さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

散歩道3月c

2018-03-24 14:59:58 | ダイアリー

丸子川の桜はまだ三分咲きです




三分咲きでも沿道は華やかです


ハナニラ


多摩川台公園へ


お花見はもう少し先です


梅は終わりました


皆さんの後について 行きまーす








宴会ほど 桜はまだ乗ってきていませーん(ね)


でも この木は 結構咲いてます 立ち位置によるのかなぁ?






雲をしばらく眺めてました 好い季節になりました



丸子川の桜を見に行くと まだ三分咲きでした。

もう少し咲いているのではと 
多摩川台公園へ行きましたが、
ここも三、四分咲きでした。

ただ 皆さんの後をついて 古墳広場まで行くと
ほぼ満開の桜もありました。

乳母車が目立ちましたので…

小さなお子様連れなら
あまり混まない 満開前の今日日あたりが 見ごろなのでしょう(ね)
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ロングウォーク…

2018-03-24 11:24:49 | 抜き書き


<犬を連れて近くの森の十キロコースを歩きながら、ここ数時間の出来事を頭の中で整理したいと思っていた。が、できなかった。・・・・・なにかを考えはじめても、足を地面につけるたびにそれが振り払われていくような気がした。思考につかみどころがないので。すべてがふわふわと漂ってる。珍しいことだった。少し恐ろしいとすら感じた。これまではいつだって、得た情報を頭の中で処理し、動きながらでも素早く判断を下せた。・・・・・ところがアレクサンデル・セーデリングからの電話で生まれたのはむしろ、諦念のようなものだった。過去として片付いていたはずのできごとが、過去のままでいてくれなくなったことへの倦怠感。>M.ヨート & H.ローセンフェルト ヘルンハルメ美穂訳「白骨」下P96より

注)諦念とは 辞書には 道理を悟る心。また、あきらめの気持ち。とありましたが、「やっぱり出てきちゃったなぁ 隠していたのに 参ったなぁ 嫌だなぁ」という心の動揺ではないかと思います。悪いことや失敗がうまくばれずに済んでいたのに 何かの拍子に あからさまになりそうになった時に 湧き上がる思いでしょう。

この一節が どうしても消えなかったのは 散歩と 考え事と 考え事すら許さない心配事と のかかわりでした…


散歩とは好いです(ね)この一節にある 人気のない十キロ コースとは贅沢な散歩ですが、日常に 散歩が 考えるひと時が あることは大切なことのように思います。車や自転車などの往来があまりない 気が散るようなものがないところが散歩がいいですね。考え事は そう 歩くテンポなどのリズムや 風や鳥の鳴き声などの小さな刺激で 結構 すすみます。 色々な状況把握や 分析や 想定問答などが 往々に ついてきますので…

考え事とは 頭の中での大量の情報のやり取りでしょう。ちょっと細かすぎますが、問題分析、状況の把握、判断の成否、判断ごとの将来予測などが 行われるということで、また 各ステージは 時系列的・位置的・立場的に事細かく分解/解析され、各所で分解された事柄や 情報片らが くっついたり 反応しあったりして 構成されるものでしょう。

考え事を許さない心配事とは 己や 身近なものへの 将来や生存に 大きくかかわる と思われる ことでしょう。ただ この大変なこととは 大概には take it easy で、然程でもないことを勘違いしているケースが多く 解消しますが、深刻にならざるを得ないことも 時には 起きてしまうもの。こんな時は 時間をおいて考える 頭を冷やす ロングウォークや スローなジョギングなどが おすすめかも…


昭恵夫人 散歩をする機会も時間も あったでしょうに… 
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