楽山大仏
(楽山大仏。右側の柵から眺める人々の姿と比べると、その巨大さが分かります。よく見ると、『聖☆おにいさん』のブッダに似てますなー。)
成都市から高速道路を南にまっすぐ2時間半ほど走ると、楽山市というところがあります。そこは「楽山大仏」があることで有名です。
「楽山大仏」は「岷江(みんこう)」という広い河に面してそそり立つ厳しい崖に彫られた石仏です。世界遺産にも登録されています。非常に巨大な石仏で、上の柵からでは顔しか写せませんでしたが、崖の上から下をまんべんなく使って全身像が彫られています。西洋風に腰かけているポーズです。
楽山大仏は崖の下、つまり大仏の足元から見上げる形で眺めることもできます。大仏が彫られている脇の崖にとんでもなく急勾配の階段道が開かれていて、徒歩で降りていくわけです。
下から巨大な大仏の全身像を眺めることができればさぞ壮観だったでしょうが、崖下に下りる見物客が押し合いへし合いの長い列をなしていたのです。まず、階段道に下りるのを待つ列が幾重にも重なり、階段道そのものも見物客でみっちり充満していました。
しかも、その階段道が非常に狭く、人がすれ違うのがやっとという狭さでした。崖下まで下って大仏を見て、それから再び階段道を登って崖上に戻るまでに、少なく見積もっても軽く2時間ほどはかかりそうです。見物客で溢れかえっている階段道を崖上から見て、崖下に下りる気がすっかり失せてしまいました。
それで、大仏は崖上から眺めるだけにして、あとは山上にあるお寺(楽山大仏の建造を行なった偉いお坊さんを祭ってある)や、その他諸々の遺跡を見物しました。
その他諸々の遺跡というのは、大仏以外にも、たとえば敦煌の莫高窟と同様、楽山全体に小規模の石仏が無数に彫られていた痕跡、また僧侶たちが修行の場所として用いたと思われる、人為的に掘削された洞窟を指します。
私にとっては、世界遺産の巨大な大仏よりも、こうした小規模の遺跡のほうが興味深かったです。道に沿ってそそり立つ崖に、明らかに人の手で掘削されたへこみがいくつもあり、その中に観音や弥勒菩薩などの仏像が浮き彫りの形で彫られているのです。
とはいえ、敦煌の莫高窟にある仏像とは比べものにならないほど損壊が甚だしかったです。顔の欠けているもの、手足の欠けているものがほとんどでした。
中国では1966年から77年まで「文化大革命」という政治運動が行なわれました。文化大革命では、伝統的なもの、「封建主義」的なもの、「西側文化」のもの、資本主義的なもの一切が批判され、排斥され、破壊されました。
古代の仏教遺跡も、文化大革命中に多くが破壊されました。楽山に彫られた顔や手足の欠けた石仏は、文化大革命中に壊されたのかと私は思ったのですが、同行した中国人によると、これらの石仏は壊されたのではなく、近年に発見されて発掘されたものであり、その発掘作業は今でも継続中である、ということでした。
いったん彫られた仏像がどういう事情で埋め戻され、隠されたのかは分かりません。でも、いずれすべての石仏が発掘されれば、楽山の石仏群はより興味深い遺跡となるでしょう。
巨大な大仏は切り立った崖を掘削して彫られているのですが、その両脇の崖をよく見ると、そこにも無数の穴が開いているのです。人為的に彫られた穴であることは明らかでした。今の時点ではそれらの穴の中を見ることはできません。それらの穴に行ける道がないからです。ですが、おそらく古代では、たとえば木製の桟道のようなものがあったのでしょう。
これらの謎の穴の中に何があるのかについて、学術調査が行なわれたのかどうかは分かりませんが、巨大大仏を観光の目玉にすることのみに止まらず、楽山の仏教遺跡の全容について、きちんとした調査が行なわれるといいな、と思います。
ところで、楽山市は非常に近代的な都市で、特に高層マンション群が街じゅうの至るところに建造されていました。道路の両脇に、まるで剣山みたいに高層マンション群がこれでもかとばかりに聳え立っているのです。
楽山市は四川省の南の端に位置し、高速を更に1時間ほど南下すれば、少数民族の自治区に入ります。つまりは、楽山市がそんなに経済的に発展している都市であるとは思えないのです。
それなのに、あの大量の高層マンション群には、どういう人たちが住んで、彼らはどこで働いているのでしょう?いずれも超近代的な高層ビルでしたから、それなりの収入のある人でないと住めないはずです。
しかも、不思議なことに、剣山のように鋭く高くそそり立つ高層マンション群のほとんどの部屋はまだ空室のようでした。きれいな建物だけど、ほぼ無人の高層マンション群が沈黙したまま聳え立つ姿は異様でさえありました。
楽山市は成都市のベッドタウンなのかもしれない、とも思いましたが、高速でも成都から3時間近くかかるようなところが果たしてそうなのだろうか?と疑問です。
