女流棋士が誕生した際の話ってあったのだろうか?
 なぜ蛸島さんがいないのだろうか?
 そりゃ、女流棋士会分裂云々があって、LPSA(日本女子プロ将棋協会)に所属する蛸島さんを呼びにくい事情は分かる。しかし、それでも、一期生の女流棋士は招待すべきであろう。そうでないと、パーティの意味がない。(招待したが、辞退されたのかもしれないが)


 講演は羽生名人。
 相変わらずお忙しい。名人戦第四局が20、21日、和歌山県の金剛峰寺で行われ、その翌日(22日)に帰宅したとすると、休む間もなく、今日(23日)にこのパーティである。
 それでも、女流棋士誕生記念なので、女性が指した最古の棋譜を調べて、その将棋の簡単な感想を述べられていた。

 講演の始まる前に、ブログをチェック。観戦記者の小暮さんがコメントを付けてくださっていた。
 「一杯いかが?」
というお誘い。
 おお!思わぬ方からのお誘い。一も二もなくお受けいたします!
 すぐにでも、コメントを返したかったが、羽生名人の講演の最中、返信を打つなんてことはできない。講演終了後、返事を打つ。




 小暮さんとは、2年前の福井での王位戦第一局の時、居酒屋でご一緒させてもらったことがある。
 ご一緒といっても、解説担当の鈴木八段を見つけ、サインをねだったときに、二言三言、言葉を交わしただけである。
 ちょうど、将棋世界での氏の観戦記を読んで、「難解な将棋を、詳細な変化まで記述しつつ、良く練った構成で、噛み砕いて解説しているなあ」と感心したところだった。
 お顔は『プレイバック2006、名局ベスト10』の観戦記者編で知っていた。それで、
「観戦記者の小暮さんですよね」
と、声を掛けた。
 ちょっと、驚いた顔をして
「ええ、そうですが」
「将棋世界の名人戦第六局の観戦記、解説が詳細ですごく良かったです」
というような上から目線の言葉を言った記憶がある。
 でも、小暮さんも、意外な場所で褒められ、少し嬉しそうだった。


 それから、一年半後、今年の2月に、氏と意外な接点を持つことができた。
 『将棋SNS』の私の日記を目にして、コメントを付けてくださったのだ。さらに、私の過去の日記まで目を通してくれて、あの時の居酒屋でのこともつなげてくださったのだ。
 一年半もさかのぼって読んでくれたのだ。これは嬉しい。


 そんな彼と再会でき、一杯ご馳走してくれるというのだ。嬉しい。
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女流棋士誕生35周年記念パーティ③

2009-05-31 13:21:29 | 将棋
 気がはやるのか、東京到着の車内アナウンスを聞くとすぐに、立ち上がりデッキに向かった。パーティ開始は5時、東京着は4時10分。50分あれば、ホテルにチェックインしてから、会場の東京會舘に向かえばちょうどよい時間だ。もたつかなければ。で、少しでも早くとデッキに向かったわけである。しかし、

 「しまった」
 先頭になってしまった。ホームに降りてから、どちらに進めばいいのかわからんぞ。降りた瞬間に立ち止まるのは、かっこ悪いぞ。端歩でも突いて、一手溜めておくべきだった。
 軽い後悔をしながら、ホームに降り、右に向かった。先頭よりの車両にいたので、進行方向と逆に向かった方が中心部に行けるのではないかと思ったからだ。
とにかく、それが正しかったかどうか分からないが、なんとなく人の流れに乗りながら、出口に向かう。
 宿泊のコスモポリタン丸の内ホテルは日本橋口直結らしい。でも、その日本橋口が分からない。ホテルのサイトの案内図を思い出すと、確か東京駅のほぼ真北。なので、丸の内側でも、八重洲側でも、どちらでも大差はないはず。「丸の内」という名前なので、「丸の内北口」を目指すことにした。
 最善手ではなかった。八重洲側だった。それでも、はっきりとした悪手ではないはず。「コスモポリタン丸の内ホテル」を探した。
 悪手だった。「コスモポリタン丸の内ホテル」というビルはなく、サピアタワーの27階からがホテルだったのだ。サピアタワーをスッと通り過ぎ、コスモポリタンホテルというビルを捜し求めた。
 ビルの最上部に「コスモポリタン丸の内ホテル」という看板が掲げられているはず……田舎モンである。そう言えば、田舎モンほど路上のガムを踏む。看板や標識を探す。下に気を配らないからである。

 駅から離れてしまい、流石に間違えたのに気付く。来た道を引き返すのは、格好悪いが、引き返し、近くにいた守衛さんに尋ねる。
「向こうの角を左に曲がって、真っ直ぐ行くとあります」
 人生、間違えた後が肝心なのだ。と、力強く歩き出す。曲がった後、ちょうど、また守衛さんがいたので、確認をする。なかなか便利だ。

 サピアタワーは7階から26階はオフィスビルで、1回のホテルロビーと言っても、エレベーターホールになっているだけだった。半信半疑でエレベーターに乗る。27階がフロントらしい。

 ようやくチェックインができ、カードキーを渡される。宿泊ゾーンの自動ドアはこれをかざさないと開かないらしい。自室に入るにもかざして入らなければならない。
 か、かざすのか?
 さすが都会、恐るべし!

 と、感心している場合ではない。時間が切迫している。
 あわてて、部屋に入り、パーティチケットなど必要なものを揃えて、部屋を出る。フロントに行き、東京會舘への行き方を尋ねる。
 詳細な地図をくれて、その地図を使って、丁寧に教えてくれた。しかし、それで安心してはいけない。建物を出てから、まず、左に向かうのか、右に向かうのかを確認。これが肝心だ。ホームでの教訓を活かすのだ。賢いぞ、俺。

 地図を見ると、JRを越えて、3つ目の信号を左折。それから皇居外苑に沿って、信号を2つ過ぎればいいらしい。
 「少し遠いので、タクシーを手配しましょうか?」
 「いいえ、大丈夫です」
 田舎モノの体力を舐めてはいけない。


 東京の交差点のスケールの大きさを舐めていた。
 行幸通りの横断歩道なんて、めちゃくちゃ長いぞ。
 もう少しだろうと、またまた守衛さんに尋ねると、まだ、500mぐらいあるらしい。恐るべし、都会!
 マスクをしているので、暑い!眼鏡がくもる。

 ようやく、東京會舘に到着。4時10分を過ぎている。慌てて、9階の会場まで駆け上がる。うそです。エレベーターです。
 フロアに着くと、受付が。券を渡すと、
「もう始まっています。あちらへどうぞ」

 あちらへ行って、正面の方を見ると、佐藤康光九段が待っていた。




【福井県の位置】
コメント (4)
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