元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」

2007-04-29 18:22:43 | 映画の感想(た行)

 原作はイラストレーターのリリー・フランキーが亡き母への思いを綴った、200万部突破の自伝小説ということで、映画に先立ちテレビドラマ化もされている。なかなか好評のシャシンらしいが、正直私は“単なる人情話”としか思えなかった。

 監督は松岡錠司だから、ドラマ作りは実に丁寧で安心して観ていられる。松尾スズキのテンポの良い脚本もストーリーがお涙頂戴一辺倒になるのを巧妙に避けているようだ。もちろんオダギリジョーや樹木希林などキャストの演技は万全。しかし、それでも違和感は拭えない。今、この映画を観なければならない必然性がまるで感じられないのだ。

 主人公の故郷である北九州市および筑豊では炭坑の閉鎖(時代の流れ)により大きな社会的な影響を被るが、それをシビアに描こうとする気配もない。ただ“客観的事実”として流すのみ。斜陽となった石炭業に従事する者やその家族の苦悩を曲がりなりにも扱っていた「フラガール」よりも数段“後退”したスタンスに呆れるばかり。

 断っておくが、炭坑町の有様を克明に描いてリアリズムに徹せよと言っているわけではない。しょせん娯楽映画だから必要以上に重くなるのは禁物だ。しかし、社会的背景や何やらをすべて捨象することは“人情物に徹しさえすれば観客は喜ぶのサ”という身も蓋もない製作姿勢を垣間見させることにもなり、実に愉快ならざる印象を受ける。果たして、こんなので良いのか? こういうものをみんな観たいのか?(まあ、観たいんだろうね。私はイヤだが)。

 いくら脚色されているとはいえ、(たぶん原作では強調されているであろう)主人公の上京後の馴れ合い的な生活と“何となく”認められていく過程は、作者の自慢話よろしく“どうでもいい”という感想しか持てない。それに“オカン”が理想的に描かれすぎているのは、主人公のマザコンぶりをあらわしているとも言えよう。不必要なモノローグが多すぎるのも興醒めだ。邦画バブルの一翼を担ったシャシンとしか捉えられない一作である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする