カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

もうちょっと、うろうろ男山。

2014-04-17 22:42:07 | 京都徘徊記
『絲杉山 神應寺(しすぎさん じんのうじ)』何故かまた行きたくなりました。
以前は石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の展望台近くから徒歩で
険しい山道を谷に降りて、また山を登って・・・今回はクルマでぐるっと
回り込んでみました。五輪塔(航海記念塔)があったところから狭い道を
もう少し先に行けば参道口の山門があります。直ぐに160段余りの急な石段が
待っています。で、そこもパス。その先の駐車場へ向かいました。(^_^ゞ


無料駐車場、貸し切り状態でした。



山門からの参道の石段は回避したものの、こちらからも結構な登り坂。



最後は結局、急な石段が待ち構えています。横になにやらレールが・・・



電動リフト?バリアフリーの装置かと思ったのですが、どうやら荷物用?




率直に言って「城南第一の古刹」と言われているようには見えません。(^_^ゞ
創建は平安時代初期の860年、石清水八幡宮を創建した行教律師によって、
応神天皇の御牌所として創建されたといわれる。当初「応神寺」として、
四宗兼学(天台、真言、法相、律)の道場でした。寺号も天皇の号まんまなので
「神応寺」と改め(逆さにしただけ?)現在は、曹洞宗の寺院となっています。



寺紋は、豊臣家(太閤桐)及び徳川家(三葉葵)両家の家紋使用が認められて
いるのだそうです。これは珍しいですね。
秀吉の死後、秀頼によって安置された秀吉公の木像があり、徳川家代々の
位牌も安置されているのだとか。

「神応寺てらこや」と言うのがどういうものなのかは、判りませんでした。



元禄五年(1692年)に作られたとされる鐘楼で、この釣鐘の中でお願い事を
大声で叫べば望みが叶うのだとか・・・



この釣鐘、江戸時代の豪商、5代目淀屋辰五郎の寄進って事じゃなかったかな?
そんな記述は無いので、きっと思い違いかな。(^_^ゞ
ただこのお寺には淀屋辰五郎のお墓があるようです。
大阪の淀屋橋はこの淀屋が架けた橋だったり。「一刻の商いが80万両に及ぶ」
という米市を初め、幕府や西国33ヵ国に総額15億両という大名貸しを行い、
その力は百万石の大大名も凌ぐ前代未聞の大豪商だったそうです。
ちなみに、淀屋の栄華も5代目辰五郎の時に、ぜいたくが過ぎ?町人の身分を
わきまえぬと、徳川幕府から米商の免許を取り消された上、
家財等を没収されて潰れてしまいましたとさ。



以前、このお寺に来た時は、椿がもっと咲いていて等身大の竹人形があったり
結構楽しめたのですが・・・w
秋は紅葉の名所であり、本尊薬師如来、日光・月光菩薩像、
重要文化財である木造行教律師座像などが特別拝観ができるようです。
書院は伏見城の遺構と伝えられ、襖戸杉戸には狩野山雪の筆による「竹に虎」
「御所車(重要文化財)」が描かれている。これも見られるのは特別公開時。
なお、近代の航空機研究者・二宮忠八のお墓もあるそうです。


ここまで来たら奥の院、杉山谷不動尊にも行ってみないとね。



途中、この下を通ります。男山ケーブルの橋脚で、高さ50mはケーブルの
橋脚としては日本一だとか。



15分に1回、ちょうどここで登りと下りがすれ違います。
スピード遅いので写真に撮るのは簡単ですが、木立が邪魔で・・・
前回のように散策路・こもれびルートからだと上から撮ることもできます。


さらに谷の方へと降りて行くと谷不動への道。
途中の分かれ道を、朱の鳥居の方へ行くと霊泉瀧(ひきめの瀧)、ちょっと
気味が悪いので行きませんでしたが。(^_^ゞ



神応寺もそうですが、ここはなおさら人の姿を見ません。静けさの中に
ただただ幟がはためいているだけ・・・



雰囲気あります、お堂も他では見ないようなカタチだし・・・









由来を読むと、平安時代の初期、悪鬼が出没し、人々を悩ませていた。
たまたま、諸国を行脚中の弘法大師(空海)がこの話を聞き、法力によって
悪鬼を封じた。そして、一刀三礼により不動明王を刻んで安置し、諸人を
護ったという。本堂には、悪魔降伏のために憤怒の形相をした不動明王が座し、
両脇には善悪を掌る矜羯羅(コンガラ)、制咤迦(せいたか)の2童子が
控えている。これらは秘仏で見られないようですが、十一面観世音菩薩像が
安置されているのは見られます。

こんな秘境のような霊場ですが、駅から徒歩10分ほどなんです。
夏場はひんやりして良さそう・・・












2014.3/16、神應寺にて。