キエフ・バレエ『眠れる森の美女』

  およそ4ヶ月ぶりの古典全幕バレエ鑑賞です。7月末に世界バレエ・フェスティバル全幕プロで、ダニール・シムキン、マリア・コチェトコワ主演の『ドン・キホーテ』を観て以来。

  キエフ・バレエ(ウクライナ国立バレエ)を観るのはこれがはじめて。でも、今までに見聞きした評判からして、なかなか良いバレエ団であろうと予想していました。

  席に着いたら、なんと最前列(1階)でびっくりしました。会場は1階席の傾斜が緩いオーチャード・ホールだったので眺めが心配だったのですが、これで視界をさえぎるものはなにもありません。安心しました。難を言えば、奥にいるダンサーの爪先が見えないことでした。でも、これはぜいたくな不満というものでしょう。

  指揮者が現れてタクトを振り始めたとたん、両腕をぶんぶん振り回し、指揮台の上でぴょんぴょん飛び上がり、更に「ふむ!ふ~む!」と音楽の邪魔になるほど唸る、そのあまりな血湧き肉躍る熱血指揮ぶりにどーも既視感が。そう、あの熱き血潮の若き指揮者、オレクシイ(アレクセイ)・バクランだったのでございます。

  序曲の途中、私はバクランの指揮する姿を見ながら、噴き出しそうになるのを必死にこらえていました。バクランは、カラボスのテーマの部分では、今にも「涙は心の汗だ!」と叫んで、夕日に向かって走り出しそうなほど全身を激しく揺り動かし、リラの精のテーマの部分では、「おまーは舞台俳優か」とツッコミたくなるほど、完全に自己陶酔したうっとりした表情でタクトを流麗に振ります。バクランのおかげで序曲の間もすっごい楽しめたよ。

  オーケストラはウクライナ国立歌劇場管弦楽団。良い演奏だったと思います。

  オーロラ姫役はエレーナ・フィリピエワでした。すごい良いバレリーナでした。動きはゆっくり、たおやかで、無重力空間にふんわりと漂っているような、実にやわらかい踊りをします。硬質さとか強靭さを微塵も感じさせません。ついでにいえば、「私はこんなにすごいのよ」的なアピールも一切なし。かといっていい子ぶった控えめさもなく、ひたすら自然にさりげなく、でも完璧に踊っていきます。

  たとえば、ローズ・アダージョで、オーロラ姫が王子たちに次々と手を取られて回っていくところ、たいていのバレリーナは真顔になり、王子役の男性ダンサーたちの手を強く握ってなかなか離そうとせず、手首がガクガクと震えているものです。でも、フィリピエワは微笑を浮かべたまま、王子たちの手を握っていた手をすぐに、しかも優雅な仕草で離して、アティチュードで静止します。

  第三幕のグラン・パ・ド・ドゥでもそうでした。フィリピエワは片脚を耳の横まで上げたまま、デジレ王子役のセルギイ・シドルスキーの手をすっ、とすぐに離し、微動もせずに片脚で静止していました。

  テクニックの面ですごかったところは他にもたくさんありました。回転はゆっくり回ってピタッと止まる。動きに充分に「ため」を置き、決して急いでステップを片づけようとしない。とても書ききれません。身体能力にもかなり恵まれていると見受けられましたが、表現は常に抑え目でした。第三幕のグラン・パ・ド・ドゥでようやく、すごい軟体ぶりをほんの一瞬だけ発揮しました。

  フィリピエワは演技も良かったです。オーロラ姫が登場するまで、なんだかこのバレエ団のダンサーたちは表情に乏しいな~、もっと演技に力を入れてもいいじゃないか、と少しもの足りなかったのです。

  でも、フィリピエワのオーロラ姫は控えめだけど優しい暖かい微笑を浮かべていて、両親の王と王妃に甘える仕草はかわいく、求婚する王子たちの一人一人に細かく丁寧に挨拶を返し、そしてデジレ王子が自分への愛を告白するのに驚いて、思わず父王にすがりつき、父王に促されてデジレ王子の求婚を照れながら受け入れます。このときの仕草と表情がすっごいかわいかったです。

  フィリピエワが舞台上にいると、舞台全体の雰囲気が華やぐような、生き生きするような。やっぱりオーロラ姫は舞台の雰囲気を一変させるほどじゃないとな、と思いました。

  デジレ王子役のセルギイ・シドルスキーもすばらしいダンサーでした。演技も良かったし、テクニックにも優れ、一つ一つの技は正確で安定していて、しかも長身なのでダイナミック、彼がジャンプすると、開いた両脚があまりに長いので、オーチャード・ホールの舞台が狭く見えてしまうほどでした。

  優しさの精とフロリナ王女を踊ったカテリーナ・カザチェンコも良かったです。踊りの感じがフィリピエワによく似ていました。ふんわりおっとり踊っているように見えるけど、でも実はさりげなく凄技をやっている、という点で。

  青い鳥のパ・ド・ドゥでは、青い鳥役のワーニャ・ワンに異常に(と私には思えた)大きな拍手喝采が送られていましたが、本当に優れていたのはカザチェンコのほうだったと思います。ワンの踊りには重たさを感じました。また、ワンはパートナリングがあまり上手ではありませんでした。

  コール・ドもそれなりに良く揃っていました。女子も男子も美形多し。ただ、ボリショイやマリインスキーのコール・ドに比べると、テクニックが不安定で不揃いなのと、そして体型において均整がとれていない(これは彼らのせいではないですが)ダンサーが目立ちました。ロシア・バレエ(ウクライナのバレエ団だけど、ロシア系統のバレエ団とみてよいだろう)では、体型が最後の最後でそのダンサーの命運を分けることを、あらためて実感しました。  

  改訂振付・演出はV.コフトゥンということです。演出は良くないと思いました。『眠れる森の美女』の大きな見どころであるクラシック・マイムはほとんど削除され、簡単な身振り手振りに変更されていました。また、演技の部分にはまるでまったくト書きや指示がないかのようでした。

  オーロラ姫役のフィリピエワとデジレ王子役のシドルスキー以外のダンサーたちは、演技してないか、していても大根で、この極めて現実味のないおとぎばなしに、それでも少しでもおとぎばなしなりの現実味を帯びさせようとする努力をしていませんでした。演出がおろそかなせいだと思います。

  おかげで、リラの精役のユリヤ・トランダシル、カラボス役のオレグ・トカリ、式典長役のデニス・オディンツォフも、せっかく良い役なのに、それぞれの持ち味を出せていませんでした。リラの精には威厳や神秘性が感じられず、カラボスは紋切り型の悪役で何のインパクトもなく、式典長にもコミカルさがありません。

  ロシア系の『眠れる森の美女』はみなこうなのでしょうか。レニングラード国立バレエの『眠れる森の美女』はもっと面白かったと思うのですが。来週、マリインスキー劇場バレエの『眠れる森の美女』を観に行くので比べてみます。  
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