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今年もやってるやってる~

あの試合から30年(WBAジュニアバンタム級:1994年4月3日)

2024年04月03日 05時39分40秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1994年4月3日、東京・両国国技館で行われた試合結果です。
WBAジュニアバンタム級戦(現スーパーフライ級):
王者鬼塚 勝也(協栄)判定3対0(115-112、115-114x2)挑戦者李 承九(韓国)

*1992年4月に、世界王座を獲得したタノムサク シスボーベー(タイ)との一戦や、1993年5月に行った林 在新(韓国)との3度目の防衛戦など、綱渡り的な試合を続ける鬼塚。新年度早々に、韓国の強打者李を迎え5度目の防衛戦を行うことになりました。

(日韓の実力者が対戦)/ Photo: TBSテレビ

15勝(11KO)2敗1引き分けの戦績の持ち主である李は、前年1月にOPBF(東洋太平洋)王座を獲得して以来実戦から遠ざかっています。しかし蓋を開けてみると、ブランクの影響を感じさせないシャープなボクシングを展開していきます。

(鬼塚を極地に陥れた強打の李)/ Photo: Youtube

世界初挑戦にも関わらず、堂々としたボクシングを展開していく李。固いガードと手数で勝負する当時の一般的なコリアン・ファイターとは違い、左右の強打を中遠距離から振り回していきます。対する鬼塚も、シャープな動きで挑戦者に対抗していきます。

テキパキとした攻防が続く中、5回終了間際、挑戦者の左ジャブで右ガードを下げてしまった鬼塚に、李の左フックが命中。一発で鬼塚がキャンバスに送られてしまいました。そのダウンからのダメージは見られないものの、鬼塚からは驚きの表情が見て取れました。

ジュニアバンタム級としては驚異的なパンチ力を持った李。彼のパンチは練習や経験によって培ったものではなく、ナチュラルに備えたもの。言わば天性的なものと言っていいでしょう。

8回、今度は李の右アッパーで吹っ飛ばされた鬼塚。その後の連打で苦境に立たされた王者でしたが、持ち前の精神力の強さでピンチを脱します。

その後もどちらかが明白なリードを奪うことなく最終盤戦に突入したこの試合。最後はスタミナと経験で上回る鬼塚が、巧くまとめて試合終了。試合内容は判定が示すように非常に競ったものでした。しかし王者の勝利を疑問視する声もほとんどなく、鬼塚の実力の底上げが伺える試合、そして好ファイトでした。

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