元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ミッシング」

2024-06-22 06:31:22 | 映画の感想(ま行)

 題材はシビアなものだし、主演女優の大奮闘は印象に残る。しかし、作品自体の訴求力はそれほどでもない。これはひとえに、物語の焦点になるべきキャラクターよりも、脇の面子や付随するエピソードの方が数段興味深いからだ。それが却って主人公の存在感を希薄なものにしている。脚本の練り上げが足りていないか、あるいは作り手の狙いがドラマツルギーの常道と外れた地点にあったからだと思われる。

 静岡県沼津市に住む森下沙織里の幼い娘である美羽が突然行方不明になり、懸命な捜索も虚しく3カ月が経過。当初は地元でセンセーショナルに報道されたが、世間の関心は次第に薄れていく。形振り構わずビラ配りなどの活動に没頭する沙織里に対し、夫の豊は距離を置いているように見え、夫婦ゲンカは絶えない。

 そんな中、沙織里が娘が失踪した時間帯にアイドルのコンサートに行っていたことが明らかになり、彼女はますます窮地に追いやられる。一方、事件を発生当時から取材していた地元テレビ局の記者の砂田は、上司から挙動不審な沙織里の弟の圭吾にスポットを当てろという命を受ける。視聴率アップのためには、圭吾のようなキャラクターは実に“オイシイ”らしいのだ。やがて別の幼女失踪事件が発生する。

 沙織里の言動は、ハッキリ言って“想定の範囲内”である。たぶんこんな状況に追い込まれたら斯くの如き振る舞いをするのだろうなという、その既定路線から一歩も出ることがない。それよりも夫の豊の態度の方が印象的だ。妻と一緒になって取り乱すことも出来たのだろうが、そこは社会人としての矜持を頑なに守っており、その点が共感度が高い。

 砂田の立ち位置もけっこう説得力がある。本当は素材に真っ直ぐに切り込みたいのだが、視聴率優先の局の方針には逆らえない。そんなディレンマに苦悩する。さらに面白いのは、圭吾の造型だ。見るからにオタクっぽい風貌で事件当日の足取りも明確ではない。誰もが疑いたくなる存在なのだが、そこに振り回されて状況は紛糾するばかり。昔から取り上げられてきたマスコミの独善ぶりと、SNSの暴走というアップ・トゥ・デートなネタを上手くブレンドしていると感じる。

 だが、ドラマは事件の解決にはなかなか近付かず、新たに起こった事件の顛末も気勢が上がらないものに終わった。結果として、ヒロインの無鉄砲なアクションだけが目立つばかりのシャシンに終わっている。脚本も担当した吉田恵輔の演出は、パワフルではあるが若干空回りしているように感じる。沙織里に扮する石原さとみは大熱演で、今までのイメージを覆してみせるという気迫は伝わってくる。しかし、どうもこれは“絵に描いたような力演”の域を出るものではない。

 対して青木崇高や森優作、小野花梨、美保純、そして中村倫也といった脇のキャストの方が良い案配に肩の力が抜けていて好感度が高いのだ。エンディングに関しては賛否両論あるだろうが、個人的にはもっとビシッとした決着が見たかったというのが本音だ。志田貴之のカメラによる撮影と、世武裕子の音楽はしっかりと及第点に達している。

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