元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ポチの告白」

2009-10-09 06:19:53 | 映画の感想(は行)

 まず、本作の語り口には考えさせられた。この映画の上映時間は3時間15分もある。しかしストレスもなく最後まで観ることが出来た。通常、こういう長尺の映画を作る場合は、作家性を前面に押し立てたような心象風景的なショット(それも、通常は長回し)を多用するか、あるいは観客を退屈させることを回避するためにやたら見せ場を連続させるか、そのどちらしかないと思っていた。しかし、この作品は違うのだ。

 フィルム撮りではないこともあるが、作劇がとてもテレビ的だ。あるいはVシネマに似ていると言っても良い。高橋玄の演出タッチは平板であるが、決して一本調子ではない。適度に起伏を持たせ、観る側が肩に力を入れないような匙加減をキープしている。連続ドラマの一挙放映にも通じるものがあり、観ていてラクである。こういう作り方もあるのかと、けっこう感心してしまった。

 さて、展開は淡々としているようでいてこの映画のテーマは凄く重い。真面目な警官が上司の誘いで悪の道に染まっていくまでを描くのだが、従来の“悪徳警官もの”と決定的に違うのは、阿漕なことをやっているのは一部の警官だけではなく、全員がそうであることを鮮明に描いている点だ。

 憂さ晴らしに職務質問して、罪状をデッチあげると脅し、ヤクザまがいに金品を巻き上げるのは序の口。架空捜査での特別手当の割り増しや裏金造りなんて日常茶飯事で、果ては暴力団の麻薬や銃器類の取引に立ち会って“監視人”としての手数料を要求したりする。もちろん、警察内での不当な行為を監視するセクションも存在するのだが、それによって摘発されるのは組織にとって煙たい人物か“トカゲの尻尾切り”よろしく罪を被せられたスケープゴートのみ。

 司法に至っては完全に警察とグルで、捜査終了段階ですでに“量刑”も決まっているのだ(このあたりは周防正行監督の「それでもボクはやってない」と同様である)。特定の誰かが悪いわけではない。組織としてそういう“構図”が染みついてしまっているのだ。

 ただし、ここで描かれていることが事実かどうかは、普段は警察の御厄介にならずに生きている一般市民にとっては判然としない。だが、そこに大きな説得力を持たせているのは、劇中でのマスコミの扱いである。何の問題意識も持たず、記者クラブで警察の発表する資料を漫然と流しているだけ。警察を批判すると情報をもらえなくなるので、御機嫌伺いに必死だ。

 マスコミの言い分をチェックしてみれば、誰だってそんな歪んだ図式の存在に思い当たる。権力を牽制すべきマスコミがこの体たらくでは、映画で描かれている警察の腐敗が事実でもおかしくないと合点してしまう。題名の「ポチ」とは主人公のことではなく、マスコミなのだ。

 主演の菅田俊をはじめ野村宏伸、川本淳市、井上晴美と派手さはないが堅実なキャスティングも評価したい。そして何より、日本映画で初めて外国人記者クラブの協力を得たことは特筆できる。たった五つの全国紙にテレビや雑誌も含めて収斂してしまう我が国の不可解なマスコミ事情を強調する意味で、実に効果的だった。

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