デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

さらばテリー

2006-01-10 23:43:22 | お仕事日誌
いよいよ今日から会社。気持ちも新たにといきたいところだが、問山が死んだと知ってから、どうも気持ちの整理がつかないでもやもやした気持ちのままの出社。今日は西田さんと自分だけ。年賀状の整理やらメール、特に海外から来ていたものに返事。机の上の蛍光灯が、なにか消えそうな感じ。それでなくても暗い気持ちなのに、一層気が滅入ってくる。暗い2006年のスタート。
まずは来週にせまったインド行きの件を片づけなくてはならない。査証申請の書類を作成、日程を確認していたら、なんと帰国が3月28日になっている。単なる表記ミスかと思ったら、実際そういうスケジュールになっていたという。確認しなかった自分が悪い。とにかく査証書類をもって、代理店へ。1月28日はウェイティングになっているというので、27日にプロテクトをかけてもらう。
事務所に戻り、サーカス村会報の発送のお手伝い。
18時すぎに会社をでて西田さんと一緒に、問山のお別れ会の会場の渋谷クアトロへ。なんでも特別にこの日クアトロを問ちゃんのためにあけてくれたらしい。急でしかも、年始の時期にもかかわらず会場にはどんどん人が押し寄せてくる。ステージの上には、花がいっぱい、そして中央に問ちゃんの珍しいネクタイ姿の写真が飾ってある。花を捧げたあと、19時から、テリーズバーの始まり。酒が好きで、たばこが好きで、女が好きで、そして音楽が好きで、ステーシが好きだった問ちゃんにふさわしく、しめぽっくならないように飲んで問ちゃんと別れを告げようということだ。最初に問ちゃんのメモリアルフォトがスクリーンに映し出される。
ほとんどが知り合う前の音楽プロダクションにいたときのもの。いわば自分の知らない問山がそこにいた。問ちゃんと生前親しかった人たちが、問ちゃんのエピソードをステージで披露。しかしすごい人だ。300人ぐらいはいたのではないだろうか。今日トルコ旅行から帰って来たばかりの大野さんとかなちゃん、VJ、Kさんも出席。問ちゃんと知り合ってから15年近くになるが、顔見知りの人はあまりいない、あいつのつき合いの広さなのだろう、これだけ人が集まってくれのは。今日はもう飲む覚悟だったので、焼酎のロックをガンガン飲む。最初にあいつの死を知ったときは、こんなに早く逝きやがって、馬鹿野郎と思ったけど、これだけの人を集めてしまうあいつにふさわしい会になったなあと思うと、だんだん気持ちが静まってきた。問ちゃんは橋だった。自分もどれだけ多くの人をあいつから紹介された。問ちゃんはプロデューサーでもなく舞台監督でもなく、接着剤みたいな男だった。だからアーティストたちにも、現場の人間たちにも、プロデューサーからも信頼されたし、ほんとうにいるだけで便利ということばふさわしくないかもしれないが、頼れる奴だった。KさんとかVJと問ちゃんの思い出をいろいろ話しているうちに、あいつ天寿をまっとうしたのかもしれないと思うようになってきた。だってあいつ、最後の最後まで、好きなことだけやって生きて、そして死んでいったのだよ。結婚も3回し、組織に属しても、一匹狼のように行動し、もちろん財産なんか残していなかっただろうが、とにかく好きなことだけを、56才までやってきたんだ、ある意味でうらやましい人生をおくった男だ。21時にお開き、なんと締めは三三七拍子。これもいいだろう。
西田さん、Kさん、VJもまじえて、12~3人ぐらいで二次会へ。知らない人もいたが、湿っぽくなく、飲み語り続ける。当然電車はない、今日はもうそのつもりだったしあとは会社で寝ればいいと思ったのだが、同情してくれたKさんが家にくればといので、その誘いにのる。もう少し問ちゃんの思い出も話したかった。二次会で一緒のメンバーも誘ったのだが、ひとりだけのってきた。コンビニで酒とつまみを買い、三人で飲みなおし。ここで思い存分問ちゃんのことを話すことができた。
あいつは好きなことをして生きた、他人の悪口もいわず、愚痴も言わず、VJがちらっと言っていたが、あっぱれな生涯だった。なんか気持ちのなかで、整理がつかないでいたもやもやが、少し晴れてきたような気がする。
あばよ、問ちゃん。そしてありがとう。
コメント (2)
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