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明日を楽しく

釣り、カメラ、アマチュア無線、アウトドア、DIY、何でも思いっきり、明日の楽しさを求めて今日を生きる徒然日記

偕楽園・観梅         3月8日

2011-03-09 | 
4年ぶりに、偕楽園の梅を観に水戸まで行って来た。
前の日のテレビにで水戸地方に時季外れの雪が積もったと報じていたので心配にはなったのだが、前からこの日に行く事を決めていたので思い切って家を出た。

福島県中通地方は全く雪など降らなかったのだが、途中、茨城県境の峠付近には雪が少し残っていた。
大した事も無さそうだと思いつつ、約130Kmほど走って水戸に近づくと、だんだんと田畑に残った雪の量が増え、水戸市内にさしかかる頃には一面真っ白で驚く景色になっていた。


10時頃の入園となったので、偕楽園の南門は、南に面しているためか既に溶けて地面が出て居た



しかし、辺り一面は真っ白な世界で、東北から来た私が驚くのもおかしな話だが、珍しい風景だと感心しつつの景観でした。



園内も、勿論雪の庭園だったが、幸い気温がどんどん上がって10℃を超える暖かさで観光客は「雪上の観梅」を喜ぶ声が頻りに聞こえて居た。



テレビなどで報じられていた5分咲きの情報だったが、既に終わりに近い花の木もあれば、未だつぼみの木もあって、様々でだが見応え充分であった。



園内には、食用の白加賀が多いのだが、間に観賞種の赤やピンク更に緑がかった白など、名札を見ても憶えきれる物ではない



古木の見事な姿も目を引いた。



一つ一つの花に、夫々の趣がある



何時まで観ていても飽きないのだったが、久しぶりに歩き回ったので疲れを感じて適当に園外へ退散となった。
尚、この偕楽園は、入園は無料なのは有り難かったし、園内に建つ「好文亭」も70才以上は無料で観せて頂いた。更に近くにある茨城県立近代美術館も常設展は、70才以上は無料だったので、横山大観など素晴らしい絵を観て、ほんとうに楽しい一日であった。
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車内照明灯

2011-01-23 | 
最近、車内泊と言うのが流行っているみたいだ。 私は既に二十数年前からやっていたので今更!と言う面も有るが、しかし何年やっていても新しい工夫は尽きない。
最近車を変えたので、新規まき直しで今度の車に合わせた工夫が必要になって、新たなアイディアが楽しませてくれるのは嬉しい。

その一つが、室内灯が暗い。走行中に点けて地図を見たりする事はナビのお陰で殆ど必要無くなったが、車中泊とも成ると、停車中に車室内で何かするに、もう少し明るい照明が欲しいので何か工夫しなければと考えていた。



今回物置に仕舞ってあったキャンピング用の蛍光灯を活用する事にした。MAXELL製「蛍光灯ランタン」"FlingHat"と言う物だった。
単一乾電池4本で9Wの蛍光灯を点灯する物だが、単一乾電池4本を毎回消耗するのは勿体無いので、得意のエレクトロニクスを活用して電池の代わりに車の12Vから供給する事にした。

画像は出来上がった物に安定化電源から直流12Vを供給して点灯試験をした時のものだが、大変明るいので目的を達成出来そうだ。



単一乾電池4本で6Vだが、一般には6V有るのは電池が新らしい時だけで使用開始と共に少し電圧が下がるのが一般的だ。そこで直流安定化電源を使ってテストした結果5V程度でも充分に明るい事が分かったので、5V三端子レギュレータICを使ってテストして見た。結果は点灯するけど明るく無い。三端子レギュレータの容量は大きなタイプでも1Aなのだが、この器具に使われているFPL9EX-Nは、9Wの蛍光管として計算すれば6Vで1.5A流れる事に成る。

そこで今回小型の三端子レギュレータをパワートランジスタで増幅する事にした。これで充分な電流が供給出来ることになった。たまたま手持ちの有ったアルミの放熱器に取り付けて回路を作って組み込んだ。



