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明日を楽しく

釣り、カメラ、アマチュア無線、アウトドア、DIY、何でも思いっきり、明日の楽しさを求めて今日を生きる徒然日記

車中泊用テーブルと椅子

2022-04-13 | 



最近流行の車中泊だが、私は30年も前から頻繁に利用していた。

 

これまでは、車中を利用するのは「泊」だけで、食事は屋外に椅子とテーブルをセットして星を

見ながらの「一人パーティ」を楽しんでいた。                      .

 

 

しかし、最近は車中泊が流行りだした為に公園や空き地などを利用し難くなったので主に道の駅など無難な所を使わせて頂く事が多くなった。

と言う訳で、利用者が多い場所では、車外に店開は憚る様になった。

そこで今回、何時でも何処でも気軽に「お一人様パーティ」が出来る様にと車内に椅子とテーブルを取り付けることにした。

 

 

特に椅子は、頑丈に作った。

 

 

セカンドシートの補助椅子を寝せると椅子と同じ高さになりお泊まり用の「ベッド」となる。

つなぎ目で、補助椅子が少し高く見えるが、実際に重量負荷を掛けると沈んでちょうど良い高さになるのだ。

今回の加工以前には、この補助椅子と同じ高さに、今回の椅子と同様な台を使った寝床を利用していたのでアイディアは二番せんじなのだ。

椅子と補助椅子の全体に全面通しの厚いクッション材を敷いて使う事になる。

幅は、自分の肩幅よりも充分に広いので寝心地は問題無い。

これで完成では無い。テーブルの上面にサンダーを掛けて古い板の塗装を剥がしてから全体に塗装して仕上げる予定だ。

次のお出かけが楽しみだ。


月山へ行ってみた   2021,05,11

2021-05-19 | 


春の陽射しに朝日連峰が目の前に残雪に輝いていた。
久しぶりに時間がとれたので、風景の撮影に何処へ行こうかと考えた時に真っ先に「月山」の二文字が頭に浮かんだ。

家を出たのが昼頃だったので途中の道の駅で車中泊。 国道112号線を鶴岡方面に向かって月山湖を過ぎる付近で二手に分かれるが、右の六十里街道側へ、数キロ先で右折して月山へと向かった。



月山湖の少し手前、寒河江川沿いの谷間に展開する集落が目に付いた。
美しい景色に車を止めてシャッターを切ったのだ。
考えてみれば、この集落に陽が差すのは、一日の中で僅かな時間しか無いのかも知れないし、冬の積雪は半端では無いのだろう。



山形県立博物園に車を置かせて貰って、残雪を踏みしめながら沢沿いに遡って見た。



もう少し経てばリュウキンカや水芭蕉が咲くのだろうが、季節が少し早かったので花を見ることは出来なかった。



博物園の近くの地蔵沼もひっそりとしていた。
あと2週間もすればめっきり春めいて美しい花々を見る季節に成るのだろう。



月山スキー場は、春スキーを楽しみに来た人たちで少し賑わっていた。


晩秋の尾瀬 2016年10月27-28日

2016-10-29 | 
晩秋の尾瀬を訪ねた。
目的は、今年買ったザックにテントなどの装備とカメラ、レンズなどを積めて、それを背負って山道を歩けるかを確認したかった。

若い頃には、ワイドキスリングに35kgの装備や食料を詰め込んで飯豊山を4日間で縦走した事も有ったのだが、いま、80歳間近の歳になって、しかも長らく山登りなどから遠ざかって居たので、果たして登れるのか自信が無かった。

沼山峠から尾瀬沼までなら、距離も近いし、100m前後の高低差なので、何とか成るだろうと、思い切ってトライして見た。



60Lのザックに、1人用テントやカメラを詰め込んで重量17kg、それに2kgの三脚と約1kgのミラーレスカメラを首に掛けて、総重量20kgの荷物と共に歩いた。



沼山峠から一山越えて尾瀬沼に向かって下るのだが、道は良く整備されていて、歩き易かった。



尾瀬の野原は、既に枯れ野の世界となっていた。



周囲の樹木は、白樺も葉を落として丸裸だったし、唐松の葉も残り少なくなっていた。
ただ、当然ながら針葉樹は葉を付けた儘だし、クマザサの緑が綺麗だった。



途中、檜枝岐村の観光案内所に立ち寄って、尾瀬沼ヒュッテのキャンプ場を予約したいと言ったら「今年の営業は終了しました」との事であったが、話に違わず周辺の小屋と共に板囲いをした無人となっていた。



