1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。
これまで登場してきた選手は、どうしても1990年代にそのピークを迎えた選手が中心となっていました。しかし今回登場するのは、21世紀、しかも2010年前後にその全盛期を迎えた選手です。
竹原 慎二(沖)、ジェラルド マクラレン(米)と続いたミドル級。同級の最終回を飾るのは、スーパーウェルター級でWBC王座を獲得し、この階級ではWBCとWBOの2冠王に輝いたセルジオ マルティネス(亜)になります。
(今回の主人公、セルジオ マルティネス)
日本のボクシングファンからも高い評価を得ていたマルティネス。彼の好パフォーマンスはいくつか挙げることが出来ます。強豪ケリー パブリック(米)を逆転で下し、WBCとWBOの2つのミドル級王座を獲得した一戦。ライバル、ポール ウィリアムス(米)を一発KOで葬り、雪辱を果たした戦い。フリオ セサール チャベス2世(メキシコ)に何もさせず、予想外の大差判定を収めた一戦。どの勝利をマルティネスの名声を大いに挙げたものでした。しかしそれらの一戦は激しい打撃戦の末にマルティネスが打ち勝ったもの。果たしてそれがマルティネスのボクシングを表現した戦いだったのでしょうか。
(マルティネスの名前を不動のものにしたパブリック、チャベスとの戦い)
私(Corleone)が挙げるマルティネスのベストバウトは、2011年3月12日に行ったセルゲイ ジンジルク(ウクライナ/Dzinziruk)とのWBCミドル級王座の防衛戦。ジンジルクは2000年代後半、WBOスーパーウェルター級王者として君臨。サウスポー・スタイルからの右ジャブを主武器とした手堅いボクシングを身上とし、少々地味な存在でしたが実力を高く評価されていた選手です。マルティネスと対戦するまでの34戦、全ての試合で白星を収めていたウクライナ人。それと同時にダウン経験もゼロ。マルティネスはそんな選手を相手に、パワーは勿論、同じくサウスポースタイルからの右ジャブで圧勝しました。
その右ジャブは試合を通じ冴えわたり、それに続くコンビネーションもお見事。パンチのスピードは勿論、マルティネスの激しい動きにも全くついていけなかった東欧の実力者。最終的には5度のダウンを奪った末、8回で試合は終了。試合はアルゼンチン人の圧勝劇で幕を閉じています。この試合の解説を務めていたロイ ジョーンズ(米)も、この日のマルティネスのボクシングを大絶賛していました。
(東欧の技師ジンジルクを技術で圧倒)
忙しい(激しい?)ボクシング・スタイルの持ち主だったマルティネス。右ジャブから始まる攻撃は、テンポのいい左右のコンビネーションの前触れに過ぎません。また、時折左から入り、対戦相手を困惑させる試合巧者ぶりも披露。当時のミドル級第一人者だったパブリックも、結局はそのボクシングに逆転負けを許してしまいました。
パンチだけではなくそのフットワークも抜きんでていたマルティネス。その早いフットワークは現WBA/WBOライト級王者ワシル ロマチェンコ(ウクライナ)を彷彿させてくれました。
マルティネスがスーパースターの地位に到達できたのは、その技術だけでなく精神面でも優れていたため。特に前半戦にダウンをする試合が多く、大きな試合でも面白いようにキャンバスに送られています。しかしそこから挽回、逆転勝利を収めるケースがこれまた多く、このエキサイティングな試合展開が人気を呼んだのではないでしょうか。そういえばウェルター級からミドル級までの3階級を制覇したフェリックス トリニダード(プエルトリコ)も逆転劇を演じる名選手でしたね。
(ダウンが好きな(?)マルティネス)
マルティネスが獲得した王座(獲得した順):
WBOラテン・ウェルター級:2000年6月16日獲得(防衛回数0)
アルゼンチン・ウェルター級:2001年9月8日(1)
IBOスーパーウェルター級:2003年6月21日(2)
WBCラテン・スーパーウェルター級:2005年3月4日(2)
WBC暫定スーパーウェルター級:2008年10月4日(1)
(*たしか正規王者に昇格したと思います)
WBC/WBOミドル級:2010年4月17日(6)
(*防衛回数はダイヤモンド王者時代も含めて。WBO王座は防衛せず返上)
(マイナー団体IBO王者時代のマルティネス)
2008年10月に暫定ながらも初の世界王座(WBCスーパーウェルター級)を獲得したマルティネス。しかしプロデビューは1997年の師走まで遡ります。マルティネスのデビュー当初、母国アルゼンチンは経済不況に見舞われており、しかもキャリア後半までマルティネスは同国のボクシング協会との関係が良好ではなかったそうです。
最初の17戦は16勝1引き分けと素晴らしいキャリアのスタートを切ります。2000年2月に初の国外試合、米国で後に3度ウェルター級王座に就くアントニオ マルガリート(メキシコ)と対戦しますが7回TKO負け。初黒星に挫けることなく連勝街道を再び歩み始めたマルティネス。しかしアルゼンチン国内王座や南米の地域王座を獲得していくも中々注目度が上がりません。業を煮やしたマルティネスは渡欧を決意。ボクシング後進国スペインを拠点に、同国と英国のリングで戦っていきます。ヨーロッパではそれまで戦ったきたウェルター級からスーパーウェルター級に階級アップ。その過程でマイナー団体IBO王座を獲得し防衛も重ねていきます。それと同時に、徐々に知名度も上げていきました。
2007年からは米国のリングを主戦場としていき、2008年10月に初のメジャータイトルを獲得(WBCスーパーウェルター級暫定王座)。この勝利後、ウィリアムス、パブリック、チャベス等強豪選手たちと拳を交えていく事になりました。
(ライバル・ウィリアムスを一発でKO!)