組み込み状態が分かり易い様に裸で電池室の中に入れた状態で写真を撮ったが、実際にはビニールシートで包んで他の端子などに短絡しない様に配慮して組み込んだ。
出来上がって点灯試験の状態が冒頭画像だ。
接続コードの先端にシガレットライター・プラグを取り付けて完成。 勿論車の中でテストは済ませたので後は暖かくなってお出かけの際に現場で活用するのが楽しみだが、春が来るまでお預けで一件落着である。

ハンドルは本体に対して一回り回転するので下向きに吊り下げる事も出来るし、テーブルの上に置く事も出来る。色々な形で使えるので重宝しそうだ。

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世界遺産・白神ライン       6月27日

2010-07-13 | 
DXを肴にして語る会が散会したあと、帰路を同行のTさんと共に世界遺産 白神山地の北側を通って日本海に抜ける「白神ライン」から秋田へのルートを通る事にした。大鰐町から一旦弘前市内を通って、県道28号線に入り、西目屋村から白神ラインに入ることになる。

折しも弘前市内では何かのイベントをやっているらしく、小さな渋滞が有った。そしてその先で見たのは、ここでも「よさこい」踊りだった。

弘前城追手門、実は弘前城は前日ホテルに入る前に時間が有ったので散策して置いたのだ。

お城の本丸天守は、復元ではなく昔の建物が残されていてその立派な姿に感服した。

県道28号に入り、可成りな道程を進むと西目屋村に辿り着く。岩木川の橋を渡っていたら川下で何やら賑やかな騒ぎ、どうやらカヌー大会らしい。

看板を見て納得、少し休憩を含めて観戦させて頂いた。

国体などの競技をテレビで見た事は有ったが実物を見るのは初めてだ。

ここは川幅が狭いが結構な急流が有ったりで、選手も真剣にパドルを操っている姿は見応えがあった。

更に岩木川を遡るとやがて美山湖、「白神ライン」の起点はこの辺りらしい。白神ラインは、延長約60キロメートル、美山湖を過ぎて間もなく「アクアグリーンビレッジANMON」までは舗装されているが、ここから先40Km以上は未舗装のダートだった。

途中には幾つもの峠があって、曲がりくねった上り下りが続いた。

ここは、赤石川の中流域を渡る橋のたもとに小さな駐車エリアだ。プナの森を散策するトレッキングコースが有るらしい。何台かの車が駐まっていた。 地図を見ると少し上流に赤石ダムがある様だ。赤石川は尺イワナが渓流釣り師の夢に出てくる秘境中の秘境なのだ。

あまりにも峠が多くて、幾つの峠を越えたのか記憶が曖昧になってしまった。

猿、野ウサギ、他には沢山の野鳥、などなど、突然目の前に表れて、こちらの存在にビックリして姿を消す。

時々、舗装路が表れる。「あぁ、これから先は舗装路?」思いがよぎった途端に再びダートになる。その繰り返しだ。

そして、看板の距離表示を見て、この峠が最後らしい。やがて道が穏やかな傾斜になり、周囲になにか人の臭いが感じられる所まで来て、やがて舗装路になった。そして深浦の町に差し掛かり、国道101号に出た時にはホッとした。「飯にありつける」昼も過ぎてすっかり腹が空いてしまった。

国道を暫く走っても食堂は無く、秋田県境まで来てしまった。ここからは秋田県だ。

後ろを振り返って見れば当然ながら青森県。

更に暫く進んだところに「道の駅 はちもり」があった。やっと飯にありつけた。空腹にイカ定食はご馳走だった。 ここを出たら間もなく雨が降り出した。天気予報は見事に当たりだ。雨の中を黙々と走り続けた。

「入道崎灯台」、男鹿半島の突端に位置する。

実は、ここが今日の目的地だった。前から何度も来ようと思って、近くまで来て、工事で通行止めだったり、何かの理由で一度も来られなかった所だ。 入道崎灯台には、海上保安庁の気象通報局(1669KHz)がある。釣りに出ると何時も聞いている幾つかの気象通報局を何時しか機会があったら尋ねて見たいと思う様になった。これまでに足摺岬、潮岬、野島崎、犬吠埼、鹿島、等々幾つかの気象通報局の併設された灯台を訪れてきた。今回入道崎を見て一つ目的を果たした。次は何処に行けるか楽しみだ。

