5-2 今、ここへ
自分の在ることに、様々な感情、思惟が溢れ、事実存在が明らかに歪められるあまりにも固有の事柄と、社会体制に起因する事柄があります。
自分の事実存在のあるべき固有の姿の自己問答を大きく位置づける考え方
また、社会体制に起因することを自分に大きく位置づける社会変革の考え方
この二つに後先、優劣などはなく、前述してきましたように一体の事柄です。
このことは、社会の人々の中に在るのではなく、ヘーゲル*風に言えば「自分そのもの」(「事そのもの」 精神現象学) です。
個々によりアプローチの仕方、自意識の入り方が異なるに過ぎず、どちらかに拘ることは止揚が欠落し、ドグマそのものです。
「自分そのもの」のなかの様々な事柄、「今、ここへ」めり込み続けます。
*近世以後の哲学書は、考え方以前に語彙が難解になりすぎています。
先哲たちの生業は、大学での教鞭、研究生活等の専門職で成り立っていることが原因と思います。
ヘーゲルにしても、概念と現実存在を分けて、その一体(一致)の過程を決め、概念の外化による現実存在を論じる論理の構造を持っています。
専門家の方々は、例えばこの論理構造における偶然性と必然性とについて論じたりしますが、そもそも書かれている著作自体は素人には取っ付きにくいものです。
というより、市井人はそのような事を考えて生活はしていません。
自分の在ることに、様々な感情、思惟が溢れ、事実存在が明らかに歪められるあまりにも固有の事柄と、社会体制に起因する事柄があります。
自分の事実存在のあるべき固有の姿の自己問答を大きく位置づける考え方
また、社会体制に起因することを自分に大きく位置づける社会変革の考え方
この二つに後先、優劣などはなく、前述してきましたように一体の事柄です。
このことは、社会の人々の中に在るのではなく、ヘーゲル*風に言えば「自分そのもの」(「事そのもの」 精神現象学) です。
個々によりアプローチの仕方、自意識の入り方が異なるに過ぎず、どちらかに拘ることは止揚が欠落し、ドグマそのものです。
「自分そのもの」のなかの様々な事柄、「今、ここへ」めり込み続けます。
*近世以後の哲学書は、考え方以前に語彙が難解になりすぎています。
先哲たちの生業は、大学での教鞭、研究生活等の専門職で成り立っていることが原因と思います。
ヘーゲルにしても、概念と現実存在を分けて、その一体(一致)の過程を決め、概念の外化による現実存在を論じる論理の構造を持っています。
専門家の方々は、例えばこの論理構造における偶然性と必然性とについて論じたりしますが、そもそも書かれている著作自体は素人には取っ付きにくいものです。
というより、市井人はそのような事を考えて生活はしていません。
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