マリインスキー・バレエ『白鳥の湖』

  昨日、キエフ・バレエの『眠れる森の美女』を観に行って、「やっぱり旧ソ連系のバレエ団は踊りも容姿もキレイだな~」と感嘆しましたが、甘かった。マリインスキー・バレエのコール・ドを見たら、男子も女子も揃いも揃ってみな長身、容姿端麗、抜群の身体能力、そして優れたテクニック。なんだこの美しくて凄い人間たちはー!と呆然、見とれてしまいました。

  久しぶりなのですっかり忘れていたのです。ボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエは、誰が主役を踊ってもおかしくないようにみえる、ちょっと見ただけでは能力の優劣の差が分からない、超優秀なダンサーばかりの集団だということを。

  王子の友人たち、民族舞踊を踊る男性ダンサーたち、みな背が高くて上半身が短くて脚が長い!身体の各パーツのバランスが非常に良く、とても見栄えがする。白鳥のコール・ド、透きとおるような白い肌、長くて細い手足、美しい身体のライン、すっきり伸びた優美な首、小さくて麗しい顔、見た目だけでも充分にすごい。

  踊りについては、男性陣は個々人の能力差が割と分かりやすいように思いましたが、女性陣はほとんど分からない。みな恵まれた身体能力を持ち、いずれも凄いテクニックを持っています。白鳥のコール・ドは、みな腕の動きが柔らかくて流麗でした。脚も信じられないくらい高く上がり、しかもその形がこれ以上にないほど美しい。これだけの面子が揃っていて、主役を踊れる踊れないの差は何なのか!?と久しぶりに驚嘆しました。

  オデット/オディールはヴィクトリア・テリョーシキナでした。彼女について、プログラムには「ゆるぎないテクニック」云々と書いてあります。確かに華奢な体つきからは想像もつかない、柔軟な身体能力、強靭な筋力と精確な技術を持っていることはよく分かりました。

  回転、ジャンプ、爪先での細かい動き、すべてが安定していて、ほとんど(あるいはまったく)ミスがありませんでした。黒鳥のパ・ド・ドゥでのオディールのヴァリエーションは特に凄かったです。片脚で回転しながらアティチュードに移行してまた回転、静止して片足ポワントで立ったままアラベスク・パンシェ、この間、テリョーシキナは足元がまったくグラつきませんでした。コーダでの32回転については言うまでもありません。音楽にうまく合わせて、シングルにダブルかトリプルのターンを最後まで織りこんで回っていました。また、ヴァリエーションでもコーダでも、音楽の終わりとともにバッチリ終わってポーズを決めます。

  身体能力もすばらしく、脚の根元からよじれるようなアラベスクやアティチュードは凄絶なほどに美しかったです。筋力も強く、グラン・アダージョでの踊りではゆっくりとためを置いて、しかし脚がガクガク震えるといったこともまったくありませんでした。

  プログラムによると、テリョーシキナは「鉄の女」とか呼ばれているそうです。でも、よく見りゃ確かに凄まじいテクニック、身体能力、筋力を存分に発揮して踊っているのですが、私はテリョーシキナの踊りに節度を保った端正さと白磁のような透明さとを感じました。押しの強さ、アクの強さといったものが皆無なのです。

  ウリヤーナ・ロパートキナのような優雅さ、優美さといったものとは印象が違いましたが、テリョーシキナの踊りはとても清潔というか典雅というか、たとえばディアナ・ヴィシニョーワのように、枠から少しはみ出しても自分の個性を表現するということがありません。総じていうと、テリョーシキナの踊りは非常にバランスが良く、中庸を得ている(にしては凄すぎるが)というか、とても好感の持てるものでした。また、自然に安心して見ていられました。

  テリョーシキナのオデットは、ジークフリート王子役のレオニード・サラファーノフがかなり子どもっぽい雰囲気だったせいもあるのか、意外にも母性的な雰囲気を感じさせました。基本的には、テリョーシキナのオデットは、ロットバルトの魔力による支配に抗う気力もなく、自分の呪われた運命を諦めつつ甘受しているのです。しかし、第三幕で王子とロットバルトとが自分をめぐって戦うに至って、決意したような毅然とした表情になり、王子を庇ってロットバルトに向かって自分の身を投げ出し、自分を犠牲にして王子を守ろうとします。テリョーシキナのこの演技には思わずぐっときました。

