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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ユージュアル・サスペクツ」

2006-12-06 06:53:38 | 映画の感想(や行)
 (原題:The Usual Suspects)95年作品。カルフォルニアのある港で多数の死者を出す貨物船の爆破事件が起こる。生存者は2名。しかし、警察当局は裏に国際的な犯罪組織が噛んでいる可能性を指摘。事件の6週間前、関税違反容疑で捕まった5人の前科者がいた。証拠不十分から釈放された彼らは強盗団として結束し、謎の大物ギャング、カイザー・ソゼの計画に乗ることになる。それはソゼに敵対する南米の麻薬組織の船を爆破することだったのだが・・・・。アカデミー賞2部門を制した話題作だ。

 公開当時のポスターに“だまされますか、見破りますか”とのキャッチフレーズがある通り、これはヒネった脚本で観客に事件の真相を考えさせるような“コン・ゲーム”の要素を持つクライム・サスペンスだ。ただ残念ながら、筋書き自体はちょっと映画を見慣れたファン、あるいは推理小説のフリークにとっては物足りないだろう。

 第一に、本編が事件の生存者であるヴァーバル(ケヴィン・スペイシー)の警察署での自供に沿って展開することがすでに“クサい”と思わせるし、劇中に出てくる“コバヤシ”という弁護士がイギリス人(ピート・ポスルスウェイト)だったりする出鱈目さから、ほぼネタが割れてしまう。さらに“意外な真犯人”が明らかになるラストがこういう処理になっていては、いくら大物ギャングとはいえ、この後すぐに国際指名手配されて捕まるに決まっている。こんなツメの甘い脚本がオスカーを取るようじゃ、アカデミー賞のレベルも知れたものだ。

 それでは観る価値はないかというと、そんなことはない。これは役者を見る映画だからだ。身体障害者でニヒルな詐欺師、かつ奇妙なセクシーさを漂わせるスペイシーの演技は圧巻だ。汚職警官で筋金入りのワルであるディーンに扮するガブリエル・バーンも渋い。家宅侵入のプロを演じるスティーヴン・ボールドウィンの青臭さは捨て難いし(ボールドウィン兄弟の中では一番見所あるかも?)、爆弾テロリストのケヴィン・ポラックとヤクザのベニチオ・デル・トロはアクの強さで画面をさらう。警察側のチャズ・パルミンテリやダン・ヘダヤもいいし、ポスルスウェイトのクセ者ぶりはピカイチである。個性派勢ぞろいのキャストの演技合戦だけで入場料のモトは取れてしまうのだ。

 インディ系の監督ならではの思い切った役者起用だ。監督は当時29歳のブライアン・シンガー。今は大作も手掛ける中堅どころになった彼の出世作だ。
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「麦の穂をゆらす風」

2006-12-05 06:40:33 | 映画の感想(ま行)

 (原題:The Wind That Shakes The Barley )1920年代のアイルランドを舞台に、独立戦争とその後の内乱を市民の側から描いた2006年度カンヌ映画祭大賞受賞作。

 正直言って、ケン・ローチ監督作の中では取り立てて上質の出来映えではない。同監督の真価が発揮されるのは、この作品や「大地と自由」のような規模が大きめの歴史劇ではなく、「レディーバード レディーバード」や「SWEET SIXTEEN」のような市井の人々を容赦ないリアリズムで追い込んだドラマの方である。

 ニール・ジョーダン監督の「マイケル・コリンズ」でも描かれた、アイルランドの激動の近代史と、それに翻弄されるアイルランド共和軍(IRA)の志願兵である主人公たちの運命は過酷であるし、イギリスとの妥協案で勝ち取った独立が新たな内乱の引き金になるという構図は痛切極まりない。ただし、題材となる史実があまりにもシビアなため、映画の“面白さ”としてそれらを超えたモチーフがあるかというと、残念ながらそこまでには至らない。予想通りの展開が粛々と続いていくだけ・・・・といった印象を受けるのだ。

 けれども、この映画がカンヌで評価されたことには納得する。ローチ監督はとっくの昔に大きな賞を獲得してもおかしくないほどの実績を積んでいることから、一種の功労賞的な意味合いがあることも確かだが、何よりここで描かれることが“今の世界の真実”であることが大きいのだ。

 名誉や正義、自由と独立、それら美名のもとで家族(この映画では兄弟)や同胞が敵対し憎み合う。その有り様は世界のあちこちで見受けられ、次々と新たな悲劇を生む。こういう事態の象徴として本作が選ばれるのも当然だろう。

 ラストの“私の前に二度と顔を見せないで!”とのセリフが何と悲痛なことか。一度は信頼し合った仲間にこの言葉を浴びせなければならない絶望的なシチュエーションに、思わず身震いしてしまった。
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「ありふれた事件」

2006-12-03 14:54:09 | 映画の感想(あ行)
 (原題:C'est Arrive Pres de Chez Vous)92年製作のベルギー映画。並みの神経の持ち主なら始まって10分以内に席を立つであろう、常軌を逸した映画である。見てはいけないものを見てしまった不快感が後々まで尾を引く、でもやっぱりヴォルテージの高さは認めざるを得ない。公開当時は各国のファンタスティック映画祭で賞を総ナメにしたという問題作だ。

