京料理 道楽のブログ

道楽の新着情報や、日常のちょっとした一言を書き込んでいきます。

おせち料理

2008-12-18 | Weblog
以前は、おせち料理と言うたら事始めからだんだんと用意を始めて、大晦日の夜に仕上げる大変手間隙のかかるもんでした。早いうちに黒豆やごまめなんかの食材を仕入れたり、棒鱈を戻したりしとかなあきません。
今はお正月から営業しているお店もたくさんあるので、三が日おせち料理を毎日食べるのも嫌やし、お祝いの形だけは整えたいんで縁起もんを少しずつ欲しい、または夫婦二人だけなんで、量もそんなに要らないし多種の料理をちょっとずつ作るのは大変なんでという理由から、近年ではデパ地下などで調達しはる方が仰山いたはります。うちも販売しておりますけど、やっぱりご家庭で煮炊きもんなど出来る料理は作って、手間の掛かるもんは良いもんを選んで買うてきてもええので、家のお重に詰めて新玉(あらたま)の年を祝って欲しいもんですね。うちの料理教室でも出来るだけ美味しく手軽に作れますようにレシピをお教えしております。
古(いにしえ)よりおせち料理は、食材それぞれに願いを込めていただきます。
黒豆はいつまでも健康でよく働けますように。海老は元気に長寿でありますように。蓮根は先の見通しがたつように。慈姑(くわい)はめがでるように。昆布巻き(こんまき)は慶ぶに通じる縁起もん。栗は勝負事に勝つ。数の子やいくらは子孫繁栄。田作りは五穀豊穣…等々です。
白味噌の具にも同様に、丸餅は万事角が立つことなく丸く収まるように。大根は大地に根を張るようにしっかりと地に足をつけて。人参は初日の出。頭芋は一家の頭に立って家の弥栄(いやさか)、子芋・孫芋は子孫繁栄など様々な祈りを込めていただくのです。
年の初めにいただく淑気の料理なんで、ぜひとも愛情を込めた手作りのおせち料理でお迎え下さいませ。

料理人の遣り甲斐(やりがい)

2008-12-18 | Weblog
ぼくは、丁稚の時分から今に至るまで、料理技術の向上、設(しつらえ)および器と料理の調和の妙味、お客様のお喜びの御様子、献立を考えること等々に幸せを感じて頑張ってまいりました。
板場の仕事というのは、体力面・神経面においてもしんどい仕事やし、楽しいことよりも辛く苦しいことのほうがはるかに多いでしょう。いずれの仕事でもいえることやと思いますけど、目標に向かって向上心を持ち遣り甲斐を感じて、一生懸命やることで充実した日々を送ることが出来るのでしょう。
ぼくは料理人兼経営者でありすが、自分が納得する料理を心を込めて作り、自分が選んだ器に盛り付ける。ただそれだけのです。掛け物や花においても同様です。如何に珍しく変わった料理に仕上げてお客様をびっくりさせるかなどは一切考えません。当たり前のことを当たり前にやるだけです。昨今は経済至上主義で如何に儲けるかを第一に考えるため、今様々な問題が露呈してきております。
料理人は誇りをもって自分の納得いく仕事をし、お客様に供するのみやと思てます。

京料理本

2008-12-18 | Weblog
昨日、知人からお知らせ頂いたのですが、Amazonの京料理売れ筋ランキングで、先般刊行致しました【京料理七十二候】が四位に入っていて、二十位以内にぼくの著書が三冊入っていると聞いて、とても嬉しく存じております。お買い求め賜りました方々には、厚く御礼申し上げます。
尚、来年には『尚古京料理(仮題)』の刊行を予定致しております。
感謝

松樹千年翠(しょうじゅせんねんのみどり)

2008-12-18 | Weblog
おめでたいお席やお正月のお床に『松樹千年翠』というお掛物とよく出会います。時が流れても松は変わらない緑色を湛えているところから永久(とわ)の吉上(きちじょう)を願う意と捉えていましたが、最近この句は対句になっており『不入時人意』〈時(とき)の人の意(こころ)に入(い)らず〉と続くことを知りました。つまり松は千年も万年も変わらぬ美しい緑色を湛えているけど、人はいつも松を目にしていながら、それを心から美しいなぁと感じられる人はどれだけいるのでしょうかという意味なんでしょう。人は、その美しさに気付かないでいることが多いのです。美しいもん素晴らしいもんを目(ま)の当たりににしていても、その美しさ素晴らしさ価値を認識出来る目や感じる心を持たなかったら味気ない人生になってしまいます。ぼくも、季節の移ろいや自然が織り成す美を感じられるように心を磨き、物の価値を理解出来る知識を身につけるよう勉強していかなあかんなぁといつも思っております。お招きに預かって、きれいに掃除し水が打たれた露地を通り、お香(こう)薫る中、お
心入れの道具でおもてなし頂いても、そのお心遣いが何も解らないようでは、自分自身も楽しめないし、もてなす側も残念でしょう。