カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

第九番札所 南円堂

2012-02-26 23:59:48 | 西国三十三所巡礼
西国三十三所観音霊場巡り、順番通り巡ってますが10寺目(番外1含む)。
第九番札所『興福寺 南円堂』(こうふくじ なんえんどう)
奈良県はここでお終い、番外寺を含めて5寺は思ったより少なかった。
ちなみに京都府は番外を含めると12寺ある。

札所の南円堂は興福寺の堂宇のひとつで、八角円堂としては日本最大級といわれている。
興福寺はよく知られたお寺ですが、訪れるのは初めて。
行ってみると、東大寺や奈良公園、春日大社と隣接しているので何処がどこやら。
この辺り一帯は「古都奈良の文化財」と呼ばれる世界遺産になっている。

駐車場はアチコチにあるが、興福寺国宝館の前に1台分だけ空いたので停めることにした。



国宝館の外観は撮らなかったけれど、中にはあの有名な三面六臂(顔が3つに腕が6本)の
「阿修羅像」など、国宝・重要文化財が数多く置かれている。



「東金堂」〔国宝〕
ここも素晴らしい仏像の宝庫です。ご本尊「薬師三尊像」は重要文化財ですが、
文殊菩薩坐像・維摩居士坐像・十二神将立像・四天王立像など、18体もの国宝が
立ち並ならぶ濃密な空間になっています。



さすが奈良、鹿が・・・シカもナラんでますね。(^_^ゞ





興福寺「五重塔」〔国宝〕
高さは50.8mで、木造としては京都・東寺の五重塔に次ぐ、日本で2番目の高さです。
奈良に無くてはナラないランドマークですね。



「中金堂」只今工事ちう。発掘調査も終え、2018年の落慶を目指しています。


はい、いよいよ南円堂です。





「南円堂」〔重文〕
中には仏師・康慶(運慶の父)作のご本尊「不空羂索観音坐像(国宝)」や
「四天王立像(国宝)」などが安置されてますが、開扉されるのは年に一度だけ。(10/17)
弘仁4年(813年)藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した八角堂。
その後、焼失・再建を繰り返し、現在の建物は寛政元年(1789年)四代目の建物である。
なお、平成4年から3年半にわたり解体修理を受けているので、古い建物が多い中、
新しく綺麗である。








ところで「興福寺」の歴史を辿ると、天智天皇8年(669)に藤原鎌足が造立した
釈迦三尊像を安置するため夫人の鏡王女が京都山科に建てた山階寺(やましなでら)が
始まりとされ、その後飛鳥、さらに平城京への遷都にともないこの地に移り、
興福寺と呼ぶようになったそうで、別名「山階寺」ともいうそうだ。

私、五十余年、山科に住んでいるがそんなこと聞いてなかった、知らなかった。(^_^ゞ
調べてみると、なんと数年前「山階寺跡」の石碑を立てたそうだ。

自宅からもほど近く、いつもの散歩コース天智天皇陵の東にあった。


閑話休題



南円堂を南から見たところ。



北から見たところ。


南円堂のちょうど南には「猿沢の池」があり、そちらから上がることもできる。




このルートだと、興福寺の境内を通らず南円堂に直接来れることになる。


階段を上りきった左手に「鐘楼」があった。
ちょうど正午の鐘をつかれてました。




興福寺がこの地に移設されたのは平城遷都と同時、和銅3年(710年)。
藤原氏の氏寺としてだが、同じく藤原氏の氏神「春日大社」や東大寺より前である。
摂関家藤原北家の隆盛とともに、大和国一国の荘園のほとんどを領し
その勢力の強大さは、比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」と称された。
最盛期には四町四方に170坊あまりの堂舎が立ち並ぶ大寺院となり、
鎌倉・室町時代の武士の時代になっても僧兵等を擁し強大な力を持っていたため、
幕府は守護を置くことができず大和国は実質的に興福寺の支配下にあり続けた。
後に織田・豊臣の力に屈し、知行を春日社興福寺合体で2万1千石とされ、
その石高は江戸時代も守られたのですが、明治になり神仏分離令、廃仏毀釈の
波に呑み込まれ、子院はすべて廃止、寺領は没収され・・・
その危機を乗り越えて今に至るのだが、廃仏毀釈の行き過ぎぶりを語るときに
興福寺の事例がよく引用されている。