残念ながら雨の中で、周囲の散策も出来ず、カメラに納めて帰路に就いた。ここからは、一番近い秋田道「昭和男鹿IC」までR101を走って、真っ直ぐ高速へ、一目山に雨の高速をすっ飛ばして我が家へ・・旅は終わった。帰路の総里程約700Km

来年のDXを肴にして語る会は秋田だ。来年は入道崎の続きを走れるかと期待。

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山古志 いま         平成19年10月30日

2009-11-02 | 
友人と新潟県上越方面へ出掛けたのだが、今回は紅葉を期待して「六十里越」(R252号)を利用して出掛けた。往路(10/28)は、天気は良かったのだがモヤが掛かって折角の紅葉が見栄えせず、復路に再度六十里越をすることにした。
我が家からこの方面へのルートとしては他に磐越道やR49号線の阿賀野川沿いのルートもある。距離的にはさほどの違いは無いが、六十里越はつづら折れの峠道など、少しハードルートとなる。

柏崎から小千谷まで来た時、同行の友人との会話で彼は一度も山古志へ行った事が無いとの事であった。私は震災の前だったが一度訪れた事が有った。しかし地震のあとがどの様に成っているのか気掛かりでも有ったので少し迂回して立ち寄って見る事にした。



昔、山古志を訪れた時には、山中の急斜面に点在する古い民家のたたずまいが素晴らしかった。福島県の山里とは可成り異質の風景に雪国の生活を感じて感激した事を思い出しながら山古志地区に着いてみて驚いた。

それは、当然の成り行きなのだが、家々が都会に見掛ける様な新建材の洒落た家々が点在していて、改めて地震に依りほとんどの家が建て替えられた現実を認識させせられた。



土石流で家が埋まった木籠地区の入り口、主要路と木籠地区分岐点に埋没エリアを知らせる立て看板があった。辺りは紅葉には少し早いが秋の色濃いのどかな田舎の風景で、この看板を見なければ知らずに過ぎて終ったかも知れない。ここは丁字路で、看板の地点から左折すれば直ぐ先に木篭橋であった。



木篭橋のたもとに車を置いて橋から下流方向をみた状況だ。埋め尽くした土砂には雑草が生え、その中に自然に溶け込んで建つ一軒の家、よく見ると下半分が地面に埋もれている。
テレビなどで、生々しい映像を見ていたのだが、辺りに草木が生い茂ったいまは、ごく自然な風景に溶け込んでいる感じであった。



橋の直ぐ下にも二軒の家が埋もれて居たが、上流側には更に何軒も・・あたかも木の間隠れに見える集落のたたずまいの如く草木に見え隠れする様に建っている家々、よく見れば下半身埋没状態なのだった。二階家は今でも人が住んでいる様に自然に見える不思議な風景であった。

何年か後には、自然界に溶け込んで痕跡を留めない原野に回帰する運命なのだろう。この場に住んでいた人々は、近い場所で新しい生活を営みながら、何を想いながらその日の来るのを見つめるのだろうか・・複雑な心境を察することは難しいことだ。橋のたもとで茶を勧めながら当時の状況を説明してくれた老婆の明るさには、自然界の現実を受け入れて新しい生活に前向きに生きる姿を感じて一抹の安堵を感じながら帰路に就いた。
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足尾銅山          6月12日

2009-06-17 | 
 日帰りバス旅行で足尾を訪れる機会に恵まれた。
江戸時代、足尾の銅は、付近一帯の山の表面を削り取る形で採掘されていたそうだ。幕末には一旦廃山となっていたが、明治10年に新たな開発が始まり、昭和末期まで精錬が続けられたが、一時は鉱毒に依る渡良瀬川下流域に大きな被害をもたらした歴史もよく知られている。今は観光銅山と言う形で坑道の一部を見学出来るコースが設けられている。



観光銅山の入り口は、立派な石の門柱と看板が迎えてくれた。



そして3両編成の小さなオモチャの様なトロッコに乗ると狭い坑道へと入っていく。狭いトンネルで手を伸ばすと簡単に壁に触れるくらいギリギリだし、天井も低くて窮屈だ。軌道の距離は短く直ぐに終点に着いた。



坑道の中を歩いて見学する。所々に坑内の採掘作業の様子を再現した蝋人形などが置かれていて、過酷な地下作業の様子が分かる仕組みになっていた。
坑道の終点は、資料館に通じていて、当時の資料を展示してあった。



