山荘前の芝生広場で、お弁当代わりの
生協で買ったパンをのどかに(?)食べてから、美術館でもある
山荘に入館することに。カフェテラスが一番の目的でしたが・・・
この山荘の数奇な運命というか、紆余曲折の歴史を
ちらっとまとめると(HPより)
始まりは大正時代、実業家加賀正太郎が別荘として建てた木造建築、昭和初期に大増築、今の鉄筋コンクリート造りになったそうです。
英国風の山荘建築、内装も大正浪漫。当時の成功者の趣味の良さを感じさせます。
今の芸能人のお宅拝見などのように、ギラギラアンティークだったりしません。日本文化の詫び寂を感じさせる深みがあります。
時は移り、所有者が点々とすることに。平成に入ると当時の所有者である不動産会社が山荘を取り壊し、マンション建設に乗り出す始末。
この天王山麓の再開発計画に反対運動が起こり、京都府からの保存協力依頼を受けたアサヒビールが山荘を買い上げ、景観保護に協力してくれました。
もともと加賀はニッカウヰスキーの設立にも参加しており、浅からぬ縁もあったようです。
荒廃寸前だった山荘は京都府、大山崎町の協力も得て1996年に見事に美術館として蘇りました。
その修復、新館の設計を建築家安藤忠雄が引き受けてます。
新館は安藤忠雄らしいコンクリート打放しの建物ですが、景観に配慮して地中に配されてます。
「地中の宝石箱」とも呼ばれる新館にはモネの睡蓮の絵が数点ある他、絵画が展示されてます。
撮影禁止なので写真はありませんが。
大正浪漫、洋館建ての好きな私には溜め息が出るばかり・・・
窓外の紅葉、煌めく光の中に 彼の時代に生き、
自然を愛し美を追究する稀有な趣味人であった関西の実業家、
加賀正太郎(明治21年~昭和29年)の陰が映った気がしました。
生協で買ったパンをのどかに(?)食べてから、美術館でもある
山荘に入館することに。カフェテラスが一番の目的でしたが・・・
この山荘の数奇な運命というか、紆余曲折の歴史を
ちらっとまとめると(HPより)
始まりは大正時代、実業家加賀正太郎が別荘として建てた木造建築、昭和初期に大増築、今の鉄筋コンクリート造りになったそうです。
英国風の山荘建築、内装も大正浪漫。当時の成功者の趣味の良さを感じさせます。
今の芸能人のお宅拝見などのように、ギラギラアンティークだったりしません。日本文化の詫び寂を感じさせる深みがあります。
時は移り、所有者が点々とすることに。平成に入ると当時の所有者である不動産会社が山荘を取り壊し、マンション建設に乗り出す始末。
この天王山麓の再開発計画に反対運動が起こり、京都府からの保存協力依頼を受けたアサヒビールが山荘を買い上げ、景観保護に協力してくれました。
もともと加賀はニッカウヰスキーの設立にも参加しており、浅からぬ縁もあったようです。
荒廃寸前だった山荘は京都府、大山崎町の協力も得て1996年に見事に美術館として蘇りました。
その修復、新館の設計を建築家安藤忠雄が引き受けてます。
新館は安藤忠雄らしいコンクリート打放しの建物ですが、景観に配慮して地中に配されてます。
「地中の宝石箱」とも呼ばれる新館にはモネの睡蓮の絵が数点ある他、絵画が展示されてます。
撮影禁止なので写真はありませんが。
大正浪漫、洋館建ての好きな私には溜め息が出るばかり・・・
窓外の紅葉、煌めく光の中に 彼の時代に生き、
自然を愛し美を追究する稀有な趣味人であった関西の実業家、
加賀正太郎(明治21年~昭和29年)の陰が映った気がしました。
生協のパン(実生活)と洋館の優美さ(非現実的)はなかなかアンバランスでよろしいかと・・・。
おにぎり食べて下さい(笑)。
○ 保存協力依頼
山荘のHPの写真の紅葉綺麗ですね。
やはり今年の紅葉はどこも綺麗な赤ではないようですね。
気温のせいなのでしょうか。
カッパさんが羊羹が好きだとは知りませんでした。
喫茶室にはケーキしか無いようで、COOP寄ってから行きましたよ。
たまに綺麗な樹もあるのですが、写真に撮るのは難しい・・・
羊羹は隙じゃない!手土産は貸す寺にして下さいネ。
私も羊羹好きですちゃーうようかん、洋館
こんなとこで、お食事も出来ればいいでしょうにね、ケーキだけではもったいないような雰囲気のある所ですね
紅葉と洋館って、洋館で羊羹食べる感じ
足しげくそこへ通うのに、右手山麓にサントリーマークを見ながらR171を走ったことを想い出しました。
若き日の淡い想ひ出(これ実話)
今ではこんな風になってるのね・・・
日本の文化に馴染んでる感じがします。
>お食事も出来れば
天ぷら定食、いっちょーーぉ!
うら若き頃?30年以上前??
足しげく通ってられましたか、その頃は←ここ重要
ウブだったんでしょうねぃ・・・
全然ぶれませんね。
やっぱり手ぶれ補正は必要かな~
料理はドイツ料理なんかが似合いそう。
昔の方がいまより文化的だったかも。