西原村の家の裏には
竹林がある。
筍の季節には
採れたての旬の味が楽しめると同時に
予期せぬところから顔を出し、
アッと今に成長し
驚かされることがある。
放っておけばそこら中が竹で占領されかねない。
その竹は
実にしなやかだ。
風の強いときには
折れんばかりに身をくねらせて揺れる。
だが
決して折れることはない。
そのままだと屋根を超えて伸び続ける。
中が空洞だけに
簡単に切れるし
竹の使い勝手も
多い。
垣根を作ったり
籠や笊(ざる)になったり、
器になったり、
箸になったりもする。
切られて
なお形をなし
燃されて
竹炭にだって変身する。
あのしなやかさの陰に
強(したた)かさを兼ね備えなければ
そうはいくまい。
その
「強かさは」 いったいどこから来るのか。
ただ一直線に空洞のまま伸びれば
いとも簡単に折れてしまうだろう。
ところが
よくしたもので
竹には
よい間隔を保って
「節」 というものがある。
この 「節」 こそ曲者なのだ。
人間の身体にも
節があることはご存じの通り。
「体の節々が痛む」
という言い方をするぐらいだから。
人間にもこの節がなければどうなるか
想像してみるとゾッとする。
クニャクニャ人間になってしまうだろう。
人間そのものでなく
人生においても
節のない人生はありえない。
「人生の節」 は
一つひとつが
「ターニングポイント」 といえるかもしれない。
人生の中で
苦しみや
問題を抱える時が
その
「ターニングポイント」 になる。
そしてそれが
その人それぞれ
独自の 「節」 を作る。
だから強くなる。
折れなくなる。
打たれ強くなる。
竹は節を形成するときは
上へ伸びる成長が一旦止まるか
遅くなる。
階段の踊り場のように
折れ曲がり
一息つく場でもある。
自分の人生の中で
苦しいとき、
何か問題が起きた時こそ
踊り場にさしかかったと
一歩立ち止まって
冷静に周りを見つめる時期であり
「節」 を形成するときなのだ。
その時期なくして
人は強くはなれない。
竹は
生え始めて一メートルぐらいの高さまでの節の間隔が狭く
上に行くほど
節と節の間隔は大きくなる。
人間も
子供のころ
あるいは
若いころこそ
節を多く形成する時期なのだろう。
節を作らず
あるいは
節が少なく育った人間は
大きくなってから
(社会に出てから)
すぐに折れやすくなることは
容易に想像がつくく。
いとも簡単に
挫け
倒れ
起き上がることすらできなくなる。
そして
竹は
四季折々
成長の止まる冬には
しっかりと地中で
根を伸ばし
張るときでもある。
人も
上へ伸びないときは
見えないところで
しっかりと土台を作る時期なのだ。
「ひとは
強くなければ生きていけない
されど
優しくなければ
生きる価値がない」
「優しさ」 と
「強さ」 を
バランスよく備えてこそ
人として生きていく価値があるのではないだろうか。
幸い日本は
竹文化の国でもある。
「強かに」
しかも
「しなやかに」
生きてみよう、
竹のように。
竹林がある。
筍の季節には
採れたての旬の味が楽しめると同時に
予期せぬところから顔を出し、
アッと今に成長し
驚かされることがある。
放っておけばそこら中が竹で占領されかねない。
その竹は
実にしなやかだ。
風の強いときには
折れんばかりに身をくねらせて揺れる。
だが
決して折れることはない。
そのままだと屋根を超えて伸び続ける。
中が空洞だけに
簡単に切れるし
竹の使い勝手も
多い。
垣根を作ったり
籠や笊(ざる)になったり、
器になったり、
箸になったりもする。
切られて
なお形をなし
燃されて
竹炭にだって変身する。
あのしなやかさの陰に
強(したた)かさを兼ね備えなければ
そうはいくまい。
その
「強かさは」 いったいどこから来るのか。
ただ一直線に空洞のまま伸びれば
いとも簡単に折れてしまうだろう。
ところが
よくしたもので
竹には
よい間隔を保って
「節」 というものがある。
この 「節」 こそ曲者なのだ。
人間の身体にも
節があることはご存じの通り。
「体の節々が痛む」
という言い方をするぐらいだから。
人間にもこの節がなければどうなるか
想像してみるとゾッとする。
クニャクニャ人間になってしまうだろう。
人間そのものでなく
人生においても
節のない人生はありえない。
「人生の節」 は
一つひとつが
「ターニングポイント」 といえるかもしれない。
人生の中で
苦しみや
問題を抱える時が
その
「ターニングポイント」 になる。
そしてそれが
その人それぞれ
独自の 「節」 を作る。
だから強くなる。
折れなくなる。
打たれ強くなる。
竹は節を形成するときは
上へ伸びる成長が一旦止まるか
遅くなる。
階段の踊り場のように
折れ曲がり
一息つく場でもある。
自分の人生の中で
苦しいとき、
何か問題が起きた時こそ
踊り場にさしかかったと
一歩立ち止まって
冷静に周りを見つめる時期であり
「節」 を形成するときなのだ。
その時期なくして
人は強くはなれない。
竹は
生え始めて一メートルぐらいの高さまでの節の間隔が狭く
上に行くほど
節と節の間隔は大きくなる。
人間も
子供のころ
あるいは
若いころこそ
節を多く形成する時期なのだろう。
節を作らず
あるいは
節が少なく育った人間は
大きくなってから
(社会に出てから)
すぐに折れやすくなることは
容易に想像がつくく。
いとも簡単に
挫け
倒れ
起き上がることすらできなくなる。
そして
竹は
四季折々
成長の止まる冬には
しっかりと地中で
根を伸ばし
張るときでもある。
人も
上へ伸びないときは
見えないところで
しっかりと土台を作る時期なのだ。
「ひとは
強くなければ生きていけない
されど
優しくなければ
生きる価値がない」
「優しさ」 と
「強さ」 を
バランスよく備えてこそ
人として生きていく価値があるのではないだろうか。
幸い日本は
竹文化の国でもある。
「強かに」
しかも
「しなやかに」
生きてみよう、
竹のように。