goo blog サービス終了のお知らせ 

鬼平や竹鶴~私のお気に入り~

60代半ばのオヤジがお気に入りを書いています。

お気に入りその1942~日高晤郎

2020-06-15 12:24:45 | 鬼平・竹鶴以外のお気に入り
今回のお気に入りは、日高晤郎です。

先日新聞で「日高晤郎フォーエバー」という本の存在を知り、すぐに注文しました。
本が届いた翌日、妻のも届きました。
二人で同じ本を注文することって滅多にないので驚きました。
でも二人とも晤郎ファンなので、どちらが先に読むかでもめなくて良かったとも言えます。
という訳で好きな時に好きなだけ読むことができました。

内容紹介を引用します。
=====
自らを「話芸人」と称し、語りを究め続けた日高晤郎さんが2018年4月3日、がんのため亡くなった。STVラジオで40年間レギュラー番組を持ち、土曜日の「ウイークエンドバラエティ日高晤郎ショー」は生放送で35年。
体力が続く限り現役であり続け、3月23日に「明日への贈り物Part3」の2公演、24日に生前最後の出演となった「晤郎ショー」をやり遂げた。
ファンの悲しみと喪失感は大きく、日高さん自身にもやり残したことがあっただろう。
最後の放送では、途中から涙ながらに話す一言ずつが遺言のように響いた。
「はじめに」より
北海道新聞夕刊「私のなかの歴史」の連載記事、ゆかりの人約30人のインタビュー、日高さんの写真、イラスト、直筆文字など掲載!
日高晤郎さんの芸にかける思いが伝わります。
=====

晤郎さんが亡くなってから昨年の3月までのほぼ1年間をSTVのアナウンサー吉川のりおが「ウイークエンドバラエティ日高晤郎ショー」を引き継いで「同 フォーエバー」として放送しました。
晤郎さんの記憶を永遠に!というファンやスタッフの願いがこもった番組タイトル。
本書のタイトルはそれを連想させます。
「晤郎ショーフォーエバー」が終わって1年。
日高晤郎ファンは本書に飛びついたのではないでしょうか?

冒頭は新聞連載記事から。
養子に出された話。
学校で朗読を褒められた話。
師匠である長谷川一夫と勝新太郎の話。
流しをしていた頃の話。

日高晤郎ショーで何度も語られた半生ですから特に目新しさはありません。
でも日高晤郎ショーで勝新太郎が「皆さまのおかげで日高晤郎を男にしていただきました。ありがとうございました」と頭を下げた、という場面は何度も聴いたにもかかわらず涙があふれました。

続いてゆかりの人のインタビュー。
1人目は何と晤郎さんの奥様。
これまで晤郎さんが一切触れなかったので、どんな方か存じ上げませんでした。
まさに「鉄のカーテン」に隠された謎の人物が満を持して登場ました。
著者はファンの心中を察し、洗いざらい聞き出してくれました。
二人の馴れ初めから東京での生活、そして亡くなった後のこと。
ヘーとかやっぱりということがいっぱい書かれていました。
これ以上詳しく書きませんので、ぜひご自身でお読みください!

2人目以降はいつもの皆さんが続きます。
マネージャーの茅野さん夫婦、STVの元ディレクター岩本さん、アガタ薬局の縣さん、歌手の皆さん・・・。
晤郎ショーで語られなかった裏話がたくさん飛び出します。
どの話も晤郎さんらしくてファンにとってナルホドと腑に落ちることばかり。
最初の方では、日高晤郎が生来の天才である上、10を準備して2を見せる努力の天才でもあったことを再認識しました。

意外だったのは、元アシスタント・とついようこさんのインタビュー。
人間サンドバッグとまでいわれた、叱られた思い出ばかりを語っていました。
30代半ばという異色の高年齢でアシスタントに採用された彼女に見せた厳しさは行く末を心配して、社会人として、フリーアナウンサーとして短時間で一人前にしてあげたいという晤郎さんの必死さを感じました。

最も印象的で、感動的だったのは風連町の皆さんのインタビュー。
初めてスタジオを訪れた年末、「来年の暮れに餅つきをしに来ます」と晤郎さんに言ったのに、帰りのバスのラジオで晤郎さんが「風連町の皆さんがお正月に餅つきにきてくれるそうです」としゃべっちゃった!
えー、あと1週間?
町に戻りいろいろ根回しをしてSTVホール公開に間に合わせたそう。
そこでまた町長がさっぽろ雪まつりでも!とぶち上げたものだから大変なことになりました。
これが晤郎ショーと常連、風連町のお付き合いの始まりでした。
それからの30年間、大変だったけれど町の人たちは楽しかったでしょうね。
晤郎ショーを風連町で開催したときに旭川の駅まで町のバスで晤郎さんを迎えに行きました。
晤郎さんがお寿司が好きだということで、車中で職人さんが寿司を握って振舞いました。
座席を外してまで準備してくれたことに感動して、晤郎さんは涙を流して喜んでくれたそうです。
こんな素敵なおもてなしをされた晤郎さんは本当に幸せだったことでしょうね。
読んだこちらまで感動してしまいました。

ついに読み終えてしまいました。
本書を読んで、久しぶりに晤郎ショーやひとり語りのような感動を味わうことができました。
五木ひろし、天童よしみ、島津亜矢のインタビューがあればもっと良かったけれど、高望みしすぎかな。
とにかく本書を書いていただいた著者には感謝、感謝です。

我が身を振り返ると札幌に戻り毎週晤郎ショーを聴き始めたのは1984年。
晤郎ショーが始まってまだ1年しか経っていないころだったのですね。
それから34年間。
聴く場所は車中から事務所に変わりましたが、晤郎さんのパワーは変わりませんでした。
ひとり語りは2度聴きに行きました。
一回り以上も兄貴の晤郎さんに男の生き様を学ばせていただきました。
ラジオからこれほどの財産をもらったのは、日本広しといえども晤郎ショーのリスナーだけの特権です。
あらためて晤郎さん、ありがとうございました。

ただ今も後悔しているのはスタジオ見学を一度もしなかったこと。
2、3回チャンスがあったのですが、80歳までは続けるはずだから次の機会で良いと延ばし延ばしにしてしまったのです。
よく言われる「チャンスの神様は前髪しかない」ということを痛感しました。
晤郎さんではなく自分が明日事故で死ぬ可能性だってあるのですから。
人生の2/3以上が過ぎたので、これからは残り少ないチャンスを逃さないようにしたいと思います。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お気に入りその1941~島津亜矢 | トップ | お気に入りその1943~万能鑑... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

鬼平・竹鶴以外のお気に入り」カテゴリの最新記事