  オディールのほうは、テリョーシキナの鋭い目つきがとても印象的でした。王子の前では笑顔を浮かべていても、目が笑ってない!氷のような冷たい鋭い視線で王子を見つめます。ロットバルトと絶えず目くばせをしながら、王子を誘惑していきますが、そのときの冷たい無表情が良かったです。

  王子がオデットのことを思い出したとき、オディールはオデットの真似をして羽ばたきながら踊ります。それまでオデットのようにはかなげな表情をしていたのが、最後に羽ばたいた途端、王子の様子を見て、してやったり、というような、あからさまに邪悪な笑顔をぱっと浮かべます。それまで基本的に無表情だったので、あの冷たい邪悪な微笑がとても効果的でした。

  さて、王子役のレオニード・サラファーノフですが、はじめて登場した瞬間、そのあまりに華奢で細い、というよりは貧弱な体つきにびっくりしました。第二幕では純白のベストを着て現れましたが、白という膨張色の衣装を着ても、それでも子どものように胸板が薄い。これは生理的に受けつけられない、と感じました。

  実は、今年の世界バレエ・フェスティバルで、ダニール・シムキンを目にしたときも、見た瞬間に「こりゃ私のストライク・ゾーン外だわ」だと思いました。エンジェル・フェイス、細くて華奢な体つき、結果、頭が異常にデカく見えて、「捕らわれた宇宙人」のような体型です。いくら超絶技巧をこれでもかと披露しても、どうしても魅力を感じませんでした。

  サラファーノフに話を戻すと、王子というからには、もうちょっと頼りがいのあるたくましい体つきをしてほしいのです。もっとも、体型ばかりは本人にはどうしようもないことですが。メイクもよくありませんでした。ほとんど坊主頭の短髪に、明るいファンデーションを塗り、眉を黒く細く描いて、唇に紅をさしていました。まるで女の子です。このメイクが短髪と似合わず、ゲイバーのママか、オナベバーのマスターみたいでした。今にも「あ~ら、いらっしゃ~い」とか言いそうです。

  演技も「手順どおりにやってます」みたいな感じで浅く、奥行きがまるで感じられませんでした。最も違和感を覚えたのが、黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥでのヴァリエーションです。顔つきはすっかりバジルとなり、最後はザンレール+片足ピルエットをくり返しました。決めのポーズと表情もバジルでした。『白鳥の湖』のジークフリート王子に求められる踊りと演技は、『ドン・キホーテ』のバジルとは違うと思います。そのへんのことを彼は自覚しているのかどうか疑問でした。

  ただ、サラファーノフのパートナリングは非常に良かったです。もっとも、自分のパートナリングの技術の高さを観客に見せつけようという姿勢がありありでした。別に、回転するテリョーシキナの腰を支えて、いつまでもしつこくぐるぐると回し続けなくてもいいと思うのですが。そういう技術を披露する演目は他にあるでしょう。それでも、彼のパートナリングは非常に頼もしかったので、やはり安心して見ていられました。

  そうそう、グラン・アダージョで、オデットが王子に支えられながら、舞台奥から右斜め前に片足だけでトントントン、と移動し、それから王子に頭上高くリフトするところ、今日の公演では、王子がオデットの腰を両手で持ち上げて、オデットが客席に向かって大股を広げる(←下品な表現でゴメン)のではなく、オデットが王子の頭上で上半身を真っ直ぐに立てて両腕をゆっくりと羽ばたかせる「シルヴィ・ギエム方式」でした。サラファーノフが力持ちで本当によかったです(フォローしとこう)。

  第一幕のパ・ド・トロワ(エリザヴェータ・チェプラソワ、マリーヤ・シリンキナ、アレクセイ・チモフェーエフ)は、女子2人はすばらしかった(特に最初のソロを踊ったほう)のですが、チモフェーエフはちょっと頼りなかったです。ソロはステップをこなすので精一杯な様子でした。

