『補陀洛山 総持寺(ふだらくさん そうじじ)』は、
大阪府茨木市の住宅地の中に、どど~んとあります。
駐車場は無人ゲートのチケット式。納経所で機械に通してもらえば無料になります。
「手水鉢」
センサー式で、前に立つと水が出てくるエコな機構。
仁王門は結構立派、左右に賽銭箱も装備されていますw
仁王像はここでは珍しく古そうなものですが、何時頃の誰の作か等は判りません。
お寺の創建は古く、890年。しかし織田信長に焼かれ、豊臣秀頼により
本堂などは再建されています。よく聞くパターンです。
仁王門の内側には
ガチャポン式のおみくじ販売機!・・・何ともねぃ。
「開山堂」
懸造りの新しい伽藍です。包丁式はここで行われるのかな?
「納経所」
近代的な建物です。グッズ販売もあり、納経帖など他所より安いのだとか。
駐車料はここで精算、無料になります。この前を抜けると直ぐ下が駐車場です。
「庫裏」
芝生に敷石、石庭ですかね・・・よく見ると、コンクリートでした!
「鐘楼」 「地蔵尊」
南無抜苦与楽地蔵菩薩の幟が立てられていました。何となく意味は判りますね。
正面が本堂、結構いろんな伽藍が所狭しと配置されています。
「大師堂」 「賓頭盧尊者様」
「本堂」
1603年に豊臣秀頼の命により再建されました。この年は徳川家康が
征夷大将軍になり江戸幕府が開かれた年ですね。
総持寺のご本尊は、亀に乗った「千手千眼観世音菩薩」で有名です。
これには開祖、藤原中納言山蔭(やまかげ)。にまつわる話しがあります。
山蔭が子供の頃、父の高房(たかふさ)が太宰府への任地へ赴く途中、
淀川で大亀が漁師に捕まっているのを見て、その亀を買い取り逃がしてやった。
その夜、まだ幼い山蔭は継母の策略で川の中へ落とされてしまいます。
高房が知り、その無事を観音様に祈ったところ、山蔭を背中に乗せた大亀が
現れたのだそうです。昨日助けた大亀に命を救われた。
そのことに感謝した高房は観音像造立を決意するが、叶わぬまま逝去。
父の遺志を継いだ山蔭は観音のお告げにより、
長谷寺の(観音の化身である)童子に千手千眼観世音菩薩を彫っていただき、
本尊として開基したという「亀の恩返し」のエピソードは、今昔物語集にも
書かれている有名なお話しなんだそうです。
だから?ここの池には亀さんがいっぱい。乗れるほど大きな亀はいないけど・・・
なお、ご本尊の秘仏ですが毎年4月15~21日に開扉されます。
信長に焼討ちされた際、下半身だけは焼け焦げたが上半身は金色に輝いていた
とかで、「火除け観音」としても信仰されているそうです。
「閻魔堂」 「五社稲荷大明神」
??
「東門」 「竜宮門」?
