書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

「元気な日本を復活させる。」とは日本版共産国家か

2010-06-25 01:15:40 | 民主党政権綴り
「元気な日本を復活させる。」とは日本版共産国家か

参議院選挙が告示された。
だから地方でも真っ先に共産党の宣伝カーが、第一声とばかり、良く分からない何時もの宣伝文句を連呼して過ぎ去った。
小生の地域は1人区に3人とデカデカと新聞に出でいた地域。共産党というのは何時もの通り、誰が出ても皆同じような顔をした女性候補者。
今なのだからタレント候補並の若くて、美形の女性候補などは珍しくない時。
昔から女性闘士??をしていましたというのはどうも古すぎる。
一方、民主党の候補は全く知らない人物。
自民党の候補は書道協会の顧問もしている人物だから知らないわけはない。
いずれにせよ、昨年の衆議院議員選挙の自民党に「お灸」という話は一つも出で来ない。それにしても今政権政党である民主党というのは、何をやろうとしているのかさっぱり分からない感じがある。
以前の自民党政権時代であれば、大して政策を聞かなくても従来通りの政策と大差なく野党に投票しようが又は、選挙に行かなくてもどうと言うことは無かった感じだろう。
しかし、今度の民主党政権になってからは、この政府は何をするかどうか分からない不気味さを背負っている。
しかも視点は一般の国民でなく労働組合という労働貴族だからたちが悪い。
その民主党のたちの悪さは、「石原知事『うるせーよ!』、民主候補とバトル」(読売新聞Web)で書かれているとおり、ルール無視、選挙妨害などどう見ても従来の日本人感覚ではあり得ない。
この民主党のスローガンは「元気な日本を復活させる。」と言うものらしいことは新聞全面広告・ネット広告で分かった。
ところがこの「元気な日本」というのは国民を差しているのか、民主党の支持母体の官公労、日教組を示しているのか分からない。
だから日本語というのは、曖昧である。
ふつうの常識ならば、儒教精神や昔からの日本の伝統などによれば、父母両親を敬い、先祖を敬うと言うところから出発する。
ところが、今の民主党の概念から見ると父母も両親も先祖のどうも関係ないようなのである。なぜなら、民主党が推し進めるあの選択制夫婦別姓は、この父母や先祖との関係を希薄にして、全ての国民を国家に直接結びつけようとする。
それというのは、ナチスの全体主義やマルキシズムではなかったか。
しかし、このナチスや全体主義、マルキシズムでも国家の歴史や威厳という部分では一切の妥協もなく尊厳を守った。
ところが、この菅総理というのは早々と靖国神社には参拝しないと明言して日本国民の先祖を否定している。
A級戦犯が祭られているからという理由らしいが、A級戦犯というのは東京裁判というカンガルー裁判の政治犯に相当する人達であり、独立後に開かれた国会の全会一致で戦犯を事実上取り消している筈である。
そう言う独立直後に行われた国民一致の戦後処理に対して、未だに首相として異を唱えているという愛国者でない政治家。
世界中に探しても愛国者でない政治家はいないだろうことは確かだ。
そう言う人物が総理になっているのだから、鼻から「元気な日本を復活させる。」気もない。
正に「元気の出ない日本」である。
そして、本当に「元気な日本を復活させる。」などとは思っていないその本音がチラチラ出てしまう危惧を読売新聞社説(2010/06/24)が警告している。
それは、所得税論議 最高税率引き上げは問題多い(6月24日付・読売社説)
詳細は社説に譲るとして、こういうふうに所得税増税という昔のマルキシズム思想だか全体主義思想がチラチラと出てしてしまうところに、共産国が崩壊した現実は日本には適応されないことが良く分かる。
消費税を増税してスウェーデンの様な社会主義政策を目指すとすれば、相続税がゼロか、限りなく「なし」に近い制度をどうするのかという部分にも行き着く。
その上、国民が如何に政府を信用しているかという尺度がその高福祉高負担を実現している。
だから、スウェーデンは徴兵制を持つ国民皆兵であり、公務員が国民の約40%も占める。このことから見れば、日本は高福祉高負担の国にはなれない。

端的に言えば、今の国民は政府を信用していない。
なぜなら、米国の肩車に載って「貯蓄から投資へ」と政府は推進し、信用した国民は大損をした。国にお金を預ければ安心とばかり思っていた年金はいつの間にか食い潰される。
それなら銀行に預けていれば安心と思えば、ほぼゼロ金利政策で元本を使うしか生活を守れない。
その小金も今後の政府によってはどうなるか分からない。

国民か好景気に沸いたバブルは総量規制によって潰され、痛い目にあった国民は数知れず。それでも何とか国民を守ってくれそうだと信じていた警察は、あの北京オリンピックの聖火リレーの長野市をみれは信用できない。
警察は日本の国民を守らず、取り締まりは日本人。
そして中国人とおぼしき人達には治外法権だった。
政府は、国民の最後の砦である自衛隊に対しても指揮を損なうことを繰り返し、国民に対する安全保障をないがしろにする。

これで政府を信用しろと言っても信用しようがない。
これではその内に、日本人も中国人のように国を信用せず、金だけを信用する国民になりかねない。