昨日平塚まで散策いたし駅ビルのさくら書店で、井上譲二「プロレス暗黒の10年」宝島文庫を平台に見つけ思わず買い求めました。1970年代から80年代のプロレスは活気があって面白かったですね。その時期に井上義啓編集長の「週間ファイト」を舐めるように読んでおりました。考えてみるとこの10年プロレスの事を考えた事も無かったような気がいたします。それでも数年前にミスター高橋の暴露本を読んでおり、そこにはプロレスは筋書きのあるもので、決められた勝敗に向かってドラマを作り上げるものだと内実が書かれておりました。ほとんどの熱心なファンはそれにしらけたんだろうなあと思いますし、この本が発売されたころ流行っていた格闘技の真実性のほうへ行っちゃったんだろうなと思います。
しかしながら昭和の遺物である老生が考えるところでは、現在のいじめの徹底性と悲惨さは、この格闘系のどちらが強いのかの真剣勝負に似ているなあと思いますし、我々の頃のいじめにはある種の筋書きがあって、その線で決められた勝負が付けばそこで終わりというような人を追い詰めない知恵があったような気がいたします。
まあ何れにしろ戦後の一時期を飾ったプロレスは昭和の徒花であったわけで、今後再び隆盛をみる事は無く、益々廃れてゆくでしょう。それに命を懸けて生きてきた井上譲二さんの本はしみじみとしていて、同じ年代としてやりきれないなあと深い共感を誘います。
しかしながら昭和の遺物である老生が考えるところでは、現在のいじめの徹底性と悲惨さは、この格闘系のどちらが強いのかの真剣勝負に似ているなあと思いますし、我々の頃のいじめにはある種の筋書きがあって、その線で決められた勝負が付けばそこで終わりというような人を追い詰めない知恵があったような気がいたします。
まあ何れにしろ戦後の一時期を飾ったプロレスは昭和の徒花であったわけで、今後再び隆盛をみる事は無く、益々廃れてゆくでしょう。それに命を懸けて生きてきた井上譲二さんの本はしみじみとしていて、同じ年代としてやりきれないなあと深い共感を誘います。