元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ドッグヴィル」

2007-04-03 06:52:54 | 映画の感想(た行)
 (原題:Dogville)2003年作品。ロッキー山脈の麓にある小さな村ドッグヴィルに警察とギャングから追われて逃げ込んだ女が遭遇する不愉快極まりない出来事の数々を描くラース・フォン・トリアー監督作品。

 閉鎖的な地域共同体の欺瞞を扱った映画としては過去に増村保造監督の「清作の妻」や橋浦方人監督の「海潮音」などがあるが、それらと比べてこの映画は大幅に落ちる。なぜなら本作は“観客に不快感を与えること”だけを目的にしているからだ。もっとも増村保造などにしても相当に露悪的なスタンスを取ってはいたが、共同体の構成員が抱える事情やジレンマは的確に描かれ、人間観察にはそれなりの成果をあげていた。だからこそ作品の衝撃度も高かったのだ。対して本作の登場人物はすべて“記号”でしかない。

 スタジオの床に白線を引いて少量の家具だけを並べるという、一見“野心的”で実は“単なる思いつき”に過ぎないセットが作品の空虚さを強調する。カラッポの舞台でカラッポの人間たちが繰り広げる中身のない“寓話”で誰が感銘を受けるのだろうか。

 たぶんトリアー監督は他人に対して真摯に向き合うことがないまま生きてきたのだろう。でも、今まではその“世間知らずぶり”を全面開示しても許されるような要素を作品に挿入してきた。それは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のビョークのカリスマ的な存在感であり、「奇跡の海」の呆気にとられるようなラストシーンであり、「ヨーロッパ」の目のくらむような映像ギミックであった。

 対してこの映画には何もない。デジカムによる薄汚い画面が続くだけの3時間近い上映時間。あらずもがなのラスト。お決まりの薄っぺらいアメリカ批判もお寒い限り。ハッキリ言って、見所はゼロだ。カンヌ映画祭で無冠だったのも当然だと思われる。
コメント
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