東側にある山門と竜宮門風の通路、総持寺にはパンフレットが無かったかな。
公式HPにも境内の配置図や伽藍、寺宝などの説明が見当たりません。
「鎮守社」 「包丁塚」
包丁塚に関しては、先ほどの亀の恩返しの話しの続きがあるのです。
観音様のお告げで童子姿の仏師に仏像の作成を依頼すると、「観音像を刻む
千日間は決して仏舎に入らぬこと、そして中納言藤原政朝(山蔭)自身が
千日間、自分の為に料理を作ること」と告げられます。
そして千日目の朝、山蔭が仏舎に入り確認すると童子は空に飛び立って行き
亀の背に乗っている素晴らしい出来の千手観音像が残されており、
その前には千日間山蔭が作った食事がお供えしてあったそうです。
この「中納言の千日料理」のエピソードから、藤原山蔭は「包丁道の祖」と
崇められるようになり、総持寺では毎年4月18日に「山蔭流包丁式」が行われ、
料理技術の上達を願う料理人や一般の参拝客で賑わうのだそうです。
「金堂」 「井戸」
薬師如来像が安置されているようだが、それほど規模は大きくない金堂。
何やらお供え物が綺麗に置かれてある井戸?詳細は判りませんでした。
「普悲観音堂」
ここは「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」の第六番札所ですが、この観音像、
同じものを既に2度見ています。西国三十三ヵ所巡礼をすると3ヵ所で
重複するようです。
「普悲観音像」の周り、堂の壁面には西国三十三ヶ所と四国八十八ヶ所の
各札所の本尊を刻んだ石仏が並べられており、お砂踏み場となっています。
「ペット納骨供養塚」
「不動明王堂」 「荒神社」「経蔵」
伽藍はひしめいていますが、境内はそれほど広くなく、何たって平坦♪
楽ちんなお寺でした。(^_^ゞ
2012.9/16、総持寺にて。百日紅(さるすべり)の花
○宗派:真言宗高野山派 ○開基:中納言藤原山陰
○御本尊:千手観世音菩薩 ○創建:寛平2(890)年
御詠歌「おしなべて 老いも若きも 総持寺の ほとけの誓い 頼まぬはなし」
大阪府茨木市の住宅地の中に、どど~んとあります。
駐車場は無人ゲートのチケット式。納経所で機械に通してもらえば無料になります。
「手水鉢」
センサー式で、前に立つと水が出てくるエコな機構。
仁王門は結構立派、左右に賽銭箱も装備されていますw
仁王像はここでは珍しく古そうなものですが、何時頃の誰の作か等は判りません。
お寺の創建は古く、890年。しかし織田信長に焼かれ、豊臣秀頼により
本堂などは再建されています。よく聞くパターンです。
仁王門の内側には
ガチャポン式のおみくじ販売機!・・・何ともねぃ。
「開山堂」
懸造りの新しい伽藍です。包丁式はここで行われるのかな?
「納経所」
近代的な建物です。グッズ販売もあり、納経帖など他所より安いのだとか。
駐車料はここで精算、無料になります。この前を抜けると直ぐ下が駐車場です。
「庫裏」
芝生に敷石、石庭ですかね・・・よく見ると、コンクリートでした!
「鐘楼」 「地蔵尊」
南無抜苦与楽地蔵菩薩の幟が立てられていました。何となく意味は判りますね。
正面が本堂、結構いろんな伽藍が所狭しと配置されています。
「大師堂」 「賓頭盧尊者様」
「本堂」
1603年に豊臣秀頼の命により再建されました。この年は徳川家康が
征夷大将軍になり江戸幕府が開かれた年ですね。
総持寺のご本尊は、亀に乗った「千手千眼観世音菩薩」で有名です。
これには開祖、藤原中納言山蔭(やまかげ)。にまつわる話しがあります。
山蔭が子供の頃、父の高房(たかふさ)が太宰府への任地へ赴く途中、
淀川で大亀が漁師に捕まっているのを見て、その亀を買い取り逃がしてやった。
その夜、まだ幼い山蔭は継母の策略で川の中へ落とされてしまいます。
高房が知り、その無事を観音様に祈ったところ、山蔭を背中に乗せた大亀が
現れたのだそうです。昨日助けた大亀に命を救われた。
そのことに感謝した高房は観音像造立を決意するが、叶わぬまま逝去。
父の遺志を継いだ山蔭は観音のお告げにより、
長谷寺の(観音の化身である)童子に千手千眼観世音菩薩を彫っていただき、
本尊として開基したという「亀の恩返し」のエピソードは、今昔物語集にも
書かれている有名なお話しなんだそうです。
だから?ここの池には亀さんがいっぱい。乗れるほど大きな亀はいないけど・・・
なお、ご本尊の秘仏ですが毎年4月15~21日に開扉されます。
信長に焼討ちされた際、下半身だけは焼け焦げたが上半身は金色に輝いていた
とかで、「火除け観音」としても信仰されているそうです。
「閻魔堂」 「五社稲荷大明神」
??