 主人公ベン(ブノワ・ポールヴールド)は陽気な殺人者。朝は早く起きて年金配達の郵便屋を絞殺。金を奪うと配達先の家に押し入って年寄りを殺す。夜は金持ちの家を物色しては家人を皆殺し。路上で、列車の中で、タクシーの中で、気が向けば殺人を繰り返し、死体をバカのひとつ覚えみたいに川に投げ込む場面も紹介される。しかし、普段の彼は家族や友人に好かれる気のいいアンチャンであり、反面、社会問題や文学論を話題にしたりピアノを弾いたりするインテリでもある。

 この映画のユニークなところは、彼の行動を逐一取材する映画スタッフが登場し、彼を主役にしたドキュメンタリー映画を撮影している点だ(それがそのまま我々が見る映画となっている)。当然、その撮影スタッフは殺人のことをベンの家族には口外しない。

 映画は、ベンが何故殺人を趣味にするようになったのか、一切説明しない。現象面を追うのみである。重要なのは、殺人をカメラに写されることによって、ベンの狂気がエスカレートしていくことだ。カメラで撮られることにより、人間は通常思いもしないことを口にしたり、行動に示したりすることがある。自分で自分を演出してしまうのだ。

 それはまた、心の中に潜んでいる思わぬ心理を引き出すことでもある。たぶんそれまで密かに行っていた“趣味の殺人”は、カメラという媒体によって形成してされた、彼と撮影スタッフだけの不気味な“世界”では日常茶飯事となるのだ。そこでの目的は、いかに対象を面白おかしく捉えるか、つまり、工夫を凝らした殺人シーンを手際よく陳列してみせるか、それしかない。罪の意識うんぬんは出発点から欠如している。

 “殺すのは楽しいけれど、あとの処理がねぇ”“子供は苦手だ。殺してもカネ持ってないしね。だからまだ2,3人しか子供を手にかけたことがない”etc.そして殺しの直後に鏡の前で俳優のモノマネをしたりする。この旺盛なサービス精神。彼らにとって殺しは娯楽だ。さらに、撮影スタッフも参加しての派手なレイプ殺人シーンでこの共犯意識は最高潮に達する。

 人間の悪意を引き出すカメラ、そういう凶器としてのカメラをここまでエゲツなく示した映画はかつてなかったろう。また、テレビのワイドショーの取材と銘うって、カメラが無神経に市井の人々を捉える可能性が多い現在、ベンのような勘違い野郎が実際に現れないとも限らない。そう、豊田商事事件で、カメラが見守る中堂々と殺人を犯したあの犯人のように。

 監督・製作はポールヴールドとレミー・ベルヴォー、アンドレ・ボンゼルの3人。モノクロ16ミリ作品。難を言えば、主人公たちを狙うマフィアの殺し屋らしきものを登場させたのは気に入らない。話がフィクションっぽくなってしまった。ここは楽しげに殺しまくっていた主人公たちが、無抵抗と思われた相手から思わぬ逆襲を受け、無惨にくたばってしまう、という結末の方がカタルシスがあったと思うのだが・・・・。
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「ウィンターソング」

2006-12-01 06:48:21 | 映画の感想(あ行)

 (原題:如果愛 Perhaps Love)香港映画久々のミュージカル作品という触れ込みだが、肝心のミュージカル場面が低調なのでは話にならない。見た目は賑々しいものの、振り付けもセットもハリウッド作品をはじめとする他国映画のパクリ。音楽は凡庸で印象に残るメロディのひとつもありゃしない。さらに言えばミュージカルのシーンそのものも少なく、あとは香港映画得意の古色蒼然とした“歌謡映画”のルーティンを追うのみ。

 ストーリーはといえば、映画監督を目指す主人公と女優を夢見るヒロイン、それに彼女を狙っている映画監督の三角関係を、意味もなく時制をバラバラにした要領の得ない作劇で漫然と語ってるだけだ。狂言回しとしてチ・ジニ演じる“天使”まで登場するが、これがいてもいなくても良いような中途半端なキャラクター。しかも微妙にハズしたようなところにしか出てこない。

 全体的にメリハリのない展開がダラダラと続くだけで、いつからピーター・チャンはこんな下手な監督になったのだろうかと、落胆した。

 救いは主役3人の頑張りだろうか。金城武は基本的には“いつもの通り”なのだが(笑)、こういう内省的な役柄をナイーヴに演じるとやっぱりサマになる。監督役のジャッキー・チュンは見かけもワイルドなら歌声もワイルドだ(爆)。さすが“香港四天王”の肩書きはダテではない。

 そしてヒロイン役のジョウ・シュンはその存在感で観客の目を釘付けにする。いわゆる“中国四大女優”の中では一番個性が強い。私はスクリーン上で彼女を見るのは初めてながら、一度接したら忘れられない印象を残す。

 結論を言えば、本作は俳優を見る映画で、質的なものを期待してはいけない。その意味で古い香港映画の方法論を踏襲しているシャシンであり、割り切って観ることが肝要かと考える。
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