唯一営業を続けて居たのは「長蔵小屋」と尾瀬沼ビジターセンターのみだった。



尾瀬沼ヒュッテのキャンプ場を使わせて貰うつもりで行ったのだが、何処がキャンプ場なのか小屋の周囲を見ても分からず、適当な作業スペースと思しき草原にテントを張らせて頂いた。



尾瀬沼は、静まりかえって居たし、燧ヶ岳も寒々とした姿に見えていた。



晴天のお陰で、夜の星空は素晴らしかった。
しかし、朝方4時頃に全天に雲が広がり、残念ながら朝の日の出は見られず、午後の悪天も予想されたので、朝食を済ませて、早めに下山行動となった。

今回の尾瀬一泊の旅で、何とかこの程度なら大丈夫らしいと分かったので、次は、撮影目的での山行きも視野に入った様に思う。

下郷町 (福島県会津)   2016年10月8~9日

2016-10-12 | 
全日本写真連盟福島県本部の一泊撮影会に参加した。


湯野上温泉付近の大川ライン。  (大川は、阿賀川の上流域、会津平野で只見川と合流し、やがて阿賀野川となって新潟の海に落ちる)

今年は、郡山支部の担当で、湯野上温泉の「紫泉」で温泉に入り、写真の話に深夜まで楽しく語り明かした。



初日は、生憎の雨模様だったが、甲子トンネルを抜けて、真っ先に観音沼に向かった。



紅葉には未だ早い時期だが、水面の草紅葉は綺麗だった。



木々の葉も少しずつ色付き始めていたので、結構楽しむ事が出来た。



会津から見る名峰「二岐山」(1543.3m、那須連峰最北部)が雲海の上に浮いて、稲穂が稲刈りを待ち、豊作に喜ぶ農家の姿が目に見える様だ。



下郷から昭和村へ抜ける山中の「じろえもんの滝」を訪ねてみた。
均整の整った美しい滝だ。
峠越えの道の農家の爺さん(と言っても私と同い年)が滝まで案内してくれた。 土地の人は皆親切だ。



翌朝は、夜中まで降っていた雨も上がったので、真っ先に湯野上温泉駅に行ってみた。
登りの電車に乗る観光客が駅にやって来る。



朝早かったので、下りの電車にはローカルの人が少し乗っていただけだった。
東京方面からの客が来るのは、もう少し後の時間になるのだろう。



帰宅にはまだ早いので、塔のへつりを覗いて見た。
ここの紅葉も暫く後になる。時期的に早すぎた旅だった。



塔のへつりより少し下流に架かる鉄橋を渡る会津線を見て、少し時間が早かったが帰る事とした。
昨夜は少し飲み過ぎた様なので、後の体調を考えて今回の旅を終えた。



魹ヶ崎灯台 (本州最東端)

2016-06-25 | 


宮古市から久慈市方面のリアス式海岸に撮影行の旅をした帰路、長年の念願だった魹ヶ先灯台を訪ねた。

大分昔だが、友人と八戸でのイベントに参加した帰路、海岸線を辿って宮古まで来た時、思い立って魹ヶ先に進路を向けた事があった。
この時は、津軽石字藤畑から姉吉を目指したのだが、途中に人家は、一軒も無く大変な山道であったと記憶している。
今回は、国道45号線の津軽石駅信号から、半島北側の海岸線を辿るコースで姉吉を目指した。
と言っても、途中から山道になるのだが、こちらは、途中に小さな集落があり、少しは車も行き交う生活感があって、寂しい思いをせずに姉吉まで辿り着く事が出来た。
しかし、山道を20kmの行程で、決して楽なコースでは無かった。



小さな姉吉港が道路の行き止まりで、ここに車を置いて魹ヶ先灯台までは、徒歩で行く事になる。
片道3.8kmのトレッキングなので、前回は、帰りの途中で日が暮れて暗くなる事から断念したのだった。



少し登った所に津波到達点の小さな表示があった。
持参のGPSデータは、高度21mを示していた。
しかし、今回は高度を校正せずにスタートしたので誤差がある。



この付近から姉吉港を見下ろした写真だが、実に小さな港だ。
港から外へ出れば、即太平洋の大海原となるので、養殖漁業も出来ず、魚を捕っても何十キロも走らなければ魚市場にも達しないので、多分昆布とか、限られた漁獲しか出来ないのだろう。
それでも、震災前よりも立派になった感じだ。



道の右側は、港まで切り立った急斜面と言うよりも断崖と言った方が正しい表現だろうが、危険防止の為にロープで柵が施されていた。

標高約110mまで上り詰めた所が峠だった。
いきなり急坂を登るのは、老人には厳しかったが、ここをクリヤーしなければ目的地に辿り着けないので、ゆっくりと歩を進めて頑張った。
それから少し下った先は、全体的には平坦路と言える様な、だらだらの緩い上り下りが続く