試合ごとに注目度を上げていったマルティネスですが、その激しい動き(フットワーク)についに右膝が降参してしまいました。2012年9月に行ったチャベス戦以降何度もその箇所の手術を行い、それと同時に試合間隔が開くようになってしまいます。2014年6月、プエルトリコの英雄ミゲル コット(プエルトリコ)と拳を交えますが、コットの強打を初回に食らってしまうと同時に、その膝は以前の様に機能しなくなってしまいました。結局、コット戦を最後に現役からの引退を表明したマルティネス。再起戦を計画しているという声も最近よく耳にしますが、膝の事を考えるとリング復帰は無しと考えるのが賢明でしょう。
51勝(28KO)3敗(2KO負け)2引き分けという素晴らしい終身戦績の持ち主マルティネス。彼が輝きまくっていた時期、同級のWBA暫定王座を獲得し、レギュラー王者に昇進後その評価をドンドンと高めていったのがゲナディー ゴロフキン(カザフスタン)。見たかったですね、「マルティネス対ゴロフキン」という夢のようなカードを。
(実現してほしかった一戦、「マルティネス対ゴロフキン」)
これまで登場してきた選手は、どうしても1990年代にそのピークを迎えた選手が中心となっていました。しかし今回登場するのは、21世紀、しかも2010年前後にその全盛期を迎えた選手です。
竹原 慎二(沖)、ジェラルド マクラレン(米)と続いたミドル級。同級の最終回を飾るのは、スーパーウェルター級でWBC王座を獲得し、この階級ではWBCとWBOの2冠王に輝いたセルジオ マルティネス(亜)になります。
(今回の主人公、セルジオ マルティネス)
日本のボクシングファンからも高い評価を得ていたマルティネス。彼の好パフォーマンスはいくつか挙げることが出来ます。強豪ケリー パブリック(米)を逆転で下し、WBCとWBOの2つのミドル級王座を獲得した一戦。ライバル、ポール ウィリアムス(米)を一発KOで葬り、雪辱を果たした戦い。フリオ セサール チャベス2世(メキシコ)に何もさせず、予想外の大差判定を収めた一戦。どの勝利をマルティネスの名声を大いに挙げたものでした。しかしそれらの一戦は激しい打撃戦の末にマルティネスが打ち勝ったもの。果たしてそれがマルティネスのボクシングを表現した戦いだったのでしょうか。
(マルティネスの名前を不動のものにしたパブリック、チャベスとの戦い)
私(Corleone)が挙げるマルティネスのベストバウトは、2011年3月12日に行ったセルゲイ ジンジルク(ウクライナ/Dzinziruk)とのWBCミドル級王座の防衛戦。ジンジルクは2000年代後半、WBOスーパーウェルター級王者として君臨。サウスポー・スタイルからの右ジャブを主武器とした手堅いボクシングを身上とし、少々地味な存在でしたが実力を高く評価されていた選手です。マルティネスと対戦するまでの34戦、全ての試合で白星を収めていたウクライナ人。それと同時にダウン経験もゼロ。マルティネスはそんな選手を相手に、パワーは勿論、同じくサウスポースタイルからの右ジャブで圧勝しました。
その右ジャブは試合を通じ冴えわたり、それに続くコンビネーションもお見事。パンチのスピードは勿論、マルティネスの激しい動きにも全くついていけなかった東欧の実力者。最終的には5度のダウンを奪った末、8回で試合は終了。試合はアルゼンチン人の圧勝劇で幕を閉じています。この試合の解説を務めていたロイ ジョーンズ(米)も、この日のマルティネスのボクシングを大絶賛していました。
(東欧の技師ジンジルクを技術で圧倒)
忙しい(激しい?)ボクシング・スタイルの持ち主だったマルティネス。右ジャブから始まる攻撃は、テンポのいい左右のコンビネーションの前触れに過ぎません。また、時折左から入り、対戦相手を困惑させる試合巧者ぶりも披露。当時のミドル級第一人者だったパブリックも、結局はそのボクシングに逆転負けを許してしまいました。
