デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

デラシネの女 1

2006-03-12 15:38:50 | 長谷川濬取材ノート
8時すぎには目が覚めたのだが、ベットからなかなか脱けられない。12時から濬さんの長女のRさんとの約束。本当はその前に首里城でも見ておこうかなんて思ったのだが、とてもそんな気力はない。11時すぎにホテルを出て、また国際通りを散策。しかしここは南国である、半袖でも寒くない。そういえば携帯に野毛の福田さんから着信の履歴。昨日の噂話で、くしゃみでもでたのだろうか?電話してみるといたって真面目な話しだった。12時に待ち合わせの三越のファミリーレストランへ。まだRさんはいらしておらず、腹が減っていたので先に食事をすませる。30分すぎても来ないので日にちを間違えたかと気になり、自宅に電話してみるが、出ない。と思ったらRさんが現れる。今年72歳になられるというが、お若いのにびっくり。濬さんが書いた日記にはよく登場してくのだが、だいたいこちらが予想していたような感じだった。沖縄に来られたのは、いまから7年前。リューマチに悩んでいたが、ハワイに行くと痛みがないので、南国に越そうか、ただ田舎はいやだ県庁所在地でないと、ということで那覇に引っ越してきたという。知り合いもなく、よく決断をと尋ねたら、私は長谷川の血が流れていますから、コスモポリタン、根無し草、ぜんぜん苦になりませんとのこと。なるほどである。今日はこちらから何かお聞きするというよりは、Rさんの思うままに濬さんのことを語ってもらえればと思っていた。圧倒されつづけた5時間半だった。
昨年一度お目にかかりたいのですがという手紙と、「虚業成れり」と、いまデラシネで書いている「彷徨える青鴉」をプリントアウトして送っておいた。この時すぐにハガキで返事がきて、「負け続けた男」ということには反撥を感じましたと、素直な感想を書いていただいた。これについてRさんは、じっくりと話しをしてくれた。これが今回の取材ではなによりの収穫だった。
「ひとりきりで机に向かい、日記を書くと、後悔やら怒りやらぶちまけてしまうし、確かに戦後の父の生活や私たち家族の生活は傍目から見れば、悲惨なものに見えるかもしれません。ただ一緒に生活していると、それだけではないのですよ。うまく言えませんが、家族で一緒にいると音楽のことやら、文学のこと、テレビを見ながら、ハメットの小説に出てくるセリフのことで話題にのぼるのですが、それはうちの場合ごく当たり前のことだったのです。なんて言うんでしょう。貧しいけど、豊かだったというか、だから負け続けた男というのは、身近にいる私たち家族にはあまりぴんと来ないのですよ」
「それよりまたどうして父なんですか、父の伝記なんて誰も興味がないんじゃないですか?神さんだったら別でしょうが」
この質問は、日記を貸してくれた次男のHさんも最初に言っていたことだった。いろいろその理由を説明しても、いやいやそんなと否定的である。それは謙遜とかではなく、本当に価値がないという感じでニベもないのである。最初の頃は身内なのに思っていたのだが、どうもこれは長谷川濬という人を父にもった子供たちの、ある意味での誇りなのではないかという気になってきた。「私たち家族が一緒にいた時間のなにものも変えられないもので、それだけでいい、それが大事であり、そしていまは自分たちのことで精一杯」、そう言っておられるような気がする。これが長谷川家の生き方なのかもしれない。
「ザッハリッヒ」というドイツ語があるが、事実に即してとでもいう意味だと思うのだが、ザッハリッヒに生きること、その中で自分たちが精一杯であれば、いいじゃないか、そんな生き方をしているように思えた。
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