足尾銅山の周辺一帯には、昔の露天掘りで地肌が向きだしになった他に硫黄の精錬に依る硫化ガスで樹木が枯れて丸裸になったりした様子が今でも見て取れる。
近くには、精錬場後が廃墟の様な姿をさらしていてた。行政は裸の山に植林事業を進めている様だが、鹿などの食害とイタチごっこを続けているとガイドさんの説明、一度荒廃した自然を取り戻すのは容易では無いと実感されられた。
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鹿島神宮

2009-05-10 | 
香取神宮を参拝したら、当然の様に鹿島神宮にお参りするのが筋かと思う。間もなく太平洋へと流出する利根川を挟んで南に香取神宮、北に鹿島神宮、二つの神社には歴史的な因果関係があると誰もが直感的に考えるのが自然だ。 利根川を渡って潮来水郷を通り抜ければ鹿島市だ、鹿島神宮は市内のど真ん中なので少々交通渋滞を予想したが、休日と重なって比較的楽に辿り着いた。しかし香取神宮と違って有料駐車場は満車で何台か順番待ちをしていたが、ほどなく駐めることが出来た。

鹿島神宮は、大昔は「香島神宮」と書いたそうだ、天照大神のお使いとして鹿がつかわされた事に因んで「鹿島」と名を替えたのだそうだ。

楼門の手前で両手を清め口をすすいでから大きな楼門をくぐる。

香取神宮は楼門の真正面に拝殿があったが、ここは真正面は奥院へ続く参道となっている。拝殿は、右側に位置していた。御祭神は、武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)で、天照大神の命により国家統一の大業を果たし建国功労の神と称え奉られたとある。由緒は香取神宮と並ぶもので、共に武道の神として仰がれている。

拝殿の奥に位置する本殿、ここは香取神宮と違って隣接する他の施設が在るために本殿の周囲を回遊出来ない。拝殿の横から僅かに望めるのみであった。 楼門から真っ直ぐのびる鬱蒼とした森の参道を凡そ300mほど進むと奥宮だ。

1605年徳川家康公によって本宮社殿として奉健され、後に二代将軍秀忠公が現在の社殿を奉健された後は奥宮として現在地に移築されたとある。

 森の参道の途中にある石碑には、国歌「君が代」にある「さざれいし」(細石)のいわれが刻まれており、そこに沢山の細かな石が固まって一つの岩石を成している大岩が置かれていた。

君が代は千代に八千代に  さざれ石(細石)の厳となりて  苔のむすまで

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香取神宮       5月4日

2009-05-08 | 
釣り旅変じて房総半島の観光の帰路、長年果たせなかった香取神宮参拝を思いついたのでカーナビの目的地に最短距離コースで設定した。何やら曲がりくねった細い道を走ったお陰で渋滞にも巻き込まれずに香取神宮前に着くことが出来た。

朝9時台と言うこともあってか、無料駐車場も空いていたのでゆるりとお参りすることが出来た。

最初の赤い鳥居を過ぎると鬱蒼とした森に囲まれた参道を行く、

立派な楼門をくぐると拝殿に達する。

拝殿はいぶし銀の厳かさをかもしてたいへん立派だ。由緒によれば香取神宮の御祭神は、経津主大神(フツヌシノオオカミ)で、「天照大神の命により国家建設の基を開いて国土開拓の大業を果たした」とある。現在の拝殿は元禄13年造営だそうだ。

拝殿の奥に続く本殿は最も神聖な建物だが、周囲を拝観できる周回路が解放されている。
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南房総の旅   5月3~4日

2009-05-05 | 
時期的に早い事は承知で出掛けたが南西風が強くて思う様な場所で竿を振れないことから釣行変じて房総観光になってしまった。

房総半島は春真っ直中、至る所に「はまひるがお」が咲き乱れ、その他海浜植物が可憐な色とりどりの花を咲かせていた。

千葉県最南端の野島崎灯台、時間が早くて見学は出来なかったが周囲を散策した。この場所は幾度となく通ったのだが何時も釣り行き途上のため通過するのみで、落ち着いて眺めたのは今回が初めてとなった。この灯台は東京湾に入る色々な船舶がこの灯台の灯りを頼りに通過する重要な役目を負っている。現代の灯台は、単に灯りを点して居るだけでなく、通過船舶のレーダーに正確な位置情報を与えるレーマークビーコン波が常に発射されている。更に波、うねり、風、気圧、気温、天候などを定時放送する海上保安庁の気象通報局もここにある。