パンチだけではなくそのフットワークも抜きんでていたマルティネス。その早いフットワークは現WBA/WBOライト級王者ワシル ロマチェンコ(ウクライナ)を彷彿させてくれました。
マルティネスがスーパースターの地位に到達できたのは、その技術だけでなく精神面でも優れていたため。特に前半戦にダウンをする試合が多く、大きな試合でも面白いようにキャンバスに送られています。しかしそこから挽回、逆転勝利を収めるケースがこれまた多く、このエキサイティングな試合展開が人気を呼んだのではないでしょうか。そういえばウェルター級からミドル級までの3階級を制覇したフェリックス トリニダード(プエルトリコ)も逆転劇を演じる名選手でしたね。
(ダウンが好きな(?)マルティネス)
マルティネスが獲得した王座(獲得した順):
WBOラテン・ウェルター級:2000年6月16日獲得(防衛回数0)
アルゼンチン・ウェルター級:2001年9月8日(1)
IBOスーパーウェルター級:2003年6月21日(2)
WBCラテン・スーパーウェルター級:2005年3月4日(2)
WBC暫定スーパーウェルター級:2008年10月4日(1)
(*たしか正規王者に昇格したと思います)
WBC/WBOミドル級:2010年4月17日(6)
(*防衛回数はダイヤモンド王者時代も含めて。WBO王座は防衛せず返上)
(マイナー団体IBO王者時代のマルティネス)
2008年10月に暫定ながらも初の世界王座(WBCスーパーウェルター級)を獲得したマルティネス。しかしプロデビューは1997年の師走まで遡ります。マルティネスのデビュー当初、母国アルゼンチンは経済不況に見舞われており、しかもキャリア後半までマルティネスは同国のボクシング協会との関係が良好ではなかったそうです。
最初の17戦は16勝1引き分けと素晴らしいキャリアのスタートを切ります。2000年2月に初の国外試合、米国で後に3度ウェルター級王座に就くアントニオ マルガリート(メキシコ)と対戦しますが7回TKO負け。初黒星に挫けることなく連勝街道を再び歩み始めたマルティネス。しかしアルゼンチン国内王座や南米の地域王座を獲得していくも中々注目度が上がりません。業を煮やしたマルティネスは渡欧を決意。ボクシング後進国スペインを拠点に、同国と英国のリングで戦っていきます。ヨーロッパではそれまで戦ったきたウェルター級からスーパーウェルター級に階級アップ。その過程でマイナー団体IBO王座を獲得し防衛も重ねていきます。それと同時に、徐々に知名度も上げていきました。
2007年からは米国のリングを主戦場としていき、2008年10月に初のメジャータイトルを獲得(WBCスーパーウェルター級暫定王座)。この勝利後、ウィリアムス、パブリック、チャベス等強豪選手たちと拳を交えていく事になりました。
(ライバル・ウィリアムスを一発でKO!)
試合ごとに注目度を上げていったマルティネスですが、その激しい動き(フットワーク)についに右膝が降参してしまいました。2012年9月に行ったチャベス戦以降何度もその箇所の手術を行い、それと同時に試合間隔が開くようになってしまいます。2014年6月、プエルトリコの英雄ミゲル コット(プエルトリコ)と拳を交えますが、コットの強打を初回に食らってしまうと同時に、その膝は以前の様に機能しなくなってしまいました。結局、コット戦を最後に現役からの引退を表明したマルティネス。再起戦を計画しているという声も最近よく耳にしますが、膝の事を考えるとリング復帰は無しと考えるのが賢明でしょう。
51勝(28KO)3敗(2KO負け)2引き分けという素晴らしい終身戦績の持ち主マルティネス。彼が輝きまくっていた時期、同級のWBA暫定王座を獲得し、レギュラー王者に昇進後その評価をドンドンと高めていったのがゲナディー ゴロフキン(カザフスタン)。見たかったですね、「マルティネス対ゴロフキン」という夢のようなカードを。
(実現してほしかった一戦、「マルティネス対ゴロフキン」)