DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

あの試合から30年(IBFジュニアライト級ほか:1994年4月22日・その2)

2024年04月23日 05時27分55秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の昨日にあたる1994年4月22日、米国ネバダ州ラスベガスで行われた試合結果です。
IBFジュニアライト級戦(現スーパーフェザー級):
王者ジョンジョン モリナ(プエルトリコ)判定3対0(118-110x2、117-112)挑戦者グレゴリオ バルガス(メキシコ)

*「ホリフィールド対モーラー」戦をメインとした興行で、中量級の好カードが実現しました。これまでに3度スーパーフェザー級王座を獲得してきたモリナが、当時評価が高かった前WBCフェザー級王者バルガスを迎え5度目の防衛戦を行っています。

打ち合い好きな両選手に加え、「プエルトリコ対メキシコ」というファン待望のライバル国出身者同士による一戦。「どれだけの激戦になるのか!?」と大きな期待が寄せられていました。しかし蓋を開けてみるとモリナが試合巧者ぶりを発揮し、バルガスの強打はフルラウンドに渡り空回りする事に。モリナが予想外の大差の判定勝利を収め、防衛記録を伸ばしています。

 

(強豪バルガスを相手に、安定したボクシングを見せつけたモリナ)/ Photo: Pinterest

強豪バルガスを退けたモリナは、この試合後も長らく世界のトップ戦線で戦い続けます。専門家の間ではそれなりの評価を受けていた選手ですが、もっともっとその実力を評価されていい選手だったでしょう。

 

WBAバンタム級戦:
挑戦者ジョン マイケル ジョンソン(米)TKO11回1分21秒 王者ジュニア ジョーンズ(米)

*多くの世界戦が予定されていた30年前のこの時期、軽量級の世界戦で番狂わせが起こりました。「ポイズン=毒針」の異名を持つジョーンズは、前年1993年10月にWBAバンタム級王座を獲得し、この年の1月には早くも初防衛に成功しています。その鋭く長い左ジャブと、恵まれた体格から小型トーマス ハーンズ(米)として期待された、当時のスーパースター候補生の一人として挙げられていました。

ジョーンズの2度目の防衛戦に選ばれたジョンソンは、一階級下のスーパーフライ級の選手で17勝4敗の戦績の持ち主。レコードが表すように、それほど悪い選手ではありません。しかしこれといった武器を持たず、まとまりはあるものの、地味な選手という印象です。

1989年8月に4回戦で対戦している両者。その時はジョーンズが判定勝利を収め、順当にプロキャリアを形成しつつありました。4年半ぶりに再び拳を交えた両雄。世界王者としての威厳というのでしょうか、ジョーンズが鋭い左ジャブと、左右のボディー攻撃でジョンソンを圧倒していきます。

軽量級離れした豪快なボクシングを展開するジョーンズに対し、ジョンソンは固いガードから左右の細かいパンチという手堅いボクシングで対抗。簡単にジョーンズにペースを許すことはありません。

一進一退の攻防が続く中、中盤4回に大きな分岐点が訪れます。大振りのジョーンズのボクシングに順応した挑戦者は、右の打ち合いを制しダウンを奪います。元々耐久力に疑問符が持たれていたジョーンズは、足元がふらつき大ピンチに立たされてしまいます。

中盤以降も両者が激しいパンチの交換を続けますが、ジョンソンが要所要所で明確なパンチを当てジョーンズを追い込んでいきます。迎えた11回、プッシュ気味のパンチながらも2度目のダウンを奪ったジョンソン。試合再開後、王者に連打を見舞ったところでレフィリーストップを呼び込む事に成功。少々早いストップに見えましたが、世界的には無名だったジョンソンが世界の頂点に立つこととなりました。

(番狂わせの主人公ジョンソン)/ Photo: San Antonio Express-News

辰吉 丈一郎(大阪帝拳)の対抗馬として、日本のボクシング誌にもたびたび登場していたジョーンズ。思わぬ形で王座から転落すると同時に、プロ初黒星を喫してしまいました。 

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