キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

無いものねだり

2020年10月08日 | Weblog
成り行きで吉田健一の「汽車旅の酒」を読んでいる。
二度目か三度目だが、好みの内容が書かれているからついつい読んでしまう。
とにかく汽車だから、今よりずっとゆっくりした旅で、数か月仕事をすると一週間ばかりは旅に出たいものだとあるから、自由業の特権でかなり気ままな旅に出ていたものと思われる。
日本国中回る営業の仕事もいいんじゃないかと書いてあったが、海外へ年に2,3度、国内へは月に2度ほど出張に出ていたが、仕事がらみの旅は旅とは言えずやっぱり出張というのがふさわしい。
それでも名所旧跡には興味がなかったが、海外ではワイン畑を歩いたり、田舎の村を歩くのが好きだった。
国内では昼の商談と夜の酒席が詰まった旅だったが、後年は各地の名産を肴に地酒を飲むことが多かった。
車窓から眺める各地の風景に接することが出来たのも良かった。

吉田健一は東海道線で東京から旅に出ることが多く、東京駅で生ビールを買い込み、小田原あたりで生ビールを両手に買い込み、静岡と思える当たりでボーイの手を借りて生ビールを4杯確保している。
とにかく汽車の中ではビールを飲むのが仕事で、酔って眠り、目が覚めると目的地に近いところまで来ている、旅というのはこうでなきゃいけない。

昨日の午後から雨が降り出したが、去年の10月も雨が多く秋晴れのすっきりした日が少なかったように思う。
5月と10月は日本の一番いい季節なので、その典型的な天気であることを期待したい。
10月7日は松原みきの祥月命日で、次男とともに「真夜中のドア Stay with Me」を色々な映像で視聴した。
生きていれば60歳で、容色は衰えただろうが、どんな「真夜中のドア」になっていたんだろうねえ。
19歳の頃から技巧的な歌い方をしていたが、それが磨かれて技巧を突き抜けた自然な歌唱になっていたんじゃないかなあ。

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デクレッシェンドに生きる

2020年10月08日 | Weblog
弟と持ち合わせて平塚の郊外にあるお寺へ墓参りに行くときには、その後平塚へ出て酒を飲むのでバスで行く、父が死んでから祥月命日には何度か一緒に墓参をしているので、もう何度目かのバスだ。
子供のころには家に車が無かったので、当然バスしか交通手段がなく、何時も旭周り平塚行きというのに乗って家族で墓参をした。
公所というところの店や、坂間のバス停前の店で夏ならアイスクリーム、他の季節ならジュースや菓子などを買ってもらうのが楽しみだった。
車だと15分か20分であっという間に着いていてしまうが、子供の頃はバスを使った墓参が一つの旅だった。
当時、バスは1時間に1本しかなく、半日掛かりの墓参だったわけで、はっきりとした記憶にはないが、帰りにはやはり平塚へ出てデパートで買い物をしたり飯を喰ったのだろう。

弟とバスで平塚へ出て、「川万」で鰻を喰いながら酒を呑み、2軒件目は駅ビルのイタリアンで、北口ロータリーを眺めながら、パスタとパンを食べてワインを飲んだ。
眼下に「都饅頭」があり、ここは子供の頃にもあった古い店だ。
その並びに中華があり、母と五目そばを食べた記憶があるが、確かにそこにあったかどうかあやふやで、弟は全く覚えていないと言う。
5時になったので、場所を替えて焼き鳥で2,3本つまんで帰ろうかと南口に歩いたが、生憎休みで中華屋に入って酢豚を肴にビールを飲んで6時に散会した。

平塚についてすぐオネエサンのところへ行きパンを買って弟にも土産に持たせた。
先回臨時休業していて会えなかったので久し振りだったが、相変わらず元気だったな。
弟と別れてBOに寄って本とCDを眺めたが、思ったより酔っていて、集中して探すことが出来ずに、手ぶらで東海道線に乗って帰って来た。

お墓でディエゴの赤ワインを1本、鰻屋でビールと酒8合、イタリアンで赤ワイン1本、中華でウーロンハイとビールを飲み、しかも飲むのは1か月半振りだったので最初はアルコールがスーッと吸い込まれるように身体に入ったが、最後はいっぱいいっぱいで、酔いが回り頭が痛かった。
8時過ぎに横になって、何度か目が覚めたが、6時過ぎに起きたら、頭の痛いのは無くなっていたが、身体中がだるくて具合が悪かった。

盛大に飲み喰いし、お墓では父が好きだった田端義夫をJBLのブルートゥーススピーカーで聴かしてやったが、石の上に置くと思いの外いい音で、いい供養が出来たなあと思っている。
だが、弟とオヤジの供養もいつまで出来るのか。
二人とも身体に深刻な問題はないが、年と共に衰え、節々が痛くて確実に死に近づいている。
消去点に向かって如何に生きてゆくか、クレッシェンドには慣れているが、デクレッシェンドは初めての経験だ。
上の世代の人達は結局衰えに如何に抵抗するか誤魔化すかして醜い老年期を過ごしている、あの真似だけはしたくない、俺たち手探りだなあと話した。

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