漢民族と少数民族(2)

(「刀削面」を作っているところ。左手に持っている小麦粉のタネを、包丁できしめんみたいな扁平型に削って大鍋に落とす。)

  ホテルの近くに「蘭州拉面」の店があったので、晩ご飯はそれで済ますことにしました。

  「蘭州拉面」の店は今や中国全土の至るところにあります。蘭州とは四川省の真上にある甘粛省の省都です。下の記事に書いたように、甘粛省も多数の少数民族が居住している地域です。回族が特に多いと思います。

  回族は中国に古くから定住した少数民族で、中国全土に散らばっています。宗教はイスラム教です。ただ、回族の由来については未だに不明な点が多く、どの系統の民族で、いつごろ、どのルート(中央アジア経由か、それとも東南アジア経由か)で中国にやって来たのかなど、まだ解明されていません。

  甘粛省の回族のように特定の地域にまとまって居住している回族もいれば、中国の各地域に散在して居住し、ほとんど漢族と同化して、漢族と変わらない生活をしている回族もいます。

  特に後者の回族は見た目も漢族とまったく見分けがつきません。回族の男性は宗教上の理由で小さな白い帽子をかぶっていますが、帽子をかぶっていない回族の男性も多くいます。ただ、食生活(豚肉を食べない、酒を飲まないなど)や宗教(モスク〔清真寺〕に行って礼拝する)が漢族と異なるだけです。あと、身分証にも回族と記されているはずです。

  回族は中国全土に散在している、と書きましたが、中国の歴代王朝と共産党政府は、各地域それぞれの中に回族の居住地域を設けて、回族の人々をそこに住まわせていました。あまり知られていませんが、現代中国でも回族の「ゲットー」は存在します。私は実際に行ったことがあります。

  「蘭州拉面」を経営しているのはほとんどが回族の人々です。彼らはイスラム教徒ですから、ラーメンのスープは牛肉だしです。麺の形は多種多様ですが、上に牛の干し肉の薄切り(←「干切牛肉」。激ウマ!!!)と、みじん切りにした香菜がたっぷりのっています。私の大好物です。

  「麺の形は多種多様」というのは、刀で麺を削る刀削面の他にも、小麦粉のタネを両手でみょーん、と引っ張って伸ばして作る拉面、そばがきみたいな形のナントカ面(←名前忘れた)などがあり、それぞれの麺にスープ・バージョンとやきそばバージョンとがあります。円形のナンみたいなパンもあって、確か「バオモー」とかいう名前だったと思います。

  私がその晩に行った「蘭州拉面」店は、店の前面に大きな机を置いて小麦粉を打ち、その前に大きな鍋を置いて麺を煮て、煮上がった麺を碗に盛ると、やはり店の前面で火にかけている大鍋からスープをすくって入れ、鍋の横に置いてある机で肉や香菜をトッピングする、という合理的かつ清潔安心なシステムでした。というか、こういう小さな店では、奥に厨房なんて作らず、店の前に机やガス台を置いて調理してしまうところがほとんどです。

  夜遅く(といっても8時ごろ)に行ったので、お客はあまりいませんでした。その店は、明らかに漢族と同化していない回族と分かる、眉が太く、目が大きく、彫りの深い顔立ちをした青年数人が店を切り盛りしていました。ときどき、頭にスカーフをかぶった中年の女性が出てきていました。たぶんこの店の社長(というかおかみさん)でしょう。

  私は刀削面を注文し、麺を削るところを写真に撮らせてもらえないかと頼みました。ひときわ目の大きな青年が「いいよ、さあ撮りなよ!」と笑いながら言いました。麺を削ぐのは他の青年です。彼は照れ笑いをしていましたが、それでも撮らせてくれました。それが上の写真です。

  煮上がった麺をすくい上げ、麺を盛った碗にスープを入れ、肉や香菜を盛り付け、客のところまで運ぶのは12~3歳くらいの男の子でした。その男の子にもカメラを向けたら、恥ずかしそうに笑い、麺をすくい上げる大きな穴あき柄杓で顔を隠してしまいました。他の青年たちがドッと笑いました。

  刀削面を食べていたら、初老の夫婦らしい二人連れが店に入ってきました。麺ができあがるのを待っている間、夫らしい男性が盛んに店の青年に話しかけていました。その初老男性は標準語で話しました。彼の発音はきれいで正確です。前の記事に書いたタクシー運転手のじじいとは、明らかにステイタスが違う人のようでした。

  ところが、客の初老男性と店の青年との会話を聞いていたら、なんだか嫌な気分になってきました。その初老男性は、店の青年に対して、主にイスラム教の戒律について尋ねていました。曰く、「豚肉は食べないのか」、「酒は飲まないのか」等々。

  字面にすると分かりづらいんだけど、その初老男性の語気や口調や言い方が、なんというのかな、「お前ら、ホントにそんなバカな戒律守ってんの!?」的な、イスラム教を揶揄、もしくは非難するようなものだったのです。

  イスラム教の戒律を知らなくて尋ねているんじゃなくて、知っていて否定的結論に持ち込むために尋ねていたみたいなんです。店の青年は怒ることなく答えていましたが、心中あまり面白くなく思っているらしいことは、その口調から分かりました。

  ひとしきりやり取りした後、その初老男性は、回族の歴史とイスラム教について、一人で勝手に論じ始めました。知ってたんなら最初から聞くなよ、てか、そんなつまんねえ演説をぶつために、わざわざ私の愛する蘭州拉面の店に来るんじゃねえ、と私は腹立たしく思いました。

  また、こんな文化程度のそこそこ高そうな人でさえ、少数民族に対して、完全に上から目線でものを言うのだから、私を(たぶん)少数民族だとカン違いしたあのタクシー運転手のじじいだって、道理で露骨に差別的な態度を取るはずだよ、と納得もしました。

  それにしても、回族が中国に定住してもう何世紀も経つはずなのに、漢族と回族との間にはまだこんなに「壁」があるのか、と驚きました。多民族国家というのは、どこの国でもこんなものなのでしょうか。

  昼間のタクシーでの一件、そして今、目の前で起こっていること、私は確信しました。中国で勃発している民族問題の一番の原因は、漢族が少数民族を見下しているという、まさにこの一点に他ならない、ということです。これが中国の民族問題の本質だよ、と、私は刀削面のスープをすすりながら思いました。 
   
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