野島崎を見た後は、投げ釣りに適した砂浜などを探索しながら順次北上する旅を続けた。

そんな中で今回珍しい物を見付けた。国土地理院の「水準点」だ。国土地理院の発行する1/25,000や1/50,000地図に示された等高線の基準位置が、この蓋を開けるた中に基準海面からの標高標準として仕込まれているのだろう。

太東崎灯台(夷隅市岬町)は、九十九里浜の最南端に隣接し大変眺めの良い場所で人気スポットだ。写真は灯台から南側の眺望だ。夷隅川を挟んで手前側は太東崎、川の向こうには和泉浦、日在浦で、温暖な房総の田園眺望を楽しむ事ができた。
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奈良・京都・大阪-3    4月17~19日

2008-07-27 | 

3日目は朝食後にホテルからユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ

この中は、何もかも物珍しく見て廻るだけ、説明は不要だろう!

 

これで三日間のスケジュールは全部終わった。後は関空から一気に福島空港へ!!

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奈良・京都・大阪-2    4月17~19日

2008-07-18 | 
二日目京都市内を歩いた後は大阪のホテル泊となる。大阪の夜景は綺麗だ。


京都から大阪に着くと修学旅行生は吉本喜劇を見る為に、グランド花月へ。





随分と流行っている様だ、関西人はこういうどたばたが好きな様だとは理解していたが、この盛況ぶりは流石だ。

私は近くのラーメンやで夕食・・・これが何と拙いラーメン!!
大阪人はこんな拙いラーメンを喰ってるのか? 近くにチェーン店らしく同じ店の看板を幾つも見たので少しは喰えるラーメンを期待したのだが・・何と後味の悪い事!!



食事のあと、千日前道具屋街の看板を見て社会見学のつもりで歩いてみた。さしずめ「カッパ橋」ってところだろう。



色々な商売に使われる提灯が沢山ぶら下がった提灯屋?



瀬戸物ばかりの店、各種包丁や鍋釜ばかりを置いた店、



お盆など塗り物専門店などなど、ここに来れば商売で使う物は何でも揃いますよって所の様だった。
だいたい見終わった頃にテレビで話題になっていた「食い倒れ太郎」の事を思い出した。実は、この付近は昭和36、7年頃だが暇が出来ると良く来た所なので可成り様相は変わっては居るが土地感はあるので少し周りを歩いてみる事にした。



くいだおれの店は直ぐに見付かった。

流石は道頓堀界隈、この賑やかさは並では無い、ネオンと人の波で久しぶりに「おおさかに来た」と実感した。



「くいだおれ太郎」さんの前は人だかりがいっぱい、テレビで見た時と同じで皆さん太郎さんと並んで携帯のカメラでパチパチやっていて、此方はなかなか撮影出来ない、やっと空きを見つけてパチリっ!

先ほどの拙いラーメンが頭から離れない、少し腹も落ち着いたので何処かにラーメン屋ないかなぁって右左見ながら歩いた。



見つけた! 「花丸軒らーめん」何処かのテレビで見た様な「はなまる」!
「不味かったらどうしよう」覚悟を決めて入る事にした。
若い人達で店は満席に近かったが入り口近くに空き席が有った。



さっと座って、お品書きをみた。勿論トップの「しあわせらーめん」を注文。
まわりを見ると、皆巧そうに喰っている。
出てきたラーメン一目で結構巧そうだ!
チャーシューでは無く、なにやらきょろきょろした物が入って居る。ゼラチン状の例えば豚の脂身を煮込んだ物とか、なにやらそんな感じの物だが、これがスープの味の決め手に成っているみたいだ。

関西の若い人もまんざら味音痴では無い事が分かった。口直しも出来て大阪の夜は幕を閉じる。ビールを飲みながらホテルの窓から夜景を眺めて「おやすみなさい」した。
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