書名 「煙る鯨影」
著者 駒村吉重 出版年 2008年 出版社 小学館 定価 1400円
今年度の小学館ノンフィクション大賞受賞作ということもあったが、テーマが捕鯨ということで買い求めた。親父が、長年捕鯨に携わっていた(解体の仕事)こともあるし、国際捕鯨委員会での捕鯨をめぐる長年にわたる対立も気になっていた。鯨の話はどこかで書きたいという気もあった。(自分がノンフィクョンを書くようになってから、親父もどこかで、書いてもらいたいという気持ちもあるようだ)
この作品は、近海で商業捕鯨を続けている太地の捕鯨船「勝丸」に乗り組んだ著者のルポルタージュである。調査捕鯨のことは知っていたが、ゴンドウとツチ鯨については捕獲が禁止されておらず、捕獲量は限られているものの、ずっと続けられていたということは不覚にも知らなかった。太地、房総和田、そしてオホーツクと14頭という定められた鯨を追ったこの船に、招かれざる客人として同船し、捕鯨に関する対立の歴史、現況、さらには太地の伝統的捕鯨についても織り込みながら、巧みな筆致で鯨を追う男たちを追っていく。力作である。最初の章を読み始めたときは、修辞の多い、過剰な文体にちょっといらいらしたのだが、船に乗り込んでからの話しになる二章以降は、ぐいぐいと引き込まれていった。特に残りの二頭のツチ鯨を求め、限られた期間の中で捕獲に苦闘する後半の三章は、なんとか捕獲してもらいたいという願いをこめながら、一喜一憂しながら読んでいた。著者の筆力の賜物であろう。
最初の頃は、著者が何故小型の捕鯨船に乗り込んだのか、その理由がはっきりしなかった。あとがきでも、本文でも著者が書いているように、ちょっとした興味からだったわけだが、逆にそこが良かったのかもしれない。大上段に構えて、現代の捕鯨問題を語ろうというのではなく、実際に船に乗り、寡黙な船長をはじめ、この商業捕鯨に身を預けている人々と一緒と過ごすことによって、鯨と共に生きている人々がいるということを伝えてくれる。調査捕鯨で捕れる鯨が市場の中でだぶつくなか、肉の質としても禁止されている鯨に較べて劣るといわれるゴンドウやツチを、わずかな頭数だけでも追う、まさに細々としたその捕鯨の実態をこうして語り残したということは、とても意義のあることだった。招かれざる客をいやいやながら受け入れた寡黙な船長が、わずか二頭の鯨の捕獲のために何故オホーツクにまで行くのかという著者の問いかけに「網走捕鯨の伝統を絶やさないためですよ」と答えている。この言葉の重みこそ、この本が一番伝えたかったメッセージなのではないだろうか。
著者は、三頭の捕獲に立ち会っているのだが、その捕獲の描写も見事であった。乗組員が一体となって、鯨を追い、そしてそれを撃ちとめる。まさに闘いである。そして房総和田での鯨の解体についても書かれてあるが、親父がこんなことをしていたのかと、感慨深いものがあった。乗組員の何人かが、親父の出身地牡鹿の鮎川であったことも親しみがもてた。おやじが知っている人がいそうである。
近海捕鯨、商業捕鯨のなかに、太地ではじまった日本の捕鯨の伝統が細々とながらも生き残っている。それが鯨の文化である。太地や和田、さらには網走で、解体の時に肉を求めて集まってくる住民たちの鯨の食べ方もまた文化なのである。それを声高に力説するのではなく、この文化を伝える人々と共に船に乗り、一緒に鯨を追いかけるなかで、ささやくように伝えようというところがこの書の最大の魅力なのではないだろうか。早速親父にこの本を送ってやろうと思っている。
満足度 ★★★★
著者 駒村吉重 出版年 2008年 出版社 小学館 定価 1400円
今年度の小学館ノンフィクション大賞受賞作ということもあったが、テーマが捕鯨ということで買い求めた。親父が、長年捕鯨に携わっていた(解体の仕事)こともあるし、国際捕鯨委員会での捕鯨をめぐる長年にわたる対立も気になっていた。鯨の話はどこかで書きたいという気もあった。(自分がノンフィクョンを書くようになってから、親父もどこかで、書いてもらいたいという気持ちもあるようだ)
この作品は、近海で商業捕鯨を続けている太地の捕鯨船「勝丸」に乗り組んだ著者のルポルタージュである。調査捕鯨のことは知っていたが、ゴンドウとツチ鯨については捕獲が禁止されておらず、捕獲量は限られているものの、ずっと続けられていたということは不覚にも知らなかった。太地、房総和田、そしてオホーツクと14頭という定められた鯨を追ったこの船に、招かれざる客人として同船し、捕鯨に関する対立の歴史、現況、さらには太地の伝統的捕鯨についても織り込みながら、巧みな筆致で鯨を追う男たちを追っていく。力作である。最初の章を読み始めたときは、修辞の多い、過剰な文体にちょっといらいらしたのだが、船に乗り込んでからの話しになる二章以降は、ぐいぐいと引き込まれていった。特に残りの二頭のツチ鯨を求め、限られた期間の中で捕獲に苦闘する後半の三章は、なんとか捕獲してもらいたいという願いをこめながら、一喜一憂しながら読んでいた。著者の筆力の賜物であろう。
最初の頃は、著者が何故小型の捕鯨船に乗り込んだのか、その理由がはっきりしなかった。あとがきでも、本文でも著者が書いているように、ちょっとした興味からだったわけだが、逆にそこが良かったのかもしれない。大上段に構えて、現代の捕鯨問題を語ろうというのではなく、実際に船に乗り、寡黙な船長をはじめ、この商業捕鯨に身を預けている人々と一緒と過ごすことによって、鯨と共に生きている人々がいるということを伝えてくれる。調査捕鯨で捕れる鯨が市場の中でだぶつくなか、肉の質としても禁止されている鯨に較べて劣るといわれるゴンドウやツチを、わずかな頭数だけでも追う、まさに細々としたその捕鯨の実態をこうして語り残したということは、とても意義のあることだった。招かれざる客をいやいやながら受け入れた寡黙な船長が、わずか二頭の鯨の捕獲のために何故オホーツクにまで行くのかという著者の問いかけに「網走捕鯨の伝統を絶やさないためですよ」と答えている。この言葉の重みこそ、この本が一番伝えたかったメッセージなのではないだろうか。
著者は、三頭の捕獲に立ち会っているのだが、その捕獲の描写も見事であった。乗組員が一体となって、鯨を追い、そしてそれを撃ちとめる。まさに闘いである。そして房総和田での鯨の解体についても書かれてあるが、親父がこんなことをしていたのかと、感慨深いものがあった。乗組員の何人かが、親父の出身地牡鹿の鮎川であったことも親しみがもてた。おやじが知っている人がいそうである。
近海捕鯨、商業捕鯨のなかに、太地ではじまった日本の捕鯨の伝統が細々とながらも生き残っている。それが鯨の文化である。太地や和田、さらには網走で、解体の時に肉を求めて集まってくる住民たちの鯨の食べ方もまた文化なのである。それを声高に力説するのではなく、この文化を伝える人々と共に船に乗り、一緒に鯨を追いかけるなかで、ささやくように伝えようというところがこの書の最大の魅力なのではないだろうか。早速親父にこの本を送ってやろうと思っている。
満足度 ★★★★