山道なので、自分の居る場所が見当が付かないのだが、所々にこの様な標識が立っていて、これを見て里程が見えて来て、ホッとす。



蛾の幼虫だろうか、道ばたに、落ちていた。 そっと、開いてみたら既に羽化したあとで、中身は空だった。



脚の達者な老人が、熊除け鈴を鳴らしながらすれ違って行った。



魹ヶ崎灯台に辿り着いた地点の標識だ。
これを見ると、与奈6.4kmと書いて有る。 国土地理院の1/25,000地図には書いて無い道が新しく出来て居る様だ。

姉吉港からここまで3.8kmの道のりを若い人なら1時間で来るのだろうが、私の脚で 1時間20分掛かった。



そして、目の前に現れた魹ヶ崎灯台だ。
灯台は、2~30mの断崖絶壁の上に立っているので海が見えなかった。



入り口の門柱には、金属製の「魹ヶ崎灯台」のプレートが嵌まっていた。
昔は有人だったので、多分この敷地内に宿舎が建っていたのだろう、今は芝生の広場になっている。
敷地内には、山側に藪に隠れる様に変電施設があった。 
「おいら岬の灯台守・・・」の映画は、見てなかったが、その中にも描かれた筈の昔は、油を焚いて火を点していたので、さぞ大変な事だったに違いない。
今は、無人化されて、昔を偲ぶ事は出来ない程に変わってしまった。

灯台の敷地に入ってみたら、外は海岸までは、凸凹の岩石が続き、其処から断崖絶壁の下に海原が広がって水平線まで続いていた。



灯台の敷地内には、1670kHz DSB 気象通報局が併設されていた。



何時も1669kHz USBで聞いて居た「こちらはトドカサキ、海上保安庁の気象通報をお知らせします」で始まるお馴染みの定刻放送は、ここから送信されている。
写真の鉄塔から灯台の塔の間にアンテナ線が張られている。



灯台の直ぐ南側に「本州最東端の碑」があった。
折角訪ねたのだから、セルフタイマーで記念撮影をして、帰路に着いた。



帰路は、来た道を引き返すだけなので、余裕が出来たので、道ばたで目に付くものを楽しむ事が出来た。
この白い花は、ヨツヅミ(ガマヅミ)の白い花が沢山咲いていた。



これは、???ショウマと言うのだろうか、名が分からないが足下に沢山咲いていた。



陽が当たらない所にギンリョウソウが幾つも見つかった。



帰宅してから図鑑で調べたが、タツナミソウだろうか



この時期にキノコが生えていた。 キノコは良く分からないのが正直な話しただが、形から見ると、昔自宅近くの里山で採って食べた「アカモダシ」別名ゲンカイ又は、ムラサキシメジに似ている。しかし、これらは秋に出るキノコなので、写真のキノコは何だか分からない。
同じ種類のキノコは大小、多数を見掛けた。

この一帯は、野生が豊富に残されている様に見受けられ、素晴らしい自然林だと感じた。

帰路も1時間15分ほどで姉吉港まで辿り着くことができた。
スパゲティをゆでて、昼食を摂った後、再びR-45に出る間で約20kmの山道を走って、それから仙台方向へ、そして我が家へと一気に走って帰宅した。

りんどう湖

2015-09-05 | 
昨日は、撮影の仕事で栃木県那須町のりんどう湖"Lake View"に出掛けたが、盆以来の久し振りの晴れ日に恵まれて、気持ちの良い秋晴れ天気だった。



暫く運動不足が続いていたので、園内を歩いて可成り、脚に来たけど気持ちの良いピクニック気分を味わった。



園内には動物とふれあったり出来る。



子供連れの家族が充分に楽しめる工夫が凝らしてあった。



乳搾り体験では、こわくて触れない子も居たりで、大賑わいの様子が楽しそうだった。

中央の池には、動物の形の船が浮いていて、家族で乗ったり、ゴーカートや電気自動車など男の子向けの仕組みも有ったり、
一日充分に楽しく過ごさせて戴いた。

初夏の只見川

2015-07-01 | 


六十里越を新潟に向かう途中、只見町から田子倉ダムへ、急な坂道を登り詰めた頃に振り返ると只見の景色が眼前に広がる。

左奥に見えるのが只見ダム。 手前の何軒かの家がこの道の最奧部で、この先(画面手前方向=新潟県方向)へは田子倉発電所関係の建物があるだけです。
冬になると、登り口にゲートが出来て、新潟県入広瀬までの区間が冬季閉鎖となる。

