カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

もんもんもん・・・だもんッ!

2015-08-02 17:19:30 | しゃじ
西本願寺には多くの門がありますが、中でも際立っているのが
国宝「唐門」。あまりの見事さに日が暮れるのも忘れて
見とれてしまうので「日暮し門」とも呼ばれています。

まずは西本願寺の門を振り返ってみると・・・


〈御影堂門(ごえいどうもん)・重文〉〈阿弥陀門(あみだもん)・重文〉


〈御成門(おなりもん)・重文〉   〈総門(そうもん)・重文〉

興正寺との間に〈北小路門〉があり、その先の北小路通には
〈唐門〉〈大玄関門〉〈台所門〉が並びます。
西側にあたる大宮通にも〈大宮門〉があるようですが、確認せず。


なんといっても、これを見ずして西本願寺を去れません。


〈唐門(からもん)・国宝〉


(境内側・北面、内側から)


(北小路通側・南面、表側から)

桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した檜皮葺き・唐破風の四脚門、
伏見城の遺構とも伝わります。

京都の国宝三唐門の一つで、他の二つは豊国神社の拝殿の唐門と
大徳寺の唐門、これは秀吉の聚楽第から移されたもののようです。
日光東照宮の陽明門も日暮御門と呼ばれていますが、あれに比べると、
かなりこじんまりしたものです。ただし、こちらの方が先。(^_^ゞ



(内側)


(表側)

よく見ると、微妙に違います。


(内側)


(表側)


(内側)


(表側)

ちなみに、架空の動物「麒麟」ですが、某ビールメーカーの
商標はここの彫刻を見本に作られたとか言われていますが・・・
知恩院の三門の楼上の天井の麒麟の絵がモデルだとも?
どうやら、実際は長崎のグラバー邸にある狛犬を参考にした
というのが真相のようです。


決定的な違いは、内側には無く、表側には・・・


(内側)


(表側)
見えますか?菊の御紋の上に見事な孔雀の彫刻が。
菊御紋があるということは、勅使門として使われていたのかな、
迎え入れる側にだけ孔雀を配したのかもしれませんね。
その下には豊臣の桐紋が見られます。



側面の破風には鶴が。これは西側だったかな?
反対側の鶴はくちばしを開いて羽ばたいている姿でした。
左甚五郎作と言われ、夜な夜な飛び立つので首を切り落とした
てな話が伝わります。こんな逸話多いよね・・・(^_^ゞ



ここにも豊臣の紋が。天下をとった徳川がよく許したものですね。
ま、東本願寺を造って対抗したから?
強大な本願寺の勢力とトラブルを起こしたく無かったのかな。



(北東角・内側から見て左角)
側面軒下に虎が2頭、柱をはさんで向き合っています。
木鼻(きばな)は、彩色された唐獅子と牡丹の彫刻で賑やかです。
正面は上に獅子、下は麒麟。真ん中に鳳凰の金箔細工、
あちこちに桐と菊の金箔細工が散りばめられていますね。


(北西角・内側から見て右側)
こちらの側面軒下は、奥(表側)に豹がいます。向かい合わずに
虎に威嚇されて豹が逃げ腰のような・・・

獅子に虎、豹、麒麟。孔雀や鳳凰、鶴・・・まるで動物園。(^_^ゞ
植物も菊に桐、松、竹、牡丹や唐草・・・その他まだありそう。
大層な美術品、しかも国宝なのに気軽に無料で鑑賞できるのは
嬉しいのですが、保存管理が心配ですね。
ただ不思議なことに、この門には鳥も蜘蛛も巣を作らないのだとか
そう言えば蜘蛛の巣も見られないし、本堂や御影堂の軒下には
鳥除けの金網が張られているのに、ここにはありません。


袖壁の部分です。写真は内側(北)の左右(東西)






表面(南)には、黄石公と張良の故事が透かし彫りで表されており、
この内側は、許由と巣父の故事になっています。

※黄石公(こうせきこう)と張良(ちょうりょう)の逸話(簡略版)
張良が始皇帝の暗殺に失敗し身を隠していた時、馬上の老人と
出会う。老人は沓を橋の下に落とし、張良にむかって「拾え」と
命じ、張良は怒らずそれに従った。老人はにんまりして去ったが、
戻ってきて五日後の朝に再会を約束。
五日後、日が昇ってから現れた張良に、先に来て待っていた老人は、
「目上の者と約束をしておきながら遅れてくるとは何事か」と、
また五日後に会う約束をし、去る。
張良はまた五日後、今度は日が昇ると同時に約束の場所へ行ったが、
またも老人はすでに来ていて、以前と同じことを言う。
三度目には日が昇る前に行くと、老人は後から来て「その謙虚さ
こそが宝である」と言い、張良に「太公望兵書(六韜)」を与え、
「この書を読み10年後には王者の軍師となるだろう」と告げる。
さらに「13年後にまた逢おう。済北の穀城の下にある黄色い石が
私である」とも。

※許由(きょゆう)と巣父(そうふ)の逸話(簡略版)
許由・巣父はともに中国古代の伝説上の帝王堯(ぎょう)の時代の
高士(世俗を離れて生活している高潔な人物)で、許由は帝堯の
国を譲るとの申し出に対し、耳が汚れたと川の水で洗ったとか。
巣父はそのため川の水が汚れたと牛に水を飲ませず帰ったという。
理想的な高士というものは、権力は汚らわしいものとし、そんな
誘惑に負けない意思を持っていること。許由はそれを実践して
みせたのですが、さらにそのことを知った巣父もまた、許由に
よって洗い流された権力の誘惑が流れる川の水を牛に飲ませまい
とした。高士とは皆こうあるべきという戒めの話なのかな。
水を欲し飲もうとする牛は、無欲を嘲笑するような俗欲、あるいは
心に潜む俗欲を象徴する存在として描かれているのかも知れない。

ちなみに黄石公と張良の俗世の立身出世話が門の表側に置かれ、
許由と単父の戒めが内側にあるのは、意味がある気がしますね。


細かく見ると、ほんと日が暮れるかもね。表と内側でこれほど
違いがあることも気付かず、写真を撮らなかった。
ぜひまた、もっと詳しく観に行きたいものです。



メインとも感じられる扉の獅子の彫刻。黒漆塗りの門に彩色を
施された彫刻が扉一枚を四枡に分けて張られている。
この美感性は素晴らしいですね。
獅子だけに表裏で、シシ16・・・ってか♪(^_^ゞ





写真は、内側だけです。片手落ちになってしまった・・・

表はと言えば、

(北小路通りからの唐門)



表側は柵が高くて、扉などは見にくいです。



実は母子(?)の獅子も見られるのですが…左はじゃれる子獅子、
右はちょうど見えませんが、乳を飲む子獅子の姿が・・・


唐門のすぐ西隣りには〈大玄関門〉があるのですが、補修工事中で
見ることはできませんでした。


〈浪の間玄関・重文〉
切妻に2羽の鳳凰が彫られています。


〈中雀門〉


〈中雀門〉           〈書院の屋根〉

この向こうに白書院・黒書院・北能舞台など、国宝建築物がずらりと
建ち並んでいるのかな。
西本願寺の『国宝・重文 建造物』



2015.7/5、西本願寺 唐門にて。