  湖畔の場では、「大きな白鳥の踊り」(ダリア・ヴァスネツォーワ、エカテリーナ・コンダウーロワ、アナスタシア・ペトゥシコーワ、リリヤ・リシューク)がダイナミックで実に見事でした。たぶん前にマリインスキー・バレエの『白鳥の湖』を観たときにも同じように感じた覚えがあります。ジャンプは高くて大きく、片足で着地するときに足元がグラつくこともなく、脚は高々と上がり、上げた脚の曲げ具合というか、脚の付け根から爪先までの線がとても美しい。

  これも前に書いたと思いますけど、ひょっとしたら、かのマシュー・ボーンは、英国ロイヤル・バレエのヘタレな『白鳥の湖』しか観たことがなかったから、「大きな白鳥の踊り」を見ても、パワフルな音楽に比べて踊りがひ弱だ、と物足りなく感じてしまったのかもしれません。マリインスキー・バレエのこの、「大きな白鳥の踊り」を見ると、決して踊りがひ弱などという印象はまったく受けません。むしろ強靭でパワフルでダイナミックで、しかも端正且つ高貴な美しさに満ちています。

  第二幕の民族舞踊では、「スペインの踊り」(アナスタシア・ペトゥシコーワ、ヴァレーリヤ・イワーノワ、イスロム・バイムラードフ、カレン・ヨアンニシアン)が個人的にはいちばんステキに感じました。ペトゥシコーワとイワーノワの、腰を床にくっつくほどに後ろに反らせる動きが柔らかで美しかったです。

  第三幕冒頭の白鳥たちの踊りで、最初にソロを踊ったダンサーがとてもすばらしかったです。ダリア・ヴァスネツォーワとオクサーナ・スコーリクのどちらだったのかは分かりません(ヴァスネツォーワだったのだろうか?)。身体が柔軟で、テクニックに優れていたのはもちろんですが、手足で切り取る空間が大きいとでもいうのか、踊っている姿が非常に大きく見え、目が吸い寄せられました。

  マリインスキー・バレエの『白鳥の湖』はハッピー・エンドなので、私は大好きなのですが、劇的効果からいえば、確かに悲劇的結末のほうがよいのでしょうね。ジークフリート王子に片方の羽根を引きちぎられ、七転八倒した末に死ぬロットバルト(コンスタンチン・ズヴェレフ)の姿には、思わず心中で「ご苦労さま」と思いました。ズヴェレフ本人も、「なんでオレはこんなアホな演技をしなきゃいけないんだろう」とか思ってるのかもしれません。最後のシーンを除けば、ロットバルトはおいしい役どころですからね(衣装とメイクはともかく)。

  床の材質、もしくはマリインスキー・バレエのバレリーナたちが使っているトゥ・シューズの材質に原因があるのか、白鳥のコール・ドのトゥ・シューズが醸し出す大音響には少し参りました。静かで美しい音楽が流れる中、白鳥たちが動くたびにガツガツガツ、という音の大合唱です。でも30人以上の群舞だから仕方がないのかもしれません。

  なにはともあれ、今回の公演には大満足でした。

  会場では招聘元のジャパン・アーツがアンケートを取っています。このアンケートはぜひ書いて出しましょう。なぜなら、そのアンケートの中に、ボリショイ・バレエの次の来日公演では、『白鳥の湖』の上演はもう決まっているけど、他の演目は未定なので、何が観たいですか、という設問があったからです。

  私は『スパルタクス』と『スペードの女王』(←そうすればニコライ・ツィスカリーゼとイルゼ・リエパが来るはずだから)を書きました。たとえばNBSあたりなら、『スペードの女王』なんて絶対に許さないでしょうが、ジャパン・アーツは『明るい小川』を上演させたくらいですから、次も英断を下してくれるかもしれません。次もしつこく書こうと思います。

  余談。会場には、前日に観たキエフ・バレエ『眠れる森の美女』で、デジレ王子を踊ったセルギイ・シドルスキーらしき人物が来ていました。女性を連れていましたが、こちらは顔が見えなかったので、誰だったのかは分かりません。シドルスキーは背がすごく高くて(確実に190センチはあった)、顔が細長かったです。 
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