有名な楽山大仏を見物できて有意義でしたが、それよりもずらりと立ち並ぶ高層マンションのほうが印象に残りました。
成都市から高速道路を南にまっすぐ2時間半ほど走ると、楽山市というところがあります。そこは「楽山大仏」があることで有名です。
「楽山大仏」は「岷江(みんこう)」という広い河に面してそそり立つ厳しい崖に彫られた石仏です。世界遺産にも登録されています。非常に巨大な石仏で、上の柵からでは顔しか写せませんでしたが、崖の上から下をまんべんなく使って全身像が彫られています。西洋風に腰かけているポーズです。
楽山大仏は崖の下、つまり大仏の足元から見上げる形で眺めることもできます。大仏が彫られている脇の崖にとんでもなく急勾配の階段道が開かれていて、徒歩で降りていくわけです。
下から巨大な大仏の全身像を眺めることができればさぞ壮観だったでしょうが、崖下に下りる見物客が押し合いへし合いの長い列をなしていたのです。まず、階段道に下りるのを待つ列が幾重にも重なり、階段道そのものも見物客でみっちり充満していました。
しかも、その階段道が非常に狭く、人がすれ違うのがやっとという狭さでした。崖下まで下って大仏を見て、それから再び階段道を登って崖上に戻るまでに、少なく見積もっても軽く2時間ほどはかかりそうです。見物客で溢れかえっている階段道を崖上から見て、崖下に下りる気がすっかり失せてしまいました。
それで、大仏は崖上から眺めるだけにして、あとは山上にあるお寺(楽山大仏の建造を行なった偉いお坊さんを祭ってある)や、その他諸々の遺跡を見物しました。
その他諸々の遺跡というのは、大仏以外にも、たとえば敦煌の莫高窟と同様、楽山全体に小規模の石仏が無数に彫られていた痕跡、また僧侶たちが修行の場所として用いたと思われる、人為的に掘削された洞窟を指します。
私にとっては、世界遺産の巨大な大仏よりも、こうした小規模の遺跡のほうが興味深かったです。道に沿ってそそり立つ崖に、明らかに人の手で掘削されたへこみがいくつもあり、その中に観音や弥勒菩薩などの仏像が浮き彫りの形で彫られているのです。
とはいえ、敦煌の莫高窟にある仏像とは比べものにならないほど損壊が甚だしかったです。顔の欠けているもの、手足の欠けているものがほとんどでした。
中国では1966年から77年まで「文化大革命」という政治運動が行なわれました。文化大革命では、伝統的なもの、「封建主義」的なもの、「西側文化」のもの、資本主義的なもの一切が批判され、排斥され、破壊されました。
古代の仏教遺跡も、文化大革命中に多くが破壊されました。楽山に彫られた顔や手足の欠けた石仏は、文化大革命中に壊されたのかと私は思ったのですが、同行した中国人によると、これらの石仏は壊されたのではなく、近年に発見されて発掘されたものであり、その発掘作業は今でも継続中である、ということでした。
いったん彫られた仏像がどういう事情で埋め戻され、隠されたのかは分かりません。でも、いずれすべての石仏が発掘されれば、楽山の石仏群はより興味深い遺跡となるでしょう。
巨大な大仏は切り立った崖を掘削して彫られているのですが、その両脇の崖をよく見ると、そこにも無数の穴が開いているのです。人為的に彫られた穴であることは明らかでした。今の時点ではそれらの穴の中を見ることはできません。それらの穴に行ける道がないからです。ですが、おそらく古代では、たとえば木製の桟道のようなものがあったのでしょう。
これらの謎の穴の中に何があるのかについて、学術調査が行なわれたのかどうかは分かりませんが、巨大大仏を観光の目玉にすることのみに止まらず、楽山の仏教遺跡の全容について、きちんとした調査が行なわれるといいな、と思います。
ところで、楽山市は非常に近代的な都市で、特に高層マンション群が街じゅうの至るところに建造されていました。道路の両脇に、まるで剣山みたいに高層マンション群がこれでもかとばかりに聳え立っているのです。
楽山市は四川省の南の端に位置し、高速を更に1時間ほど南下すれば、少数民族の自治区に入ります。つまりは、楽山市がそんなに経済的に発展している都市であるとは思えないのです。
それなのに、あの大量の高層マンション群には、どういう人たちが住んで、彼らはどこで働いているのでしょう?いずれも超近代的な高層ビルでしたから、それなりの収入のある人でないと住めないはずです。
しかも、不思議なことに、剣山のように鋭く高くそそり立つ高層マンション群のほとんどの部屋はまだ空室のようでした。きれいな建物だけど、ほぼ無人の高層マンション群が沈黙したまま聳え立つ姿は異様でさえありました。
楽山市は成都市のベッドタウンなのかもしれない、とも思いましたが、高速でも成都から3時間近くかかるようなところが果たしてそうなのだろうか?と疑問です。
有名な楽山大仏を見物できて有意義でしたが、それよりもずらりと立ち並ぶ高層マンションのほうが印象に残りました。