一軒家に一人で暮らす盲目のヒロインと、そこに侵入してきた殺人事件の容疑者との奇妙な“共同生活”を描く若手作家・乙一の同名小説の映画化。
登場人物に対する作者のポジティヴな視点が心地よい映画だ。もっとも、脚本が万全ではないのは認める。まず、いくらこの“侵入者”が人畜無害のように思えても、すぐ近くで起こった事件の容疑者が逃走中であることは主人公は知っているはずだし、少しは警戒してもよさそうなものだが、彼女はそんな素振りも見せない。それ以前に目が不自由であっても臭いや気配で別の者が家に入り込んでいることは勘付くはずだが、それを暗示させるシーンもなし。かなりの御都合主義なのだ。中盤あたりで事件の“真相”が割れてしまうのも痛い。
しかし、主人公二人の内面を丁寧に掘り下げる展開を見るにつれ、多少のアラも見逃してやろうかという気になる(笑)。感心したのは、二人が孤独に陥った理由を簡潔に示していること。
小さい頃に失明したヒロインは自分は価値のない人間だと思い込み、印刷工場で働いていた容疑者は周囲との折り合いの悪さを“中国人とのハーフである”という自分ではどうにもならない“生い立ち”のせいにしてしまう。要するに不器用なため自ら孤独を招き入れているのだが、その二人が同居するハメになったことにより、自らの不器用さを自覚してゆくプロセスには説得力がある。
天願大介の演出は平易ながら時折ドラマティックなシーンを挿入して作劇のメリハリを付けている。特に印象的な場面は、むかし父と離別した母が父の葬儀に来たものの、娘に会う勇気がなくそのまま家を出て、駅のホームで電車を待っているところにヒロインが“お母さん!”と叫ぶくだりである。目の見えない彼女が心に描く母親は、現在の悲しみに暮れた姿ではなく、白い服を着た若き日の母だ。現実の映像とヒロインの内面とが連続して映し出され、観る者の心を揺さぶる。
主演の田中麗奈は珍しくスッピンに近い格好で出てくるが、何やらデビュー当時の初々しさを感じさせて好印象。演技面でも申し分ない。容疑者役のチェン・ボーリンも最初は固いが、後半ではそれが逆に活きてくる。岸部一徳や佐藤浩市といった脇も悪くない。乙一による原作も読んでみたくなった。