世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

会うべき時に、会うべき人に、会うべくして会う

2014年05月22日 | 国際
昔から「縁は異なもの味なもの」と言われるが


人との出会いはすべて意味をなしている。


「人間は一生のうち会うべき人には必ず逢える。

しかも一瞬も早過ぎず、一瞬も遅過ぎない時に。


しかし、縁は求めざるには生ぜず。

内に求める心なくんば、たとえその人の面前にありとも、ついに縁を生ずるに至らずと知るべし」

と哲学者で教育者である森信三も言っている。



彼が言うように、問題はそれに気づくかどうかである。


気づくためには、

まず、何か意味があると意識して思うことだ。


そして、この人にとっての自分の役割は何なのだろうかと考えることだ。


凡人は、

まず、この人は自分にとって得かどうかを考える。

自分に何らかの利益をもたらすか否かと考える。



そして、何も得にならないと思うと、相手にしない。


お客さんがいい例だ。


買ってくれそうなお客さんは丁寧に接するが

買わない人にはぞんざいに扱う。


買わない人にも、何かお探しですか?

何かお困りですかなどと声をかければ会話が成り立つ。


そこから思わぬ付き合いに発展することはよくあることだ。



そうした親切心で言っているにもかかわらず、

なかには何か下心があるのではないかと勘ぐる人がいる。


だが、悲しいかなそう言う人は邪(よこしま)な考えを持っている人なのだ。

自分の利益しか考えないから、

相手の利益を優先に想う気持ちが理解できないのだ。



「縁を大切に」

口では誰しも言うが、行動で示している人は少ない。


なかには、ボクを偽善者呼ばわりする輩がいる。

曇った心では澄んだ心は理解不能だろう。


そう言う人に共通なことは、

いつも愚痴をこぼしていることだ。

それも本人のいないところで。


不平不満に苛まれ自らストレスを溜め込んでいく。

嫉妬と憎しみが充満している。


偏見に満ち、パラノイアに陥っている。


心を閉ざし、

いつも眉間にしわを寄せて般若(はんにゃ)ってる。

貧相な顔をしている。


そしてだんだんと孤立していく。



だが、ボクはそういう人にも心を尽くす。

いつか必ずわかってもらえる日が来ると信じているから。



そういう人がいることを認め、

そういう人を受け入れる。


そうして、縁が縁を呼び助け合いの精神が広がっていく。


どんな人にも、

たとえ、主義主張が違っても、

多様性と内包性の精神を失わず接しなければならない。

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