デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

函館篇 1

2005-08-26 17:19:50 | 長谷川濬取材ノート
また夕べ腹痛で目を覚ます。目覚めが悪い。とにかくコーヒーだけ飲んで、ホテルを出る。駅まで行って、荷物を預け、函館市内の地図と市電一日乗車券を購入。まずは長谷川濬の生まれた元町を目指す。市電の末広町で下車。長谷川家の生家は、ハリスト教教会とカトリック教会の間の脇にあったという。いまの元町茶廊があるあたりかもしれない。このあたりはいわば観光スポットのメッカ。観光客の行き交いが多いところでもある。長谷川の少年時代の思い出に出てくるのは、ポプラ並木と、ガンガン寺、招魂社での七五三。ポプラ並木はいまはない。しかしやはり坂の多いところ、それぞれの坂から見下ろす海の景色が微妙に違う。啄木も代理教員を勤めていたという弥生小学校は、生家があるところから10分くらいだろうか? 家から学校に行くまで、やはり毎日海を見下ろしながら通ったのだろう。当時港には北洋に向かう漁船、外国船で賑わっていたというが、そういう景色は学校の行き帰りにしょっちゅう見かけていたのかもしれない。そして回りのエキゾチックな寺院。小さな時から海のにぎわい、そして異国情緒は、身体に染みついていたのではないか?
それにしても弥生小学校は、へんな建物の学校だ。外国の学校のような感じ。およそ日本の小学校とはおもえない建物であった。この途中に船魂神社がある。これは長谷川の小説に出てくる神社。わりと小さくこじんまりした神社だった。ここからも海が、木々の間から臨むことができる。
いったん坂をおりて、また市電に乗って谷地頭へ。大正10年の大火で焼き出された長谷川家は、谷地頭百番地に家を新築している。花屋さんで花を買う時に、百番地ってどこですかって聞いたら、そんな番地はないという。ここは36番地までしかないとのこと。当然のことかもしれない。この隣にある町は、同じくこの火事で引っ越してきた神彰が住まいがあったところでもある。長谷川濬と神彰のふたりの接点はすでにここにあったのである。
立待岬へ向かう。ここは何度も来たところ。石川啄木家族の墓があるところからすぐに神さんの墓がある。いつ来てもここはきれいに掃除されている。神家の墓には活けられたばかりの花が供えられていた。神さんの墓に花を供える。かもめが上空を何匹も飛び交っていた。
長谷川濬の日記によると、同じく啄木家族の墓からすぐのところに父淑夫(世民)の記念碑があることになっている。探しあてるのにそう時間がかからなかった。啄木の墓から立待岬に向かって、100歩も歩かないところの右手、消防の碑の隣に、長谷川世民の碑が立っていた。裏には世民の書いた短歌が彫られているのだが、読みきれなかった。建立されたのは、昭和18年のことである。ということはその頃長谷川濬は満州に行き、それ以来一度だけ航海の時に函館に立ち寄っているのだが、この碑を見てないかもしれない。ただ啄木の墓の近くという話しは日記に何度も出てくる。こうした話しを同郷の神さんにも言っていたのではないだろうか。それが神さんがここに墓を建てるきっかけになったということは考えられないだろうか。
立待岬ももう何回も来た場所。長谷川にとって立待岬は、中学時代に海水浴した場所として、日記で何度も回想されているところ。そんな泳げるところがあったかという疑問があっのだが、確かに波も荒く岩がむき出しになっているが、泳げないことはない。遊泳禁止の看板が建てられてあったが、一人泳いでいる人がいた。日記によるとここで長谷川は、同級生の女の子と泳いでいたらしい。その場所までおりてみた。長谷川はここで泳いだ回想を、北洋航海の途中、津軽海峡を渡る時に書いていたのだが、それはよくわかるような気がした。ここで荒波にもまれて泳いでた時は、はるか遠方に津軽海峡が見えていたからだ。彼はまもなく20才の時に、船乗りとしてカムチャッカに向かうのだが、そのきっかけは、海と身近に接し、親しみ、さらに海の彼方のものに憧れを強く抱くようになったからではないだろうか?遠くに臨む海峡、そしてその先にあるもの、そこへの憧れを強くもつようになったかもしれない。
朝から何も食べていないので、そろそろ腹がすいてきた。もうお昼時になっていた。
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腹痛の原因判明

2005-08-26 10:36:14 | お仕事日誌
また夜中に腹痛で目が覚める。前にもらっておいた痛み止めを呑んで、なんとか寝れたが、この連日の腹痛で寝不足は否がめない。先週土曜に行った病院でもう一度見てもらうことにする。腸の下の方でなんらかの炎症がおきているのではないか、とりあえず薬をのんで、1週間様子をみようということになった。12時すぎに出社。とりあえず出張精算から。メールのチェック、返事をすませ、遅い昼飯を食べて、今日中に提出しなくてはならない、秋のイベントのパンフレットのための紹介原稿をブラッシュして、メールで送付。出張中のお仕事日誌をアップ。
18時に退社。今日は気功の日。先生にここ1週間の腹痛について説明、腸のツボとなる足の土踏まずのところが張っているという。腸に気をいれてもらい、ツボをほぐしてもらう。先生の話しだと、おそらくは軽い食あたりと腹を冷やしたことで、腸に軽い傷ができて、その影響からくる痛みだろうという。朝のお医者さんの話しともかぶる。治療が終わり、もう大丈夫ですよ、酒もOKだと言われる。気のせいか、痛み以外のしこりのようなものもなくなったような気がする。21時半富岡着。携帯に辻君から電話、またルスツで異変。アヤアヤ・・・。
ビールを軽くのんで、24時前には就寝。



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