「三重塔」〔国宝〕
五重塔に比べると小さく(当然?)目立たないところにあるので
観光客の姿も少ないのだが、バランスの取れたとても美しい建造物だと思う。






「北円堂」〔国宝〕
こちらもまた美しい建物で、三重塔とともに興福寺では最古の伽藍である。
この二つの伽藍は、一目見て国宝ッ!って気にさせるオーラを漂わせている。

興福寺は度重なる火災によって焼失しているが、特に治承4年(1180)
源平合戦による平重衡(しげひら)の南都焼討ちで、東大寺と共に
ほとんどの伽藍が焼失。三重塔、北円堂もその時に焼失し後に再建されたものである。
平重衡は、今、NHK大河ドラマで描かれている平清盛の子。この焼討ちで
東大寺大仏も焼け落ちたのだが、清盛はこの1年後死去することになる。





○宗派:法相宗大本山 ○開基:藤原冬嗣
○御本尊:不空羂索観世音菩薩 ○創建:弘仁4(813)年

御詠歌「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲」


11 コメント

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国宝オーラ (7駆)
2012-02-27 08:59:58
確かに感じます。

だーれもいてないところにひっそりと。
なんですが、なぜか惹きつけられるものがあります。
(なんで、観光客がいないのかな?)



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古都ですね (京男)
2012-02-27 11:15:02
たぶん歩いたことがあります。
歴史は調べなかったけど。
調べると面白いでしょ。

お寺に行くと階段の多さが辛いです。
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はじめまして! (ユートラベルノート 石田)
2012-02-27 15:45:09
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☆とうととう >7駆さんへ (路渡カッパ)
2012-02-27 16:48:14
五重と三重、やはりインパクトが強いのは五重の塔ですが
この三重塔は何か惹きつけられますよね。ホンダフリードみたい
・・・「ちょうどいい」♪
こちらには鹿もいませんでした。←鹿でしか?
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☆色合いが >京男さんへ (路渡カッパ)
2012-02-27 16:49:12
同じ古都でも京都とは味わいが違いますね。やたら古そうです。
歴史調べて驚きました。創建が山科だったとは!
それにその勢力の強大だったこと、それほどの寺院だとは思ってませんでした。
寺に階段は付きものですね、昔はバリアフリーの意識皆無ですね。
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なるほど ( ピィ)
2012-02-27 18:06:52
なんか見たことがあると思ったら、奈良公園そば、国道の池のあたりから見えるところですね。
道理でシカがいるわけだ(笑)
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Unknown (aw@bitlog)
2012-02-27 18:10:26
瓦といい、屋根といい、格子といい、どれも造形の素晴らしさに圧倒されますね。
こういう美って、もっと工業製品に取り入れられていいと思うんですが。
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☆ちらちら >ピィさんへ (路渡カッパ)
2012-02-28 00:26:39
国道からだと五重の塔が見えますね。
三条通に入ると南円堂も見えるはずです。
クルマで走っていると何処が興福寺やら東大寺やら分かりませんが・・・
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☆日本美 >aw@bitlogさんへ (路渡カッパ)
2012-02-28 00:31:17
意外と知らず知らず取り入れているのではないでしょうか?
C国のコピー製品を見ても、どうしても中華風に見えますもん。
何か染みついた美感覚て、民族にはあるのかも・・・
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よく調べてますね (M)
2012-02-28 23:16:24
記事を書くのに、結構時間かかるんじゃないですか?
仕事はいつしてるんでしょうね、昼は、ゲームで忙しいしね。
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