世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

今は誰も愛せない

2012年06月11日 | 
恋する人は多いけど、


真剣に愛する人はいない。




いや、


愛したくても愛せない。




愛に傾くのが怖いから。


愛を注ぐのが怖いから。







余りに傷つきすぎた。


傷つけすぎた。




一途になるのが怖い。




心底惚れ抜くのが怖い。



溺れるのが怖い。


のめり込むのが怖い。







愛せなくなった男(女)は可哀想なのか。



気の毒なのか。






愛せないのではない。


結局





いつも愛しすぎてしまうのだ。




『溺愛』は、


負担以外の何物でもない。





だから



結局、お互いに


傷つけ、


傷つく。




「恋疲れ」といえば



余りにかっこよすぎ?



傷だらけの恋。



恋の満身創痍。

恋の向う傷。


恋がつけば何でも許されてしまいそう。







確かに


広く浅いお付き合いは


楽しいけど、




どこか切ない。




だが

なんとなく心地よいのも事実だ。





ベタベタした恋愛はもう御免だ。


サラリと係わる程度がちょうどいい。





ネットで繋がっているから


リアル会わなくても




いつもそこに君がいる感覚になる。




ネットが


距離感をマヒさせてしまう。





新たなコンフォートゾーンが形成される。




時間の感覚さえも奪ってしまう。




世界のどこからか


「まだ起きてるの」というメッセージが届く。



「何してるの?」


「早く寝なきゃ、体壊すよ」




優しい言葉にめっぽう弱い。



だが


時におせっかいにも聞こえてしまう。



女房(亭主)でもないくせに、って。





相手に求めない代わり、


求めさせない。





踏み込まない代わりに、


踏み込ませない。






いいのか

悪いのか。




そんなことはどうでもいい。




このポジションが




妙に心地よく、


実に都合がいい。




それはお互いさまだろうけど。





じゃあ、


何のために繋がっているの?






「寂しいね」って言えば、


「寂しいね」って答える。





「もう寝よか」って言えば


「うん、もう寝よか」ってこたえる。




そしてまた


同じことの繰り返し。






結びつくけど


束縛しない。




繋がる糸は長くても


いつもピンと張っていなくても



むしろ緩(ゆる)く弛(たる)んでいても




しっかり繋がっているのは確かだ。





どんなに太く短い絆でも


四六時中張りっぱなしでは




ストレスになり摩耗してしまいそう。





アクセル全開の恋もいいけど


ブレーキ踏んだり、




時には

コックピットで点検したり。




長~い付き合いには



適度な時間と距離の「間(ま)」が必要なのかも。




気をつけなくてはいけないのは、


「間」を取ることは必要でも



「魔」がさしては元も子もない。





世界中どこに居ても


『繋がってる感』


が味わえる間柄。




リアルという次元を超えて


四次元、五次元の世界を演出しながら




生きていける。





一人に

「お」がついて


おひとりになり




さままでついた時点から



孤独感は消え失せてしまい、




市民権を得たような


奇妙な存在感が生まれる。





一人を生きる


『おひとり力』





そこにもう


惨めさはない。



寂寥感はない。






これからの時代を



楽しく愉快に


明るく元気に生きるには




『おひとり力』こそ求められる。



それは


誰をも拒絶しないどころか


強い吸引力を備えている。




その力を身にまとったとき



孤独から


孤高へと




人生の旨味は




一層深まり


昇華していく。


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