成り行きで吉田健一の「汽車旅の酒」を読んでいる。
二度目か三度目だが、好みの内容が書かれているからついつい読んでしまう。
とにかく汽車だから、今よりずっとゆっくりした旅で、数か月仕事をすると一週間ばかりは旅に出たいものだとあるから、自由業の特権でかなり気ままな旅に出ていたものと思われる。
日本国中回る営業の仕事もいいんじゃないかと書いてあったが、海外へ年に2,3度、国内へは月に2度ほど出張に出ていたが、仕事がらみの旅は旅とは言えずやっぱり出張というのがふさわしい。
それでも名所旧跡には興味がなかったが、海外ではワイン畑を歩いたり、田舎の村を歩くのが好きだった。
国内では昼の商談と夜の酒席が詰まった旅だったが、後年は各地の名産を肴に地酒を飲むことが多かった。
車窓から眺める各地の風景に接することが出来たのも良かった。
吉田健一は東海道線で東京から旅に出ることが多く、東京駅で生ビールを買い込み、小田原あたりで生ビールを両手に買い込み、静岡と思える当たりでボーイの手を借りて生ビールを4杯確保している。
とにかく汽車の中ではビールを飲むのが仕事で、酔って眠り、目が覚めると目的地に近いところまで来ている、旅というのはこうでなきゃいけない。
昨日の午後から雨が降り出したが、去年の10月も雨が多く秋晴れのすっきりした日が少なかったように思う。
5月と10月は日本の一番いい季節なので、その典型的な天気であることを期待したい。
10月7日は松原みきの祥月命日で、次男とともに「真夜中のドア Stay with Me」を色々な映像で視聴した。
生きていれば60歳で、容色は衰えただろうが、どんな「真夜中のドア」になっていたんだろうねえ。
19歳の頃から技巧的な歌い方をしていたが、それが磨かれて技巧を突き抜けた自然な歌唱になっていたんじゃないかなあ。
我がイナリヤト食文研のワインとビールはこちらからご覧になれます
二度目か三度目だが、好みの内容が書かれているからついつい読んでしまう。
とにかく汽車だから、今よりずっとゆっくりした旅で、数か月仕事をすると一週間ばかりは旅に出たいものだとあるから、自由業の特権でかなり気ままな旅に出ていたものと思われる。
日本国中回る営業の仕事もいいんじゃないかと書いてあったが、海外へ年に2,3度、国内へは月に2度ほど出張に出ていたが、仕事がらみの旅は旅とは言えずやっぱり出張というのがふさわしい。
それでも名所旧跡には興味がなかったが、海外ではワイン畑を歩いたり、田舎の村を歩くのが好きだった。
国内では昼の商談と夜の酒席が詰まった旅だったが、後年は各地の名産を肴に地酒を飲むことが多かった。
車窓から眺める各地の風景に接することが出来たのも良かった。
吉田健一は東海道線で東京から旅に出ることが多く、東京駅で生ビールを買い込み、小田原あたりで生ビールを両手に買い込み、静岡と思える当たりでボーイの手を借りて生ビールを4杯確保している。
とにかく汽車の中ではビールを飲むのが仕事で、酔って眠り、目が覚めると目的地に近いところまで来ている、旅というのはこうでなきゃいけない。
昨日の午後から雨が降り出したが、去年の10月も雨が多く秋晴れのすっきりした日が少なかったように思う。
5月と10月は日本の一番いい季節なので、その典型的な天気であることを期待したい。
10月7日は松原みきの祥月命日で、次男とともに「真夜中のドア Stay with Me」を色々な映像で視聴した。
生きていれば60歳で、容色は衰えただろうが、どんな「真夜中のドア」になっていたんだろうねえ。
19歳の頃から技巧的な歌い方をしていたが、それが磨かれて技巧を突き抜けた自然な歌唱になっていたんじゃないかなあ。
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