「東門」 「竜宮門」?
東側にある山門と竜宮門風の通路、総持寺にはパンフレットが無かったかな。
公式HPにも境内の配置図や伽藍、寺宝などの説明が見当たりません。
「鎮守社」 「包丁塚」
包丁塚に関しては、先ほどの亀の恩返しの話しの続きがあるのです。
観音様のお告げで童子姿の仏師に仏像の作成を依頼すると、「観音像を刻む
千日間は決して仏舎に入らぬこと、そして中納言藤原政朝(山蔭)自身が
千日間、自分の為に料理を作ること」と告げられます。
そして千日目の朝、山蔭が仏舎に入り確認すると童子は空に飛び立って行き
亀の背に乗っている素晴らしい出来の千手観音像が残されており、
その前には千日間山蔭が作った食事がお供えしてあったそうです。
この「中納言の千日料理」のエピソードから、藤原山蔭は「包丁道の祖」と
崇められるようになり、総持寺では毎年4月18日に「山蔭流包丁式」が行われ、
料理技術の上達を願う料理人や一般の参拝客で賑わうのだそうです。
「金堂」 「井戸」
薬師如来像が安置されているようだが、それほど規模は大きくない金堂。
何やらお供え物が綺麗に置かれてある井戸?詳細は判りませんでした。
「普悲観音堂」
ここは「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」の第六番札所ですが、この観音像、
同じものを既に2度見ています。西国三十三ヵ所巡礼をすると3ヵ所で
重複するようです。
「普悲観音像」の周り、堂の壁面には西国三十三ヶ所と四国八十八ヶ所の
各札所の本尊を刻んだ石仏が並べられており、お砂踏み場となっています。
「ペット納骨供養塚」
「不動明王堂」 「荒神社」「経蔵」
伽藍はひしめいていますが、境内はそれほど広くなく、何たって平坦♪
楽ちんなお寺でした。(^_^ゞ
2012.9/16、総持寺にて。百日紅(さるすべり)の花
○宗派:真言宗高野山派 ○開基:中納言藤原山陰
○御本尊:千手観世音菩薩 ○創建:寛平2(890)年
御詠歌「おしなべて 老いも若きも 総持寺の ほとけの誓い 頼まぬはなし」
私も同じような時代が・・・(^_^ゞ
スケコマシってのは、先輩の事にしておけばイイのですね。
茨木市は大学生の頃に住んでいた町です。
総持寺は、スケコマシの先輩が住んでいました。
私は、王将アルバイトの稼ぎを、バイクやパチンコにつぎ込んでいました。
お寺とは関係がない話ですね。
石庭は人材不足?作れる人が居ないのかもね。
側にあるゴミ箱はケース回収のものですね、きっと。
ゆるーい感じがいいですね。
確かに確かに駐車場、斜面でした。ドアパンチの危険性もあるな、
停める場所を選ばないと・・・
コンクリート製の枯山水、合理的そうですが
汚れるだろうし、修復するのも大変?砂の方が合理的かも・・・
いじめられる亀、でも助けると良いことが・・・こういう素朴な精神がいじめ問題の解決になったりして。
コンクリート製の枯山水、初めて見ましたよ。
きっとコンクリートの石庭造ってたんやな
境内は平坦でも駐車場は・・・
座面が高い車はドア開けた瞬間転げ落ちる
この話しは今昔物語や源平盛衰記等にも出ているそうですが・・・
そう言えば、まんが日本昔話ってまだ続いているのかなぁ?
コンクリート製の枯山水、見てみたい(^^ゞ
関連性はないのかな?
石庭がコンクリートとは。
たしかに「石」から造られてはいますが(笑)
亀の恩返しですか。面白い。
ここは海亀系じゃなかったのかな。
いろんなストーリーが頭に浮かびました。
面白いのですが、下品なのでかけません。(笑)