撮影地点は、ゲートの先なので、冬期間閉鎖になると春までは別世界となる場所だ。

冬には、雪が何メートル積もるのか、想像を絶する会津の豪雪地だが、春は、本当に綺麗で長閑だ。

R289 早春の甲子高原

2015-04-04 | 
南会津の下郷町まで行く目的で、西郷村を通って国道289号を西に向かった。



昔は、国道とは名ばかりで、甲子温泉から先には行けなかったのだが、今では幾つかのトンネルができて、東西に分断していた国道が繋がったので、立派な観光道路となった。
その中で、最長の甲子トンネル入り口に車を置いて、高原の風景を楽しんだ。

甲子高原と言うと、知名度の点で心配になるが、那須連邦の福島県側の一部を甲子高原と呼んでいる。
東側には、甲子温泉や、関東圏の青少年育成の目的で作られた「国立・那須甲子青少年自然の家」などが在る。



ここからは、那須連峰の一角を目前に楽しむ事ができる。
白銀に輝く山の左端は、三本槍岳(1917m)だろう、中央が須立山(1720m)、右端が旭岳(1835m)だろう。
那須の主峰茶臼岳(1915mは、三本槍の陰になって見えない。



眼下の谷は、阿武隈川の源流だ。

磐梯吾妻スカイラインなど、主要山岳道路は4月末近くならないと開通しないが、ここでも、雪の回廊こそ無いが、充分に素晴らしい眺望を楽しむ事が出来る。

牧場の朝・ 福島県鏡石町「岩瀬牧場」

2015-03-29 | 
文部省唱歌「牧場の朝」のモデルになった岩瀬牧場に行ってみた。
なお現在は、冬期休園中なので無料で散策する事ができるが、4月1日より営業するとのことだ。



牧場は、東西に通る町道を挟んで南北に展開しているのだが、画面の手前側、南側から町道を横切って向こうに北側の一部が見えている。

南側一帯は、須賀川市区分で、町道の北側は、鏡石町になる。事務所が鏡石町になるため、鏡石町と深く関わって運営されている模様だ。



「牧場の朝」の歌碑のレプリカが資料館に飾ってあった。
牧場内には、南側に僅かにポプラの木が見えるが、冒頭写真の右側に見える大木を含めて、牧場内には、プラタナスの古木が多く見られる。
プラタナスの実は、カラタチの実と同じ位の大きさと形で、落ちた実が崩れると中から沢山の種が辺りに散乱する。



左側の古びた建物は、昔の作業棟で、



内部には、昔作業具などが保存されている。





勿論、牧場なので、南側に展開する放牧地には、馬も何頭か飼育されており、他に山羊や小動物も居た。



北側には、睡蓮の池や、シャクヤクの花畑などが有ったが、シャクヤクは芽が出たばかりだった。



睡蓮の池は、まだ芽吹いて居らず、昨年から居残った古葉と枯れ葉がみられただけだったが、もう少しすると青い芽が伸びて、水面に葉が広がり賑やかになるのだろう。



奥の温室風な建屋では、苗など園内を飾る植物を育てたりしているもようだ。



他にも、フラミンゴなども飼われていた。

羽黒山、国宝の五重塔     2013年11月7日

2013-11-26 | 


朝日スーパー林道を走破し、行き着いた先は山形県鶴岡市だった。
鶴岡と言えば、出羽三山だ。此処まで来て、国宝の五重塔を観ずして帰れない。
時間も早かったので、羽黒山に向かった。



羽黒山の出羽三山神社をナビにセットして、スタートしたが、近くまで来て、向かっている先が社殿近くの駐車場だと気付いた。そこは、30年以上も昔に来た時に行き着いた所だったが、ここには五重塔は無かったと記憶している。

近くまで来た時、「羽黒山参道」の道路案内板が、ナビとは違う方向だったので、迷わず案内板の方に進んで、山門に辿り着いた。



山門の横に無料の駐車場が有ったので其処に車を駐め、カメラと折畳み傘を持って山門を潜った。
山門の先、いったん石段を下るが、辺りは鬱蒼とした杉林だ。



「須加の滝」と書いてあったが、神社に行くとこの様な場所には必ず祠が奉ってあるが、ここにも同様にお祀りしてあった。



五重塔は、直ぐ先に杉の木立に囲まれてひっそりと建っていた。



流石に国宝だ。 素木作りの重厚な見栄えに圧倒される。
山門に着いた頃には霧雨が降っていたが、幸いに雨も止んだ。
色々な角度から眺めて、脳天にズッシリと重さを感じながらシャッターを切り続けた。

ここから参道を進むには、長い石段を登り詰めないと最奥の社殿まで行けない。
重いカメラと三脚を持っているので、今回は此処までとした。

満足感で満たされて、最上川沿いに一気に走って、真夜中になる前に我が家に戻り着く事が出来た。