1967年東宝作品。半藤一利の同名ノンフィクションの映画化としては、2015年製作の原田眞人監督版を先に観ていて、その時は好印象だった。しかし今回、岡本喜八監督による最初の映画化作品をチェックすることが出来た時点で、アッという間に2015年版は“忘却の彼方”に飛び去ってしまった。とにかく作品の風格も、キャストの充実度も、ズバ抜けている。公開当時は興行的に成功し、批評家からのウケも上々だったというのも納得だ。
昭和20年8月14日、大東亜戦争の状況はいよいよ逼迫し、政府は御前会議によりポツダム宣言の受諾を決める。天皇による玉音放送は翌15日の正午に予定されていたが、敗戦を認めようとせず何としても本土決戦に持ち込みたい陸軍将校たちはクーデターを画策。皇居を占拠し、玉音放送を阻止すべく手段を選ばない実力行使に及ぶ。映画はこの激動の24時間を描く。

一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂騒動、いわゆる宮城事件を扱っているのだが、岡本監督はこの一件を波瀾万丈の連続活劇のように捉えていて、最後まで飽きさせない。次から次へと緊迫した場面が出てきて、よほどの歴史好きでない限り、まったく先が読めないのだ。もちろん、8月15日の玉音放送の発出という結末は誰でも知っているが、その前に斯様な大事件が勃発していたとは、本当に驚くしかない。
阿南陸軍大臣役の三船敏郎をはじめ、鈴木貫太郎男首相にに扮した笠智衆、東郷茂徳外相を演じた宮口精二、米内光政海軍大臣の山村聡、さらに志村喬や加山雄三、黒沢年男に佐藤充、加東大介、小林桂樹、神山繁、浜村純など、当時の日本映画界を代表する俳優陣が集結しているのは、まさに壮観だ。
個人的にとても面白いと思ったのは佐々木武雄大尉役の天本英世で、頭の中が完全にブッ飛んでいながら、端倪すべからざるカリスマ性を持ち合わせた怪人物を嬉々として演じており、強烈な印象を与える。また、紅一点として新珠三千代まで出てくるのだから嬉しくなる。
それにしても、膨大な数の戦死者を出し、2発の原爆投下による甚大な被害を被っていながら、それでもさらなる惨劇を引き起こすこと必至の本土決戦に拘泥する陸軍兵士たちの思考形態というのは想像しがたいものがある。そもそも、この戦争は始める前から負ける公算が大きいことは分かっていたではないか。このようなシチュエーションを憂慮するかのような、ラストの作者のメッセージは実に効果的だ。
昭和20年8月14日、大東亜戦争の状況はいよいよ逼迫し、政府は御前会議によりポツダム宣言の受諾を決める。天皇による玉音放送は翌15日の正午に予定されていたが、敗戦を認めようとせず何としても本土決戦に持ち込みたい陸軍将校たちはクーデターを画策。皇居を占拠し、玉音放送を阻止すべく手段を選ばない実力行使に及ぶ。映画はこの激動の24時間を描く。

一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂騒動、いわゆる宮城事件を扱っているのだが、岡本監督はこの一件を波瀾万丈の連続活劇のように捉えていて、最後まで飽きさせない。次から次へと緊迫した場面が出てきて、よほどの歴史好きでない限り、まったく先が読めないのだ。もちろん、8月15日の玉音放送の発出という結末は誰でも知っているが、その前に斯様な大事件が勃発していたとは、本当に驚くしかない。
阿南陸軍大臣役の三船敏郎をはじめ、鈴木貫太郎男首相にに扮した笠智衆、東郷茂徳外相を演じた宮口精二、米内光政海軍大臣の山村聡、さらに志村喬や加山雄三、黒沢年男に佐藤充、加東大介、小林桂樹、神山繁、浜村純など、当時の日本映画界を代表する俳優陣が集結しているのは、まさに壮観だ。
個人的にとても面白いと思ったのは佐々木武雄大尉役の天本英世で、頭の中が完全にブッ飛んでいながら、端倪すべからざるカリスマ性を持ち合わせた怪人物を嬉々として演じており、強烈な印象を与える。また、紅一点として新珠三千代まで出てくるのだから嬉しくなる。
それにしても、膨大な数の戦死者を出し、2発の原爆投下による甚大な被害を被っていながら、それでもさらなる惨劇を引き起こすこと必至の本土決戦に拘泥する陸軍兵士たちの思考形態というのは想像しがたいものがある。そもそも、この戦争は始める前から負ける公算が大きいことは分かっていたではないか。このようなシチュエーションを憂慮するかのような、ラストの作者のメッセージは実に効果的だ。